71 シェイの一日 その1
自分は常に闇と一心同体の状況を保っている。何人たりとも邪魔をすることは許されない。例え登りくる太陽であっても。
身体が光を嫌って、ベッドのなかへと潜りこむ。まだ闇のなかに漂っていたい。
けど、頭が冴えれば耳が雑音を拾うようになる。
「アクア。今日もかわいいね。そのプニっとしたほっぺた、食べちゃいたいくらいだ」
「えっと、シャイン。私は食べてもおいしくないと思うよ。ねぇ、顔が近いんだけど」
またか。目障りな存在が、耳障りな声で気に食わないことをやっている。アクアは控えめな性格だからシャインに押されてしまっている。かわいそうに。仕方がない。
起きて闇の剣を突きつけるのも有効だが、まだ目を開けたくない。自分は周囲にある闇を意識をした。
瞼の裏に部屋の情景が浮かんでくる。部屋には自分を含めて三人。アクアとシャインはドアから見て右手前にあるベッドにいる。
くっ、毎度のことながら押し倒されているではないか。自分がいなければ本当に危ない。だが、影ができているのは好都合だ。
シャインの影に魔力を込める。闇のグーパンチで毎回ノックアウトしているが、少々なまぬるかったのかもしれん。
ここはあのアニメ、コインを親指で弾き上げた後にもう一回弾く必殺技をイメージして……闇を放つ!
「うべばっ!」
「わぁ、天井に首が突き刺さっちゃった。今日は一段と勢いがあったなぁ」
無事に成敗完了。これで心置きなく二度寝ができる。
意識を手放そうとしたら、あどけない足音か近づいてきた。
「シェイ、毎朝ありがとね」
まったく、アクアもわざわざそんなことを。けど返事もするのも億劫だ。だから、んっと喉を鳴らしておいた。
おやすみ。
儚く短い二度寝から起こされた自分は、顔を洗って朝食を食べた。
シャドーに本来、口で食べる食事など要らない。周囲の闇から身体を形成できる分を取り込めば事足りる。
自分はハーフとはいえ闇だけで充分なのだ。だが半分は人間でもある。形式だけどはいえ、食事を楽しむことはできる。
がっ、どうにも食べること全般が好きではない。特に食べ物が不味いわけではないのだが疲れるし、めんどうだ。
父上のことは好きだが、ここら辺の融通が効くようになってほしいと願ってしまう。
そんな自分だが全ての食べ物を毛嫌いしているわけではない。果物はおいしくいただくし、和食なるものは味わって食べたいと願っている。
さて、苦手な朝食を終えれば外に出て朝の鍛錬の時間となる。
といっても、まじめに鍛えるのはグラスとエアぐらいだ。デッドは鍛練ごっこもいいところ、他のみんなは完全に遊んでいる。シャインに至っては別枠だ。
父上もチェル様も特に咎めるつもりはないようなので、自分も口出ししない。
さて、やりましょうか。
立ったまま目を閉じて、精神を集中させる。イメージは闇。心を闇にして気配を周囲に同化させる。闇とは静であり、感じ取ることのできない存在。
闇と同化したときに初めて、暗殺は完全なる形になる。
種族柄の特性から、暗殺のスタイルが自分には一番合っている。それに口惜しいけど、自分は純粋な力が弱い。
グラスと正面からやり合えば呆気なく負けるし、闇討ちでなければデッドにすら勝てるか怪しい。
奇襲に特化する以外、シャドーに道はない。
「ねぇ、シェイ」
おっと、考え事がすぎました。他の者の接近に気づけないようではまだまだです。
目を開くと、おっとりとした青い瞳が自分に向けられていた。
「アクアですか、どうしましたか」
「私も精神統一ってやってみたいんだけど、やり方がわからなくて。だからシェイ、教えてほしいの」
手をモジモジと遊ばせながら、気弱に聞いてきた。
どうしようかと遠くを眺める。本日も紫に淀んだ空を、黄色と白の兄姉が飛んで……白が落ちたな。まぁ、いつものことだ。
時折アクアは自分に構ってくる。憧れを抱いているみたいだけど、あいにく自分はまだまだひよっこ。小手先でごまかしているにすぎない。
「構いませんよ。自分流でいいのなら、教えます」
がっ、だからといって突き放すのも酷だ。気が済むまでつきあうのも、妹としての役割でしょう。視線を戻して了承した。
「ありがとう、シェイ」
嬉しそうにはにかむ姿に、胸が苦しく感じる。期待に応えられないことを、知っているからだ。
「では、早速始めましょうか」
「よろしくお願いします」
おかしな感じだ。まるで弟子になったみたいな返事。胸に芽生える感情を闇に放り投げ、冷静を装った。
「ん~、やっぱり難しいな。闇っていうのがどうしてもわからないよ」
自分のやっていることをそのまま教えて試してみる。アクアは手応えをつかめない様子だ。教える力量の低さを実感してしまう。
「やはり、アクアには難しいのではないでしょうか」
「うぅ、ごめんね。上手にできなくて」
「あなたが責任を感じる必要はありませんよ」
できないことに責任を感じてうなだれてしまった。アクアは本当に律儀ですね。
「よぉ、お前ら。おもしろいことやってんじゃねぇか」
アクアの様子に見かねたのか、みんなを見守っているはずの父上が気軽く近づいてきた。
「あっ、パパ」
「父上。珍しいですね。どうかしましたか」
ボサボサな黒髪をかきながら立ち止まると、中腰になって自分たちの視線に合わせた。
「いや、アクアにその説明じゃわかり難ぃと思ってな」
くっ、痛いところをついてくれますね。アクアがうまくできない責任は自分にありますか。
皮肉ないいように、目に力が入ってしまう。気がつけば奥歯も噛んでいた。
いけない。感情的になるのはメンタルが弱い証拠。抑えなければ。
「そんな。シェイは悪くないよパパ。私がうまくできないだけで」
何を見かねたのか、庇われてしまった。これでは自分の立つ瀬がありませんよ。
「構いませんよ、アクア。それより父上、どう説明すればよかったんですか」
「あぁ、簡単だよ。得意なもんをイメージさせてやるんだ。アクアの場合は水だな。水の流れを意識して集中してみろ」
「なっ! 水を意識しては精神の統一などできるはずがない」
集中に必要なのは限りない静。一方、水が司るのは流。動いてしまっては集中なんてできっこない。
自分の反論に父上は、いいからいいからと無責任に微笑むばかりだ。
「えっ、パパ? ホントにやっちゃってもいいの」
アクアも戸惑いを隠せずに視線を泳がせる。グダグダだ。どうにもなりようなんて、ない。
「いいっていいって。物は試しだ。やってみよぉぜ。いいよな、シェイ」
「そこまで言うなら構いませんよ」
アクアのために同意はしますが、どうなっても知りませんよ。
アクアはオドオドと、自分と父上に首を向けた。
「えっと、わかった。やってみるね」
やがて覚悟を決め、目をつむった。
「水……流れ……水圧……」
ブツブツと呟いている。しゃべっている時点でボロボロだ。やはり水に例えるのは無理が……なっ。
アクアを中心に魔力が渦を巻きだした。ゆらりとした流れは滑らかで力強い。この感じは、完全に精神世界に入っている。
不意に父上を見上げると、黒い瞳をまん丸にして驚きの表情を浮かべていた。
「集中ってすごいなシェイ。俺にすら感じられるぞ。シェイは毎日こんなことをやっていたのか」
「まさか、自分ではここまで深く闇に潜れませんよ」
紛れもないアクアの力だ。さすが長女といったところですか。恐ろしい物を秘めている。
苦笑する思いだ。身体が芯から震えてしまう。
周りに意識すると、兄弟はみんなアクアに注目していた。気絶中のシャインがある意味で羨ましい。
「何かが、できそうな気がする」
アクアは青い瞳を開くと、ここではないどこかを眺めながら手を伸ばした。周囲なんて見えていないだろうし、音も聞こえてなさそう。
「アクア、何を」
伸ばした手の先に水が集まり、形状が変化すると青い槍が出来上がる。アクアの身体に合った、トライデントだ。
「できた、水槍錬成。そっか、これが私のスキルなんだ。って、あれ。みんなどうしたの?」
アクアが精神世界から戻ってくると、魔力の流れが緩やかに消えた。先ほどの凄みがまるでウソだったように落ち着いている。
当のアクアが注目を浴びて縮こまっているのだから笑えない。両手で持ったトライデントに隠れるように怯えている。
あの槍、完全に形を成している。これは硬度を確かめねばなりませんね。
「受けてください、アクア」
生み出せる武器の性能を知らないまま使うのは危険。自分は右手を闇の剣に変えて斬りかかった。
「えっ、キャ!」
アクアは顔を背けて腰の引けた状態で、柄を盾に剣を受け止めた。キンっと響く硬い音。衝撃に震える手は、金属を相手にした感覚だ。
「びっくりした。いきなり危ないよぉシェイ。どうしたの?」
「なかなかに、いい槍ですね。魔法で作られているのにしっかりと硬い。ちゃんと使えるようになれば頼もしい力になるでしょう」
感触を確かめて微笑むと、驚いていたアクアがニコリと笑った。口元が嬉しそうにムズムズしている。素直に表情に出るのは、アクアらしい美点なのかもしれません。
「ありがとう。これもシェイのおかげだよ」
「えっ、自分は何もしていませんよ」
「そんなことない。シェイの精神統一がなかったら、ずっとスキルを閃かなかったと思うもうもん」
「だとしたら、父上に感謝すべきですよ。自分はきっかけに……っ!」
アクアの誤りを訂正しようとしていたら、大きな手でやさしく頭を撫でられた。振り向くと、父上がやさしい笑顔で見下ろしている。
「シェイ。こういうときはどういたしましてって、自信を持って受け入れりゃいいんだよ。紛れもなくシェイの手柄なんだから、なっ」
グシャグシャに撫でる手は無遠慮で、不意に心と顔を温かくさせるからズルい。余計に守りたくなってしまう。
「父上……アクア、よくやりましたね」
アクアに向き直ると、何かに気づいたように驚いてから、うんって大きく頷いた。自分の顔に何かついていたのでしょうか。
「アクアぁ、すごいねぇ」
落ち着いたところでフォーレがのんびり近づいてきた。父上も一緒になってアクアを褒める。
「うん。これもパパやフォーレのおかげだよ。私には槍の方が似合うって言ってくれなかったら、きっとできなかったもん」
話がよくわからない。きっと三人の間で何かあったのだろう。嬉しそうなやり取りを見て、微笑ましく思った。




