692 面影のない故郷
「久しぶりね、この地に足を踏み入れるのは。と言っても、随分と景色が変わってしまったけれど」
陽射しを浴びながら、コーイチと隣り合ってプラサ・プレーヌの森を散歩する。右手にバスケットをかけ、ゆったりと余生を過ごすようにお喋りをしながら。
「元魔王領で、チェルの変わり果てた故郷。よかったのか、あまり思い出したくない過去もたくさんあんだろ」
コーイチが周囲を見渡しながら聞いてきたわ。過去に見た景色と似たところを少しでも探そうとしているみたいね。
「コーイチ的に表現するなら、私の実家があったのよね。当たり前にお父様が顕現していて、その手綱を握っているお母様がいて、魔物というたくさんの配下達に慕われて」
「ははっ。魔王の手綱を平然と握ってる辺りリアさんらしいわ」
お母様はコーイチの手綱を握ってムチを打てと仰ってたわね。教えを授かっておいて申し訳ないけれど、今のコーイチにそんな事をしたら脆く崩れ去ってしまうわ。私は、毅然たる魔王夫人にはなれなかった。
「痩せた大地に枯れた森、淀んだ空気が漂っていた故郷。今や眩しすぎて面影もなくてね」
「確かに、何もかもなくなっちまってらぁな。殺伐とした空気も今や懐かしいぜ」
「けど」
「けど?」
「ピクニックをするにはいい陽気ではなくて」
メッセージでアクアに無理を言って一日空けてもらった甲斐があったというものね。今日は朝からコーイチの調子もよくて、朝食をたくさん食べれたもの。
それから急いで内緒でお弁当を作ったわ。けど狭い家のキッチンを占領してたからコーイチに気付かれて、結局一緒にお料理したのよね。私、おにぎりしか握れなかったけども。
完成してすぐに地下鉄に乗り込んで久方ぶりに電車を運転したわ。
「違ぇねぇ。いいピクニック日和だ」
コーイチは穏やかに目を細めながら空を見上げたわ。風が葉を揺らす音だけが心地よく耳に届いてくる。
「ここがいいわ。お昼にしましょう。ずっと歩いていたから疲れたでしょう」
「おいおい、俺を年寄りかなんかと勘違いしてねぇか」
有無を言わさずにバスケットからブルーシート取り出し、地面へ敷いて座らせる。
一度敷けばピタっと地面に張り付き、ちょっとやそっとの風じゃ吹き飛ばない優れ物。座り心地だって快適よ。
子供達が贅沢に希少な素材を使って造り上げた一品で、コーイチ曰くこんなものはブルーシートではないとの事だったわ。便利なのだから認めればいいのに。
バスケットからおにぎりとお弁当箱、パンや水筒を並べるわ。
コーイチのマイルームにあるパソコンで見たピクニックの景色、一度自分でやってみたかったのよね。
隣に座り合って、コーイチにご飯を食べさせながら問いかける。
「ねぇ、コーイチはここがどこだかわかるかしら」
「いやそんな事より、なんで俺が一方的に食べさせてもらってるんだ。メシぐらい自分で食べれっし、デートを満喫したいなら互いに食べさせあうのが理想だろうが」
「わからないのもムリはなくてね。元より目印になるような景色ではなかったもの」
「あの、俺の意見を完全に無視しないでいただけないでしょうか」
はいあーん、なんて甘いやりとりを望んでいたのかしら。悪くはないけれども、どうも介助って気分の方が勝ってしまうのよね。もちろん私も甘いやりとりに興味はあるのだけれど。
「ここは、コーイチが初めてイッコクの地へ降りた場所で、同時に私と出会った場所であってよ」
宣言した瞬間、コーイチは己の主張を言わなくなったわ。




