688 罪な夜食
「もう、すっかり暗くなっちまったな」
タカハシ家二階建て一軒家の自室で、俺は窓際に立って星空を眺める。
グラスから開戦のメッセージをもらってからだいぶ時間が経っちまった。もうグラスは戦いを終えちまったのか。
「心ここにあらずね。せっかくお家まで押しかけたんだからさ、アタシで気を紛らわせたらどう」
ススキがベッドを軋ませながら気にかけてくれる。
グラスと勇者達との開戦を聞いて暫く、チェルがススキを呼んできた。ソレからずっと側にいてくれている。
今は入浴を終え、普段サイドテールに結わえてある黄土色の髪は解かれ下げられている。服なんかはゆったりとしたネグリジェ一枚だ。用意周到すぎて泣けてくらぁ。
「そいつぁありがてぇが、どうもそういう気になれなくてな。不思議と、今日は時間の進みが遅くてイヤになってんだ」
一分一秒が一生よりも長く感じちまう。いつだってそうだった。いざ子供達の決戦が日になると、どうしても時間の流れが重く感じちまう。
「気持ちはわかるけどさ、ご飯ぐらいは食べなさいよ。お昼から何も口にしてないじゃないの」
そうだっけか。そうだったかも。まぁ、どうでもいいわ。
「人間一日ぐらい何も食わなくても死にゃしねぇよ」
そう吐き捨てたら、背中からギュっと抱き締められた。
「普段からちゃんと食べてるなら問題ないかもだけど、コーイチは違うじゃないのよ。あまり、アタシ達を心配させないでよね。バカ」
アタシ達、か。ススキにも、チェルにも心配かけちまってるなぁ。ダメだなぁ俺。わかってても動けねぇんだもん。
いっそ、速く訃報が入れば感情が暴れ出してくれんだけ。
希望もへったくれもない願いが頭に過ったぜ。
静かすぎる空間に、無遠慮な足音が割って入ってきた。
「何だ、こんな時間に」
足音はドンドン近くなり、玄関の開く音が家の中に響く。
「ただいま」
そして聞こえた、聞き慣れた声。
「まさか、グラス」
驚いてドアの方を見つめると、裸足の足音が近付いてきてノックをされる。
信じられない現実に声を上げられずにいると、ゆっくりとドアが開かれた。
チェルを一歩後方へ置いて、グラスが顔を見せた。傷一つなさそうだ。
「随分と幼稚なイチャつき方ですね、父さん。今更家族に遠慮する事もないと思いますけど」
しょうがないといった苦笑いが目前にある。本物だ。
「ちょっとグラス。帰ってくるのはいいけど、もうちょっとデリカシーはなかったわけ。おかげで、雰囲気吹き飛んじゃったじゃないの。アタシが用なしになっちゃったわ」
ススキが声色に喜色を込めながら文句を言い、俺の背中から剥がれていく。
「ホントに、グラスなのか」
「言ったでしょう父さん。俺は必ず帰ってくるって」
「けど、そうなると勇者はどうなったんだ。まさか倒しちまったんじゃ」
グラスが生きてくれてんのは嬉しいけど、勇者が倒れたとなるとウカウカと喜べねぇ。イッコクの勇者と魔王のあり方に亀裂を走らせちまったら、チェルの平穏がなくなる。必ずしわ寄せが起きちまう。
「安心してください。小手調べ程度で切り上げましたから。第一、俺が戻らなかったら誰が魔王城タカハシで父さんを守るというのですか。まさかチェル様に守らせるわけにもいかないでしょう」
「あっ」
グラスのしてやったという表情に思わず声が漏れた。確かに遠路遙々出向いてくれた勇者にもてなしひとつなくただやられるんじゃ味気ない。ソレに、チェルを戦いに出すだなんて本末転倒もいいとこだ。
「大丈夫です。俺が一番近くで、最後まで父さんを守りますから。だから父さんは、安心して余命を楽しんでください」
俺を一人にさせねぇってか。ナマ言ってくれんじゃねぇか。泣けちまうだろぉが。
「俺、腹減りました。父さんもよかったら、一緒に夜食でもどうですか」
「健康に悪ぃ誘いしやがって。しゃあねぇから付き合ってやるよ」
俺とグラスが笑い合い、チェルとススキが安心した微笑みを浮かべながら見守ってくれた。
こうしてオレ達は罪な夜食を楽しんだぜ。




