686 獣王城(仮)
「あの媚薬は本当に渡り船でした。グラスはよく言えば質実剛健、悪く言えば堅物ですから。色恋沙汰からむりやり目を逸らしている姿はかわいくもありつつもどかしかったのですよね」
あの悪鬼羅刹のような魔王グラスがかわいいとか、いくらなんでもソレは。
「確かにグラスは頑固だからね。今でも籠絡されたなんて信じられないもん」
「きっと神のお告げの全ては、グラスと巡り会うための道のりだったのでしょう。未来もいただけましたし、この選択に悔いはありません」
優しくお腹を擦るドゥーシュへ、ずっと気になっていたけど聞けなかった事を尋ねる。
「ところでドゥーシュ。魔王グラスとする事したのはわかったけど、お腹を擦っているのはどうしてだい」
「イヤですね、命を宿しているからに決まっているじゃないですか。神からのお墨付きもあるのです。まぁ、安定期になるまでは気が抜けないのですけどね」
「マジかよ」
ワイズが反射的に呟いた。ドゥーシュが神の名に関して発言をするからには、確実なのだろう。しかしいいのか、魔王グラスの血を残してしまっても。
「えっ、じゃあ私伯母さんになるの」
青い瞳をパチクリさせて驚くアクア。現在七歳児。元より複雑な家庭が更に複雑になってしまうのはボクの気のせいだろうか。
なんとも微妙な視線がアクアに集中してしまう。みんなも似たような事を思っているのだろう。
「っていうか、この戦いが終わっても私、独りぼっちにならないの」
「ちょ、アクア」
急に事情が重くなった。エリスなんてとっさに名前を呼んでしまうほどだ。
「どうしようエリス。大変になっちゃった。少し、生きる理由が増えちゃったよ」
戸惑いながら立ち尽くすアクアへ、エリスがぎゅっと抱きつく。
「迷ってないで受け入れなさいよバカ。いいじゃない、生きる理由なんていくらでも増えたって」
「エリス。そっか、それもそうだよね。ありがとう」
エリスの背中をポンポンと叩きながら、新たな事実を身に染み込ませるようにアクアが目を閉じた。
「あの二人は仲がいいねえ。でちょっと気になってたんだけど、どうしてドゥーシュは傷だらけになってたんだい」
「ジャス様が全力でグラスと戦えるようにするための演出です。ギンさんって喋る女性の狼がいたんですけど、旅立つ前に彼女へ頼んで襲ってもらったのです」
「ギンって、アイツかぁ」
強敵ではあったんだけど、最期が最期なだけに微妙なニュアンスでワイズが言葉をこぼす。
「よくグラスをからかってましたね。ワタシが媚薬を使ってからはおマカさん呼ばわりする始末でしたし。あっ、最初は女心のわからないおバカさんってからかってましたね」
クスクスと笑うドゥーシュは本当に楽しそうだ。けど、急に魔王グラスの事をいたたまれなく感じてしまったよ。
気のせいでなければアクアの肩が震えているし。たぶん笑いを堪えているのだろう。
「グラスは常に全力での真剣勝負を望んでいました。恩に惚れた弱みもあったワタシは、勝手ながら満足できるように全力でサポートさせていただきました。最後のリザレクションだって、双方を万全にしてのぶつかり合いにしたかったまで。もっとも、グラスからしたら余計なお世話だったのでしょうね」
潔いまでの白状に驚きはしたけれど、責める事はできなかった。だって、仲間が幸せそうだったから。
「今日は色々とありましたし、みなさんこの獣王城(仮)で休んでいってください」
「いやちょっと待てって。なんだその城の名前は」
「しかも魔王グラスの魔王城だろう。恐ろしくて気が休まらないよ」
ワイズがツッコミ、クミンが追撃を入れる。
「アクア、笑いたければ笑えば。堪えてるの丸わかりだから」
ついでにこのやりとりの何かがアクアのツボに入っていたらしい。
「このお城はグラスがジャス様たちと戦うまでの仮住まいに過ぎなかったので城の名前も仮名なのです。グラス達が強制労働と言い張って指揮をし、人々の手で建てられた正真正銘普通のお城。魔王城では断じてございませんよ」
魔王城じゃない。いや確かに、らしくはないと思ってはいたけれど。
「本当なのか」
「えぇ。出来上がっていく様をこの目で見ていましたから。思い出して下さいジャス様。ここはそもそも、アナタのために建てられたお城じゃないですか」
「あっ」
新王都プラサ・プレーヌ。魔王を討伐せし地に築かれる勇者が治める国。
「グラスが負けた時に勇者へ明け渡す為に建てた城なのです。民達もその為に生かし、役に立つよう鍛え残した。なので堂々と、我が家のように過ごして下さればいいのです」
とんでもない置き土産だ。民がボクを支持してくれるかもかなり怪しいし。
ボクは複雑に思いながらも、門に置いてきた精鋭達を迎えにいってからお城へと入ったよ。




