670 獣の意志
「確かにやりにくいザコ共だけれど、アクアが躊躇するなんて珍しいわね」
エリスが弓を引き、周囲を警戒しながら疑問を口にする。
「悪意のない一般人だからね。私の侵略地だったヴァッサー・ベスでは襲うのが目的だったから分け隔てなく蹂躙したけれど、ジャスについてくようになってからは悪意のある相手しか手をかけた事ないよ」
敵意や憎悪の視線に囲まれながら、あっけらかんと補足をするアクア。
「そのわりには一般人を助けたりしなかったじゃないか」
「私から殺す気はないけれど、好き好んで助けるつもりだってないもん。世界なんて、全員が全員幸せになれるようにはできていなからね。他人を助ける義理なんてないよ」
わかってはいたけど、アクアはこういうところシビアだ。今更軽蔑しようとは思わないけど、やるせない怒りはどうしても湧いてきてしまう。
「っで、どうする。ジャスの気が乗らないなら私が全員殺してもいいけど、たぶんそうじゃないよね」
「まさか、アクアが人間を相手に手加減をしてくれるのか」
今までそんな素振りを全く見せなかったあのアクアが。
「ちょっとだけ譲歩しようかなって思っただけ。それにグラスの思惑も気になるし、ねっ!」
アクアは青色に輝くと本来の姿、ハーフ・クラーケンの姿を現した。
長く多くなったイカ足によって身長が伸び、怯えだした人間達を見下ろしながら笑む。
「私はアクア。アクア・タカハシ。グラスのお姉さんだね。死ぬ気があるなら容赦しないけど、できたら矛を収めてほしいかな」
アクアは空に水を噴射し、無数のトライデント宙に留めて威嚇する。
「ちょっとアクア、脅しにしてはやりすぎ」
「まぁまぁエリス。抑えて抑えて」
身内だからこそ緊張感のない会話ができるんだろうけど、こんなバケモノから無数の矛先を向けられた一般人は堪ったものじゃないよ。ほら、みんなもう腰を浮かしながら恐怖に震えちゃってるし。
もはや空笑いしかでない。
「正直あなたたちを殺すなんて一瞬でできるんだよね。それこそグラスと同じように。けどきっと、あなたたちはグラスに何かを託されていると思うの」
脅しが充分に利いたととったのか、宙のトライデントを全て水へ戻して雨と降らせる。アクアは周囲の建物や外壁を眺めながら説得を続ける。
「たぶん今建ってる建物や外壁、きっとお城なんかもあなたたちがグラスに任されてあなたたちが造ったんだよね。グラスが侵略を始めた頃ってきっと、街造りの着手をしている途中だったと思うし」
言われてから気付かされる。プラサ・プレーヌが完成しているという異常に。街を造り始めて二年も経っていないというのに、この立派な街並みだ。あり得ない。
「グラスの事を慕っているから、勇者達が許せないんだと思う。けどグラスはそんな事、望んでないよね。グラスを大切に想うなら、グラスの願いを聞いてほしいな。戦いが終わった後の、どうしてほしいか言われてるんでしょ」
「そ、それは」
一般人の誰かだ言葉をこぼした。心当たりがあるようだ。
「それになにより、グラスは勇者との戦いを心から望んでる。強敵を望んで燻ってた事ぐらい、近くで見てきたあなたたちならわかるでしょ。だから、グラスのワガママを聞き入れてあげてほしいな」
優しく話しかけるアクアに、一般人達はうろたえながら周囲の人々とヒソヒソ話し合う。暫く続いたと思ったら、集団の一部が道を開くように端へと寄っていった。
通っていい、という事だろう。
アクアは再び青く光ると、少女の姿に戻って笑みを浮かべた。
「ありがとう。行こう、ジャス。グラスが待ってるから」
「あぁ、そうだな」
人混みが割れるようにできた道の先に、グラスの待つ魔王城がある。しかも、街のド真ん中に。
「随分といい度胸というか、胆力が据わっているじゃないか。行こう」
数々の一般人に遠目から見られながら、ボクたちはグラスの魔王城へと進んでいった。




