66 母親たちの気持ち アラクネ編
俺は魔王城の廊下を、紫の半そでに半ズボン姿のデッドと一緒に歩いていた。
「なぁデッド。お前は手とか繋がなくてもいいのか。なんならおぶってやってもいいけど」
「ケッ。余計なお世話だ。ババアの所に行くのにそんなことする必要もねぇだろうが」
俺より遅れ気味に歩くデッドに気を使ったのだが、皮肉で返されてしまった。赤く鋭い瞳で睨みながら、噛みつく勢いだ。身長なんて俺の足ぐらいしかないのに、必死に食らいついて歩く。
歩幅の差もあるから、手を繋ぐ方が楽なんだけどな。調整しにくいからどうしても俺が先に出ちゃうし。にしてもデッドは甘えてこないな。俺しかいないんだから兄弟の目を気にする必要もないと思うんだが。
本日はデッドの母親の日だ。クラーケンから話を聞いてから優に四週間くらい経ったというのに、まだ他の母親から話を聞けていない俺がいた。特に理由はない。ダラけていただけだ。
「そもそも、いちいちババアの所に行く意味がわかんねぇ。別に会わなくったって死ぬわけじゃねぇだろ」
「そう言うなって。きっとアラクネもデッドに会いたがってると思うぜ。十日にいっぺんなんだから、成長を見せてやれって」
「十日じゃ対して変わんねぇだろうが」
顔を背けて毒を吐いた。子供にはわからないかもしれないけど、意外と変わるもんなんだよな。特にモンムスたちは成長が速いから、十日の成長がバカにならない。
「さて、そろそろ肩車するけどいいな」
「いらねぇって言ってんだろ。ジジイの耳は腐ってんのか」
「聞こえてるよ。でもデッドは歩くのがのろまだからな。タイムアップだ。悔しかったら速く歩けるようになるんだな」
俺はゴネるデッドの後ろに回り込み、両脇を捕まえて持ち上げた。
「ほれ、パイルダーオン」
「ネタが古いんだよジジイ。操縦するぞコンチクショーが」
「デッドも何で知ってんだよ」
呆れ顔にならざるを得ない。子供たちはネットサーフィンもできるようになってるからな。どこかでネタを拾ってきたのかもしれない。
俺は操縦されるままに、アラクネの部屋へと向かった。
部屋に入ると、張り巡らされたクモの巣が迎えてくれた。
「いつ来ても慣れねぇな。おーい、アラクネ。デッドを連れてきたぞー」
見上げて叫ぶ。紫色の身体をした大グモ、アラクネが巣の上からひょっこり顔を出した。
「キヒッ、もうそんなに日が経ったかい。久しぶりだねぇ、デッド。おや、コーイチと仲良さそうじゃないかい。いつの間に距離を縮めたんだい」
「誰がジジイなんかと。肩車もジジイがどうしてもって聞かないから乗ってやったにすぎねぇよ」
また事実を捻じ曲げてくれる。男の子の照れ隠しはどうしてこうもトゲトゲしいんだろうか。
「キヒヒ。まぁいいさ。あたいの所においで。どれくらい成長したか見てあげるよ」
「ケッ、目に物を見せてやるぜ」
アラクネは俺の肩から、アラクネがいる上の方へ跳び出した。
「あっ、こら。ズボンを脱いでから飛び出せ」
「キヒッ。知るもんか」
デッドが形状をアラクネよりの身体にする。下半身が紫色のクモの姿となった。変化によってズボンがビリッと破れ散る。
「バカ野郎。ズボンをダメにすると俺が怒られるんだぞ」
「ザマァ。勝手に怒られてろってんだ」
捨て台詞をはきながらクモの糸を発射すると、アラクネの元へ上っていった。
デッドのやろう。帰ったらチェルに小言をチクチクと言われ続けるんだぞ。無茶苦茶キツいんだぞ。
ギリギリと歯がみする思いだ。手が届くなら殴ってやりたい。ステータスで負けてるから反撃が怖いけども。
デッドがアラクネのお尻にボフッと着地する。
「キヒッ、ちょっと見ないうちに重くなったじゃないかい」
「ウソつけ、そんな変わってねぇだろぉが」
「キヒヒ、そうかもねぇ」
何気ない会話をしながら、クモの巣の奥まった所へ行ってしまう。
「ちょっと待ったアラクネ」
「んっ? なんだいコーイチ。あたいを呼び止めるなんて珍しいじゃないかい」
アラクネは振り返ると見下ろした。十一の赤い瞳が俺を捉える。
巨大グモに睨まれるってかなり迫力あるな。怒らせるかもしれないことを聞いて、無事に帰れるかな。でも、聞かないと決心がつかないし。
「聞きたいことができてな、俺との子供を産んだ理由を教えてほしい」
「そりゃーまた、今更なことを聞くんだねぇ。命令されたから、コーイチも知ってんだろ」
背中にデッドを乗せたまま平然と答えた。クラーケンの怒りっぷりから考えると、拍子抜けだ。
「まぁ、そこまではな。俺が気にしてんのは俺を受け入れるたときの心境だ。命令されたから産むって、簡単にできることじゃねぇだろ」
「なるほどねぇ。コーイチはそこを気にするようになったわけかい。そぉだねぇ。ぶっちゃけると男にこだわりなんてなかったよ。でも、チェル様の命令をただ聞くのは癪だったね」
どこまでも淡々と答えるアラクネだけど、内容がないようなだけに身体が冷える。
「癪? なんで」
「ただ単純に、気に食わないからさ。チェル様は生まれが特殊でねぇ、その特殊なところが嫌だったわけさ」
特殊な生まれ。生粋の魔族じゃないところか。だとすると。
「アラクネは、食堂がもっとも嫌いってわけか」
「キヒヒ。コーイチも嫌なやつだねぇ。まっ、あんたの場合はそこまで嫌いでもないけどね」
痛いところを突いたはずだが、アラクネは愉快そうに笑い飛ばした。もうとっくに気持ちの整理はできているみたいだ。
「あたいも魔族だからね、生理的にダメな物はダメなのさ。だから、幼いチェル様を殺そうと思ったこともあったね」
とんでもない暴露話に身体が竦む。力もないっていうのに、思わず臨戦態勢をとってしまった。
「実際に手を出したさ。けどね、憎たらしいことに返り討ちにされちまったよ。子供の身でありながら、あたいよりも強かったんだ。死にかけたさ。おかげで歯向かうのが怖いね」
マジか。チェルもかなり壮絶な子供時代を送っていたんだな。でもアラクネの話もなんかピンとこねぇ。ホントのことだと思うんだけど、言葉に感情がこもってなさすぎる感じがする。気持ちを抑えている感じもしないし、達観している……ってわけでもない。
「なぁ、アラクネ。ひょっとしてだけど、チェルをそんなに恨んでないんじゃないか」
「なんだい。もうバレたのかい。気には食わないけど強さは認めてるのさ。けど、歯向かうと怖いのも本当さ。だからあたいは、デッドを産んだのさ」
最終的には恐怖、か。これは、デッドがいないときの方がよかったのかもしれん。
「だっさ、ババアも情けねぇな」
「こればかりは言い返せないねぇ」
デッドの嘲りに、アラクネは苦笑で返すことしかできない。きっとやりきれない思いもあるんだろうな。
「最後に、俺のことはどう思っていた」
「そうさねぇ。こだわりはなかったけど、おいしそうとは思ったね。今ではいろんな意味でおいしい男に見えるよ」
冷汗が頬を撫でた。どういう意味のおいしいか知らないけど、早く逃げないと食われそうな気がして堪らない。
「キヒッ。冗談さ。話は終わりだよ。終わったらデッドを頼むよ」
意味深に笑うとクモの巣の奥まった所へ行ってしまった。また一つ、寿命が縮んだ気がした。




