647 今日も囚われる聖なる女神
地下鉄から出た俺は、遠目に見えるプラサ・プレーヌを確認する。
獣王城と仮名した大きな城を中心に、城下町が囲うように広がっている。外敵から街を守る堅牢な外壁も備えてある。まぁ今は俺達獣王軍が占拠しているからオールオープン状態だがな。
「少し見ない間に、外壁の外に農地が広がっているようだな。貧弱だった人間も扱き使えば逞しく鍛えられるというものか」
筋肉は自分の物だろうが他人の物だろうが、鍛え上がっていく姿を目に見れるのは楽しい。最初はジメジメとしていた性格も、心なしか鍛え上がってからはアクティブになっているようだ。
「やはり筋肉は人生だ。つけばつくほど気持ちがイキイキとする」
腕を組んでウンウンと頷いてから、プラサ・プレーヌへと駆け出す。
距離に換算するとかなり遠いが、俺の脚力なら数分といったところ。
人間共が働かされている開発地へ入ると、俺に気付いて恐れ戦く声が耳に届いてきた。
「おぉ、グラス様だ。久しぶりに戻ってこられた」
「今日もしなやかな足の筋肉をしておられる」
「私たちもあれぐらい筋肉をつけたいわ」
俺は貴様らと違って生半可な鍛え方はしていないからな。負けるはずがなかろう。しかし高い理想を持つのは決して悪い事ではない。せいぜい足掻くといい。
外壁の門を潜ると、整った街並みには捕虜の人間と獣王軍とで溢れて賑わっていた。
小動物系の魔物を抱きかかえて癒される人間もいれば、大型魔物と並んで重そうな荷物を運ぶ人間もいる。
もはやプラサ・プレーヌの人間共は魔獣のいない生活に戻れまい。見事に洗脳され、当たり前に魔獣がいる生活にのめり込んでしまっている。
俺の侵略の賜物と言えよう。これほど人間の尊重を壊す侵略は他の兄弟にはできまい。
「おっ、ダンナ。お戻りですかい」
「こんな街の入り口で気色悪いしたり顔をするのはどうかと思うわよ」
「ダンナおかえりぃ。ボクたちいっぱいがんばって人間共を扱き使ったんだよぉ。褒めて褒めてぇ」
「さすがはダンナ。重役出勤ってやつですなぁ」
声をかけられて振り返ると、四匹の魔獣達が門の方から声をかけてきた。農地で働いていたところ、俺を見つけて追ってきたのだろう。
黒い大柄の熊のクロ。銀色の毛並みが美しいオオカミのギン。ふわふわでまん丸な白ウサギのシロ。首が長く筋肉が引き締まっているキリンのキー。
みな人の言葉を発するところまで鍛え上げたリーダー格の魔物達だ。
「まったく。お前らには尊敬って言葉がないのか。少々馴れ馴れしいぞ」
やれやれと溜め息交じりに許してやる。もはや直せない事は重々承知しているからな。
「まぁいい。変わりはないか」
「街の開発が順調に進んでいる事以外は何もないな」
「あーやだ。ダンナは何か起きててほしかったのかしら」
「大ケガする人間もいなかったしぃ、順風満帆だねぇ」
クロが端的に伝え、ギンがひねくれ、シロが明るく振る舞った。
「強いて問題を上げるなら、ダンナがいない間ドゥーシュが寂しがっていたぐらいかな」
最後にキーが爆弾を落とす。よし、聞かなかった事にしよう。
「そうか、ご苦労だったな。引き続き持ち場に戻ってくれ」
「あれ、重要な情報なのに無視ですかい」
キーが追い打ちをかけてくるが知った事ではない。そもそもなぜ聖なる女神が俺の事を寂しがる必要があるのかナゾで仕方がない。
「そうですよ。せっかく戻ってきたのだから、気にぐらいかけて下さいよ」
耳元で囁かれて身の毛が逆立った。振り向くと妙齢の落ち着いた女性が真後ろにいた。気配も匂いも感じ取れなかった。一体どうやって俺に近付いた。
白く長い髪を腰まで伸ばしていて、黒くおっとりとした瞳で俺をまっすぐ見つめてくる。青い法衣を身に纏っていて、白いブーツを履いていた。
「ドゥーシュ。人質なら寂しがってないで恐怖に怯えていたらどうだ。それかくだらん正義感を燃やして軽蔑の眼差しを送るべきだ」
「グラスがそういう性癖をしているならしても構いませんけどね。お帰りなさい。お話しがあったら聞かせて下さる」
慈愛に満ちた微笑みを浮かべられ、思わず顔を逸らしてしまう。
「ホント、グラスはかわいい方です。さっ、ワタシを牢獄まで連れ去って下さいませ」
白く小さな手を差し出されながら俺の動きを待つドゥーシュ。完全に舐められている。気のせいか周囲の視線も生温かい気がする。
「ふん。せっかくシャバの空気を吸えていたのに牢獄へ逆戻りとはな。災難な女神だ事だ。俺が直々に連れ去ってやろう」
俺は壊れ物を扱うように手を取って、丁重に獣王城へと先導する。周囲から聞こえるヒューヒュー音は覚えておくからな。後で腹いせしてやる。
ドゥーシュの微笑みが聞こえたせいか、顔が熱くてしょうがなかった。




