61 母親たちの気持ち クラーケン編
土がむき出しの洞窟通路を、俺はアクアの小さくてやわらかい手を繋いで歩く。
本日はアクアを、地底湖にいるクラーケンのところへ連れていく日だ。魔族である母親にしか教えられないこともあるだろうと、モンムスを順番に母親の所へ連れて行っている。
当然チェルには、他のモンムスたちの子守りに専念してもらっている。
「そしたらね、フォーレがブワァって木を生やしたの。ホントに凄かったんだよ」
アクアは開いている手で山を描くように大きく動かした。ジャンプまでするもんだからウェーブのかかった青い髪が跳ねる。驚いた表情まで作って、生えた木の大きさをアピールしている。
二人きりで話していると会話が絶えない。俺がいない間に起こったことを、これでもかってほどに盛り上げて話してくれる。
「フォーレは寝ぼけた顔して凄い娘だからな。大きくなったら更地に森なんか簡単に作れるようになるかもしれんぞ」
「すっごーい。そうしたら森のお姫様だね」
大げさに盛ってみたら、青い瞳をキラキラ輝かせて食いついてきた。まさに入れ食い状態だ。自然と笑みがこぼれてしまう。
楽しそうで何よりだ。アクアの兄弟生活は出鼻で挫かれたからな。フォーレやシェイが空気をよくしてくれなかったら怯えっぱなしだったんじゃないか。
「それとね、シェイもかっこいいんだよ。手を黒く光った剣にしてズバッて。私もシェイのように強くなりたいな。剣でバッタバッタって敵を切り倒すの。
アクアは手を忙しく動かしながら、敵を切って活躍する自分を想像する。口は常に弧を描いていてご機嫌だ。
アクアに剣か。悪い組み合わせじゃないんだけど、スキルのことを考えるとミスマッチな気がする。水槍錬成の字面からして、槍を使えた方が効率いいと思う。
俺は頬を指でかきながら引きつった。目指す道を逸らすような提案をしなければいけないことに、いささか罪悪感を覚える。
「剣か。剣もいいけど、アクアは槍の方が似合うと思うぞ」
「槍?」
俺たちは立ち止まると、手を放した。両手で空想上の槍を構える。ジェスチャーしながら説得を試みた。
「そう、槍だ。こう構えて、相手の間合いの外から一点を突く! 薙ぎ払いも大胆ながら迫力のある一撃を放つことができるし、場合によっては投げることで遠距離にも攻撃範囲を広げることが可能だ。どうだ、かっこいいだろ」
派手に見えるように大きく動きをまねてから振り向くと、眉をしかめたなんとも微妙そうな表情が目に入った。
あれ、つかみが全くもってよくない。どうして。
「えっとね、パパの言う槍も、かっこいい……と思うよ」
アクアは指先をもじもじと突かせながら、目を逸らして言いにくそうに言葉を紡ぐ。
えっ、何。その必死に気を使っているような仕草は。ひょっとして、槍じゃなくて俺の動きがかっこ悪かった?
とても認めたくない予想だ。もう俺も若くはないけど、認めたくない。
「でも私、やっぱり剣の方がいいな。ダメかな、パパ」
チラチラと許しを請うように青い瞳が見上げてくる。まるで断られるのを怖がっているようだ。そうだよな、いくら何でも俺が強引すぎたんだよな。アクアは悪くないぞ。
「すまん。俺が悪かった。剣でもなんでも好きに使ってくれ」
「やったー。ありがとパパ。大好きだよ」
アクアは胸の前で手を組んで喜ぶと、跳ねるように俺へと抱き着いてきた。
「おおっと。ははっ、俺も好きだぜ。さ、クラーケンのところへ行こうか」
「うん」
アクアと一頻りラブラブしてから、手を繋いで歩き出した。
「聞こえてたわよコーイチ。アクアとイチャイチャしちゃって、羨ましい。悔しいから私も混ぜてよ」
辿り着くと、地底湖から青い巨体を出したクラーケンがイカ足をウネウネさせながら待ち構えていた。どうやら嫉妬全開のご立腹モードだ。青い目がビコーンって光っている。
「勘弁してくれ。アクアならまだしも、俺は水中用に身体ができてないんだ。謝るからそのウネウネ動いている足をゆっくり近づけてこないで」
クラーケンとの間に二人目の子供なんてさすがに望んじゃいないからな。アクアだけで充分だから。
「もぉ、しょうがないわね。許してあげちゃう。アクア、服を脱いでこっちにいらっしゃい」
クラーケンは身体をウネウネ動かしながらJKのような色っぽい声を出して許してくれた。
「はーい、ママ。パパ、コレお願いね」
アクアは青いワンピースを下から捲りあげるように脱ぐと、丁寧にたたんで俺に預けた。
「おう、しっかりママに甘えてこい」
アクアは惜しげもなくすっぽんぽんになる。まだまだ成長には程遠い、プニプニとした肌が瞳に眩しい。
地底湖まで勢いよく走って飛び込む。パシャンと小気味いい入水音が響くと、すぐにアクアは顔を出した。いや、顔どころか身体まで水面からにょきっと出している。
艶やかな白い肌には触手が巻きつくような模様が描かれ、下半身にはイカの足が十本伸びている。
パパと言って笑顔で手を振るので、柔和に微笑んで振り返しておく。
青い髪が濡れて額に張りついている。毛先からは水滴がポタポタと落ちて、身体からも水が独自のルートを通って地底湖へと流れてゆく。
気分としてはプールで娘が楽しんでいるのを眺めるカナヅチの父親だ。いや、俺も泳げないことはないのだが、水産系の魔物と比べたら……ねぇ。
「じゃあアクア、速く泳ぐ練習しよっか。コーイチ、行ってくるね」
「あっ、クラーケン。ちょっといいか」
クラーケンがアクアを連れて潜ろうとしているところに待ったをかける。
「なに、コーイチ。私のイカ肌が恋しくなった」
クラーケンの三角頭がねじるように振り返る。アクアもきょとんと待っていた。
「なんだよイカ肌って。単語に魅力のカケラも感じねぇよ。それより聞きたいことがあるんだ。単刀直入に、なんで俺なんかの子供を産んだんだ?」
「ちょっとコーイチ。アクアの前でデリカシーのないこと言わないでよ。傷ついたらどうするのよ」
クラーケンが慌てて反発する。イカ足が二本、俺の足元まで瞬時に伸びてきた。怖ぇよ。ついうっかり引きずり込むつもりだったのか。
口元を引きつらせて苦笑いしていると、三本目のイカ足を鞭のように地面を叩きつけて俺を威嚇する。思わず腰が抜けた。
「うおぁ、ちょっと落ち着いてクラーケン。単純に気になっただけだ」
ちょっと、地面が抉れてんだけど。ドガンって轟音がしたし、イカ足もしなりが半端じゃなかったし。
俺はM字開脚全開にし、両手をクラーケンに突き出してストップをお願いする。
「いくらコーイチでも言っていいことと悪いことが……ん?」
「やめてママ。パパをいじめないで。私は何も気にしてないから」
怒り狂うクラーケンをアクアがイカ足を伸ばして止めてくれた。三角頭に二本の足が巻きついている。
「アクア……わかったわ。アクアを、って言うよりコーイチとの子供を作った理由ね。えっと、そのぉ……」
一度は意を決したクラーケンだが、言いにくそうに視線を逸らすと申し訳なさげにアクアを見下ろした。
母親として言っちゃいけないことだもんな。そりゃ後ろめたいわ。
「チェルに言われたからだろ。大丈夫だ。アクアもそこはわかっている。俺が気にしてるのは、言われたからって理由で、どうして簡単に俺を受け入れたんだ」
苦い記憶だが、思い返してみるとクラーケンはスムーズすぎた。クラーケンだけじゃない。例外はいるけどみんな受け入れるのが早かった。
「それは……やっぱりダメ。そう簡単には言えないわよ」
フルフルと三角頭を横に振って否定する。俺たちに知らせてはいけない何かがあるように。いや、あるんだろうな。
「食堂のことなら俺は知ってるぜ」
チェチーリアのことを暗に示したら青い目がビコーンて光った。毎回、何かが起動しそうで怖いからやめてほしい。
「そっか、わかったわ。ていっても私は大したことないわよ。チェル様の助けになりたかったから。ホントにただそれだけ。チェル様が生まれたときから知っていて、ホントにかわいかったもの。生い立ちもそれなりに知ってるし、手を差し伸べたかったの」
「そんな理由で、見ず知らずの男との子供を作ったのかよ。よく受け入れたな」
「いきなりコーイチを連れてきたときは、さすがに驚いたわ。正直、これっぽっちも好みじゃなかったもの。人間って時点で、ねぇ」
頭を傾げながら同意を求めてきた。
ホントに仕草だけを見るとかわいらしいから腹立つな。まぁ、意見はもっともだけど。
「でもチェル様の頼みだもん。聞いてあげなきゃって、あのときは無茶してたな。それにチェル様は昔こそお転婆だったけど、無茶をホイホイ言うような歳じゃなくなってたもん。私も覚悟を決めたわ」
「愛されてんだな、チェルは」
俺が呟くと、クラーケンはクスクスと笑った。
「これで話はおしまい。でもでも、今はコーイチのことを愛しく思ってるわよ。かわいいアクアにも恵まれたし、その気があったらサービスしちゃうわよ」
「よしアクア。話が終わったからママと一緒に泳ぐ練習しような」
危機感を感じた俺は、黙って聞いていた娘に全てを託して逃げた。
「んもう、いけずなんだから。でもでも、そんなところも好きよ」
「気持ちからっぽで受け取っておくよ」
「ふふっ。待たせてごめんねアクア、行こっか」
クラーケンが促すと元気にうん、と頷いて地底湖へと潜っていった。
なるほどね。母親たちは全員、個々で覚悟を決めたってわけか。やっぱ全員から話を聞かないとダメだな。できればマンティコアとユニコーン。それからスケルトンは避けたいんだけどな。
前者二人は危険だから、後者は話が逸れそうだから気が向かないのだった。




