59 魔王の歴史
「大雑把にモンムスたちを作った理由と、魔王になりたい訳には触れたつもりだ。けど、あくまで想像でしかない。よかったらでいい、俺に教えてくれないか」
外堀を埋めるだけ埋めといて何を言っているんだろうな、俺も。でもオモチャのままでいたら、役に立つことはできても支えることは永遠にできない。
すっごく無力で、本気で情けない生き方でしかなくなっちまう。
「コーイチのクセにいい身分ね。コーイチのクセに、こんなに近づいてくるだなんて」
チェルはうつむくと、窓の傍まで行って外を眺めた。小さな背中が夕焼けの影に染まる。
改めて、小さい背中だ。知ってしまったせいか、幾分か頼りなく見える。
「私はお父様もお母様も大好きよ。生まれたときから、今でも。魔族のみんなや魔物たちもやさしかったわ」
外を眺めながら、背中越しに語りだした。
「昔は私もお転婆だったわ。魔族のみんなを巻き込んで走り回ったり、お父様にじゃれついたり、お母様にオヤツをねだったり。思い通りにならないときは全力で癇癪を起したのも懐かしい記憶だわ。そのたびに魔物が減って、お父様を困らせてしまったけれどね」
フフッと懐かしみの笑みが漏れた。
美しい記憶、か。魔王様もあの強面で苦労が絶えなかったのか。娘の癇癪で部下が減るなんて。リアも苦労して……なんだろう、笑顔が曇るイメージが全くできないんだけど。些細なことだと微笑んでいる図しか浮かばない。
想像すると渋面してしまった。たぶん間違ってないのが怖い。
「お話もたくさん聞いたわ。魔王としての役目を聞いたときは、私が勇者を倒すんだって燃えたもの。お父様からは何度も倒してはダメだと言い聞かされたわ」
まぁ、そうだよな。子供ってヒーローやヒロインに無条件で憧れるもん。悪役になって負けたいなんて思うやつの方が稀だ。
「魔王は勇者に負けなければならない。理解するのに数年が必要だったわ。納得するには更なる時間がかかったもの」
「やっぱり、怖いか」
絶対に死ななければならない戦い。勝利条件が負けなのだから皮肉だ。気持ちの行き場がなくなるのも無理はない。
「怖いのは当たり前よ。死は勿論のこと、中途半端に負けることも許されない。人間社会が完全に切り替わるタイミングも探り当てなきゃいけないし、世界をしっかりと導く勇者も育てなきゃいけない。全ての責任が『魔王』にかかっているのだから」
「だから、弱い魔物を勇者にあて続けえることはできない。かといって強すぎては勇者が潰れてしまう。塩梅のいい好敵手が必要になるわけか」
「えぇ。そういった意味でも、コーイチの子供たちには期待をしているのよ。私の場合、配下の魔物を一から育てる余裕がなさそうだもの」
チェルが窓を開けると、ゆるい風が金髪のボブカットを揺らした。肩越しに振り返ると、憂いに満ちた赤い視線が俺を見据えた。
「いつまでそこに突っ立っているの。独り言みたいで味気ないわ。私の隣に来なさい」
声色には切なさが混ざっているように感じた。
孤独な気分になりたくないんだろうな。気持ちが少しでも紛れるってんなら、お安いご用だ。
無言のまま歩いて、チェルの隣に並ぶ。枯れた森が夕焼けに染まっていて、寂しさに拍車をかけている。
「チェルの番に、時間の余裕がないってどうしてだ」
「魔王の侵略は基本的に、百年前後の期間になるわ。魔王が動いてから、勇者は誕生する。一人の魔王が相手する勇者は一人ではなくってよ」
「ちょっと待て。じゃあアスモのおっさんが相手している勇者は一人じゃないのか」
例えば、勇者が四人集まったパーティーで攻め込んでくるとかあるってことなのか。
チェルの方にバッと振り返ると、横顔のままクスクスと笑みをこぼした。
「一度話しただけでかなり打ち解けたようね。お父様をおっさん呼ばわりなんて」
皮肉交じりに振り向くが、瞳は子供のように澄んでいて愉快そうだ。
「どっちかってぇと、リアのせいだけどな」
「お母様なら納得だわ。話を戻すけれど、勇者がイッコクに存在するのは常に一人よ。だけど一戦目、二戦目の勇者は魔王を倒す器じゃないの。世界も混乱して、収拾がつかない時期ね。だから、魔王は勇者に絶対に勝ってはいけないわけではないわ。状況が整うまでは勇者を倒し続けねばならないの」
微笑む姿はまるで、できの悪い生徒がようやく学習してくれたと喜ぶ先生のようた。
「驚いた。魔王も勇者に勝っていいんだな」
ゲームでいう、プロローグかな。たくさんの勇者たちが魔王に挑んで敗れていった。今度こそはと最後の勇者が旅立つ。魔王が絶対に負ける条件から外れる時期あってもおかしくないな。
「理解が早くて何よりだわ。魔王は勇者を倒してもいいの。でも、最後は絶対に倒れなければならない。魔王の一番難しい部分は、どの勇者に負けるかの選定よ」
最終的には失敗の効かない一発勝負か。敗北が絶対だったのなら、選ぶ手間なんてなかったはずなのに。妙に嫌らしい選択肢が用意されてやがるぜ。
「あれ、だったらチェルが急ぐ理由なんてないんじゃないか?」
アスモのおっさんが勇者に倒されたら、魔王が鎮まる期間が始まるはずだ。
「ここでお母様の話になるわ。コーイチはどこまで聞いていて」
「あっ」
チェチーリアの過去。王都ロンギング。王位争奪。そして頭を下げて託された母親の想い。
「ここマリーヌ……いや、マリーが出てくるわけか」
チェルは瞳が瞬く形で反応をした。気持ちを仕切りなおすように、髪をかき上げる。
「だいたいは聞いたようね。もうすぐ勇者もイッコクの情勢も整う。お父様の時代も近々、終止符を打たれるわ。負けるには間違いなく最適なタイミング。だというのにマリーという不確定要素が存在している。野放しにしていては、恐らく一瞬でイッコクは崩れるわ」
確信を持つ鋭い瞳。口は苦いものを噛んだように忌々しくゆがむ。
「そしたら、すぐにチェルの時代が始まるわけだ」
「それも、お父様を倒した勇者が全盛期の状態で、ね」
暗い何かに、身体が侵食されたような錯覚に襲われた。脳より先に肉体が絶望を感知する。
冗談だろ。あのアスモのおっさんを倒せるような勇者を、チェルが相手しなきゃいけないって。ンなバカな話があるかよ。
「理解したようね。顔色が悪くなっていてよ、コーイチ。ちなみに、私は本気のお父様に勝てる自身なんてないわ」
「はっ……ははっ」
乾いた笑いしかでねぇよ。喉の奥までヒリついて痛いぐらいだ。
「そうだ。何も正面から戦う必要もないんじゃないか。逃げちまおうぜ」
チェルは諦めたように微笑むと、目を閉じて首を横に振った。
「もう、私の代が始まるのよ。ここで逃げれば、イッコクが狂ってしまうわ。それに、マリー……あの女から尻尾を巻いて逃げるのが何よりも、癪だわ!」




