596 遺伝する野望
旅の休憩中だというのに、アクアとエリスは相変わらず特訓を続けている。向上心が高くて何よりだ。本当に、エリスは強くなったよ。
一汗かいてから談笑している姿を微笑ましく思いながら、ボクは剣を手にアクアへと近付いた。
せっかくだからボクも鍛え直してもらおう。いつまでも毛嫌いしていちゃいけないから。
声をかけようとした時に、チェル様という単語を耳で拾う。人名、アクアの言葉からも重要な人物なのだろう。
けど、それだけじゃない重みが名前の中に残る。勇者としての直感が、心の奥底からコイツだと訴えてくる。でもそれ以上がわからない。
「ところで。ジャスはそんなところに突っ立ってどうしたのよ。物騒な者まで持って、背後からアクアを斬りつけたりしないでしょうね」
考え事に耽っていたんだけど、エリスの言葉でハっと我に返った。顔を上げると茶色い瞳が不機嫌に睨んでいる。アクアもキョトンとした表情で振り返っている。
「いや、ちょっと考え事をね。それよりアクア、ボクとも手合わせをしてくれるかい」
気を取り直してアクアに頼み事を言う。するとエリスがより目尻をつり上げた。
「ちょっと。まさか手合わせと称してアクアを葬る気じゃないでしょうね。やめときなさいアクア」
うっと言葉に詰まる。辛辣だ。よもやここまで信頼がガタ落ちしていたとは。いや、当然か。先の戦いでボクはアクアもエリスも斬ってしまっている。
「無理を言ったね。すまない。忘れてくれ」
「やろっか手合わせ」
諦めて踵を返そうとしたところを、アクアの陽気な声が食い止めた。
「本気なのアクア。事故を装われるわよ」
「その時はその時だよ。それに、ジャスだって何か思っての提案だろうし。身体を動かした方が互いに想いをぶつけ合いやすいと思う」
アクアは気軽に言い放つと、笑顔でトライデントを構えた。ボクの事を許したと言うより、気にも留めていなかった感じだ。
「助かる。行くぞ!」
既に準備万端だと感じたボクは、躊躇いなく剣を振るった。本気で斬るつもりで。アクアが相手だ、本気で挑まなきゃ呆気なく負ける。
上段斬りを躱され、突き出るトライデントを避け、時には武器をぶつけ合いながら手合わせを続ける。
「やはり、強い」
「ジャスだっていい動きしてるよ。もうブランク消えてるんじゃない」
「言葉だけで、褒められてもね」
汗を流しながら隙を見つけて剣を振るうボクに対し、アクアは涼しい笑顔で応戦をする。しかもトライデント一本で。やろうと思えば水魔法も使えるのにだ。
やはり、タカハシ家の壁は分厚い。
「くっ」
気がつけばボクもエリスと同じように、トライデントを喉元へ突きつけられていた。
「参った。完敗だ」
「ジャスもいい動きだったよ。また手合わせしたくなったらいつでも声をかけて」
「ありがとう」
鍛え直さなくては。せめてトライデントしか使わないアクアに勝てるぐらいには。
「っで、何か相談したい事があったんじゃないの」
アクアがトライデントを水へ戻しながら問いかけてきた。バレバレか。
「アクアが知る限りの、マリーについて聞いておきたい。いつから、狂ってしまっていたのか」
もうマリーが殺されざるを得なかったのは認めるしかない。ただいつ気づけたら、マリーを正しい道に呼び戻す事が出来たのかを知っておきたい。
「あー。特に教えるつもりはなかったんだけど、ヴァリーがやらかしちゃったからね。マリーが狂ってたのは生まれた時からかな」
最初からだというのか。じゃあ、優しかったマリーそのものが幻想だったのか。
打ちひしがれてしまう。否定をしようにも、もう材料が尽きている。
「違うか。生まれる前からかも。先代勇者サルターレを巡った、マリーの母親マリーヌの因縁から始まっちゃってるからね」
「まさか、王女マリーヌ様が関わっているのか」
お歳に対してキレイなお方だった。肉体の崩れもなく、常に余裕の笑みを浮かべていた。
「話を割愛して話すけど、本来その席に座るのはマリーヌの姉だった。それがマリーヌの陰謀で遠い地へと消され、勇者の姫の座を奪ったの。溢れ出る野心を理由に」
「お偉いさんの野心って怖いわね。そんなに地位が大事なのかしら」
エリスが表情をゲンナリさせる。理解できない領域の話のようだ。ボクだって無縁でありたかった。
「マリーヌの夢は勇者の姫の座につく事。知っての通り先代勇者は魔王に敗北したから、今ジャスが勇者になってる。だから、娘のマリーに夢を託したんだろうね。マリーはマリーヌ以上の野心家に育ったから、言わなくても席を求めただろうけども」
王女の遺伝、か。ボクも先代も、そんなものに振り回されていたなんてね。
納得は出来ないけれども、理由を教えてもらえた事に感謝をしたよ。




