572 いたぶられる恐怖
突如、身体の内側から何かが肉を貫いてきた。
「がぁぁぁぁあっ! なっ、これはっ」
ボクの腹から突き出ていたのは、牙のように鋭く弧を描いた一本の白い肋骨だった。
何が起こっている。骨が勝手に飛び出るなんてあり得ない。
「キャハハハっ。わけわかんないよねー。体内から自分の骨が突き出してくるなんてさー。ヴァリーちゃんは相手に体液を染み込ませるとー、身体を自在に操る事ができるのー」
「体液を染み込ませるだと。そんな事をするタイミングがどこにあった」
問いかけると、マリーが血塗られた短剣をボクの眼前に突き出してきた。下に向けた剣先から血が滴る。
「ヴァリーを滅多刺しにしたこの短剣でしてよ。ジャスを突き刺した際に血液が混ざったんですわ。ヴァリーの返り血を浴びたこの身体も、アナタは抱き締めていましたっけ」
まさかこのために、ヴァリーは自傷する戦術を使ったというのか。そしてマリーは、その策に乗った。
「肋骨の一本ぐらい飛び出たところで勇者なら大したことないよねー。けどー、何本堪えられるかなー」
「あぁぁぁぁぁあっ!」
二本目の骨が身体を突き破って伸びる。こんな攻撃、避ける事も防ぐ事もできない。
「キャハハハっ。ヴァリーちゃん優しーからー、内臓を傷つけないように配慮してるんだよー。一本ずつじっくり増やしてあげるねー」
殺される。恐怖感で身体が震え上がる。今まで何度もツラく苦しい戦いをしてきたけれど、こんなにも恐怖を覚えた事はない。
「うっ、あぁ。助けてくれマリー。愛し合った夫婦だろう」
恐怖のあまりに、目前にいた最愛の人へ助けを求める。頼みの綱はもう、マリーしかいない。
「くだらなくてね。それに格下であるアナタを助けて、わたくしにいったい何の益があるというのかしら」
夫婦だったという事実を一言でバッサリと切り捨てられるなんて。平和な期間を寄り添い合って生きてきたというのに。
「所詮弱者に手を差し伸べるなんて感謝されたいってエゴに過ぎなくてよ。無価値な自己満足でしかないわ。そんな事をするくらいなら、他者を踏みにじって優越感に浸る方がよっぽどか健全ね」
温度を感じない冷め切った価値観が突きつけられる。
「もっとも、死んでしまったこの身じゃもう女王として君臨する事はできないけれど。ならせめて、人がわたくし達に跪く様を、ヴァリーの傍で楽しむ事にするわ。だからジャス、泣いて許しを請いなさい。絶対に許さないからっ!」
「レー○ートライデントっ!」
「はっ! あぁぁぁぁぁぁあっ!」
アクアの叫びが聞こえたと同時に、マリーの身体にトライデントが飛来し突き刺さった。守れなかったあの時を再現するように。
ただ今回は、衝撃こそ強かった物のショックはあまり受けなかった。
建物の壁へ磔にされるマリー。ヴァリーはとっさに跳び退いていたようで距離をとっている。
後ろを振り向く。フーフーと荒い息を上げながら、怒りの形相をしたアクアが今にも崩れ落ちそうに震えながら立っていた。
「死人が出しゃばってジャスの事を追い詰めないで。大人しく死んでてよっ!」
「アクア」
本気で声を荒げるアクアを見たのは、初めてだったかもしれない。




