56 魔王との邂逅
「今でこそ全てが愛おしいアスモでしたが、出会ったときは恐怖で腰が抜けましたわ」
そりゃそうだろ。一年経った今でも、魔王とは面と向かって話し合いたくねぇもん。
俺は呆れに目を細めながら、ハーブティーで喉を潤す。
「王都ロンギングに伝わるアスモの悪行は、聞くだけで悲鳴を上げるほど酷いものでした。たくさんの兵や冒険者たちが蹂躙され、その肉親や知り合いの嘆きが常に耳に届きました」
「当時は魔王様も動いていたんですね」
「今もアスモは働いていてよ。支える身であるわたくしが言うのもおこがましいですが、人間から見てまさしく地獄の集団ですわ」
ハーブティーがなくなったので二杯目を注ぐチェチーリア。おかわりを促されたので、急いでカップをからにする。なみなみとハーブの香りが注がれた。
微妙にありがた迷惑だったりするんだけどね。コーヒーないかな。
「国を支え、上に立つためには戦場を知らねばならないと幼い頃は思いましたの。無理を言って魔物の集団との防衛線について行ったことがあったのですが、聞きしに勝る現実の残酷さが広がっていましたわ」
あの、何でそこで笑顔になるんですか。あんなことあったなぁみたいな、懐かしむほのぼのさなんてあっちゃいけない話題なんだけど。
「押し寄せる魔物を食い止める兵たち。城壁の上から見守らせていただきましたけど、酷いものでしたわ。攻勢のときでさえ負傷者は出ます。劣勢になったら肉が裂かれ、血が飛び出し、骨が砕かれる頻度が急激にあがりましたわ」
当時のことを思い出したかのように声色を恐ろしくさせる。
そのわりには平然とハーブティーを飲んでいるよな。場の雰囲気を出すために演技でもしているのかもしれないけど、肝っ玉が太っといことだ。
「血のツンとする匂いが城壁まで届いてきましたわ。それに、様々な音も。隊長が部下を鼓舞する雄叫びもあれば、負傷した兵の叫びも。鍛え上げた兵とはいえ、練度の具合は個人差があります。恐怖に泣き喚くものなんて当たり前。場合によっては徴兵したことへの恨み事も耳に届きましたわ」
チェチーリアが語る戦場は、地獄絵図を表しているようだ。
実際に傷を刻まれたとき、想像を超える負傷を負ったとき、死の恐怖に直面したとき、人は醜い本性をさらけ出すという。みっともないって思ってしまうのはきっと、俺が戦場を知らないからだろうな。
「目を背け、耳を塞ぎたい衝動に駆られましたわ。ですが成長して王になった日には、何千何万といる兵の命を使わねばなりません。場合によっては、命を捨てろという命も下さねばなりません」
上に立ち、他者の命を使う。そこには命の数だけ力があり、願いがあり、希望があり、そして恐怖があり、悲しみがある。
ゴチャゴチャに混ざった感情の塊を自身の裁量で操らなければならない。失敗には多大なる犠牲がつき纏う。成功にさえ少なくない犠牲は出るだろう。
「王になるということは、民の命に責任を持つことですわ。苦しいときは怨言や苦痛を甘んじて受け入れなければならない。豊かなときでさえ不満と欲求はなくならない。様々な思惑をコントロールできてこそ、初めて王と呼べるのですわ」
重い。相槌さえも打てないぐらいだ。ハーブティーの味もよく分からなくなってきた。もしもリアが王になっていたら、魔王様も苦労……いや、安心できていたのかもな。
カチャリと音を立てて、チェチーリアはカップを置いた。
「王になるというプライドもありましたけど、命を使うことに対するプレッシャーは本当に重かったですわ。ふとするたびに、本当にわたくしなんかが王になってもいいのだろうかって悩みましたもの。まぁ、結局ならなかったんですけどね」
ホホホと笑う姿には憂いのカケラも感じられなかった。完全に吹っ切れているようだ。張りつめていた空気が弛緩して、肩の力が抜ける。いつの間にか緊張していた。
「じゃあよかったのか。王になれなかったことは」
チェチーリアは澄んだ碧眼を閉じると、首をゆっくり横に振る。顔を合わせると、瞳に険しい炎を宿らせた。
「よくありませんわ。わたくしが魔王城にいることによって、マリーヌが王都ロンギングを独裁してしまいましたもの。婿をとって王女になったものの、実権を未だに握り続けていましてよ。そこだけが悔やまれますわ」
「王都は、最悪の方向にむかってるってことか。魔王様も大変なこった」
「本当ですわ。アスモも魔物側とはいえ王ですもの。采配には繊細になっていますわ。話が逸れましたわね」
目の色にやわらかさが戻ると。なんの話をしていましたっけ? と首を傾げた。
「えっと、なんだったけ……あぁ、魔王様との出会いだ」
俺は腕を組んで唸ると、電球がつくように思い出した。握りこぶしを手のひらに落とすといった閃いた動作をついしてしまう。
「そうでしたわ。とにかく地獄の王、災厄の頂点とも呼べる存在のアスモちゃんと対面してしまったときには死を覚悟しましたわ」
このタイミングで魔王様をちゃんづけ。地獄の王、災厄の頂点には恐ろしいほど似合わない敬称をつけないでいただきたいのですが。重圧が霧散してしまいます。
「ほとばしる絶対王者のオーラ。人の願いをまとめて握り潰すほどの筋肉。何よりも、同じ場にいるだけで湧き上がってくる絶望感。一目で魔王だと、身体が理解しましたわ。あぁ、あの邂逅を思い出すだけで震えが止まらない」
両手で頬を包み込むように添えて、恍惚しているのはどうして。震えのベクトルが別方向に働いている気がしてならないんだけど。甘い吐息も漏れているし。
「わたくしの命もここで終わるんだって、一度は諦めました」
「それが、なんで……生きて、いらっしゃるんでしょうか」
俺は眼前に重度のヤンデレがいるという緊張感を持って聞き出す。そろそろチェルと子供たちのところへ帰りたいのですが。
「コーイチさんはもう知っていると思いますが、アスモは目的を持って人間を襲っていますわ。小娘であったわたくし一人を殺す理由なんてなかったのです」
「殺す理由がない、ねぇ。でもだからって生かす理由もなかっただろ。魔王城まで連れ込んでさ」
手間以外の何物でもない。現に今でもリアを隠して生活させている。聞いてる感じ当時の魔王は、リアのことなんてなんとも思ってなさそうだし。
「哀れに思ったようでしてよ。何年か経ってアスモから直接聞きましたわ。わたくしがマリーヌにされたことは、偵察の魔物によって筒抜けでしたの。いずれはアスモの最大の敵に育つことを楽しみに見ていたようでしてよ」
そうか。よくも悪くもリアは期待されていたのか。最大と言うからに、恐らく最後の敵として見据えていたんだろうな。
「ですが、初めて会ったときのアスモは無口でしたわ。震えるわたくしをまるで荷物のように肩へ担ぎ上げて、魔王城へと連れて行ったのですから。ここだけ切り取ると誘拐とさして変わりませんわね」
ホホホと上機嫌に笑う。時間が思い出を美しくしているんだろうか。笑い事じゃないはずなんだけど。
「魔王城に着いたわたくしは部屋に隔離されてしまいましたわ。牢屋ではありませんし手枷とかもつけられなかってのですが、自由は制限されました。調度類は一通り揃っていて食事もアスモが直々に運んでくれたのですが、数日間はベッドに丸まって震えてばかりでしたわ。もったいない」
「最後に思いっきり感想が入ってんだけど」
しかも数日って。数十日でもなければ、数ヵ月、数年でもないんだよね。
「アスモは他の魔物たちが間違ってわたくしを殺さないように気を使ってくれていたのに、怯えることしかできなかっただなんて」
「俺のツッコミは無視ですか」
「舌打ちしたい気持ちでいっぱいになりますわ」
「それどっちに向かっての舌打ちなの、ねぇ?」
「勿論、過去のわたくしに向けてですわ」
ニッコリとした笑顔は、俺が人生で見てきたなかで一番ブラックなものだった。
変なタイミングで舌打ちとか言わないでよ。俺リアさんを、魔王様以上に怖く感じてきてんだよ。
「そして魔王城に連れられて四日目」
アクション早くね。
「怯えてばかりいても仕方がないので、話しかけてみることにしました。おっかなびっくりに話しかけると、アスモは丁寧に答えてくださいましたわ」
史上最大の恐怖だろ。もうちょっと怯えていようよ。
両手をゆっくり合わせ、目を閉じて思いを巡らせる。学生時代の初恋を思い出すような仕草だ。
もう、つっこんでも仕方ねぇわ。
「話してみると案外、気さくなお方でしたわ。長い時間をかけてお話いたしました。魔王と勇者の関係を。魔王の存在意義を。わたくしがいなくなってからの王都ロンギングのことも」
俺はハーブティーを飲む。あっ、二杯目もなくなった。
「最初は虚勢を張り、緊張して会話をしていましたが、いつしかお茶を飲みながら気軽にしゃべられるようになりましたわ。アスモに捕らわれてから半月も経った頃でした」
「順応能力が異様に高ぇよ。てか魔王も秘密を晒すの早すぎじゃねぇか」
なんで人間に魔王の秘密が漏れてないんだよ。ガバガバのクセして。
「アスモの事情を知っても、人間にしている仕打ちは許しがたいものです。すぐには賛同できるものではありませんわ。戦場では紛れもなく人間の血が流れているんですもの」
さすがに葛藤がなかったわけでもないか。人間側だからな。ホイホイ受け入れられるもんでもないか。
「割り切るのに一日もかけてしまいましたわ」
チェチーリアは手を頬にあててため息をついた。長い決断を悔いるように。
「一日って、どの人間よりも最速で決めれたと自負していいスピードだと思うぞ」
或いは、薄情と呼べるレベルだな。
「何はともあれ、そうやって少しずつ、少しずつアスモと愛を深めていきましたわ」
大事なことなので二回言いましたみたいなノリだけどさ、絶対に最速を刻んでるよね。RTAをしたなら驚異のタイムになってそうなんだけど。
「こうして、五年という甘い時間をたっぷりと使って誕生したのが、チェルでしたの」
あぁ、チェルがようやく生まれたよ。その五年、ホントに世界一甘い果実のように甘ったるそうだ。なんって果実だったっけ。後でマイルームで調べよっと。




