563 面影
「いいねー。その現実を受け入れられないって表情ー。けどー、絶望に浸っちゃってる暇なんてないんだよー」
魔王ヴァリーは座っていた棒を握りながら飛び降り、器用に壁から抜きながら地面へ着地した。
肩にかけている得物は大鎌。それもかわいい装飾という、ムダな物を取り付けた代物。壁に突き刺さって隠れていた深紅の刃先は、宝石のようにキラめいていつつも返り血のように禍々しい。
「なっ、あっ、うっ」
崖の底へと吸い込まれるように落ちていったワイズとクミン。ワラワラと群がるアンデットの集団。不遜な笑みを浮かべて対峙する魔王ヴァリー。どれに視線を向けていいかわからずにオドオドと顔を動かしてしまう。
「やだー。せっかくの美人が目の前に立っているのに目移りなんてさせないでよー。ヴァリーちゃんに注目してくれないとイタズラしちゃうぞー」
ワイズとクミンは無事なのか。まずは群がっているアンデットを一掃すべきか。魔王ヴァリーに集中べきか。色んな考えが頭の中を駆け巡って、まとまらない。
「ヴァリーちゃんの事だけを考えないとー、呆気なく死んじゃうよー。さっき落ちてった二人みたいにさー」
油断してるのか無防備に突っ立ったままニヤニヤと見下してくる。
「勝手に決めつけるな。まだ二人は死んだと決まったわけじゃない!」
とても肯定できない事に触れられ、勢い任せに駆け出して突きを放つ。
しかし単調すぎた攻撃は余裕の笑みと共に避けられ、膝で腹に重いカウンターを受ける。剣を取り落とし、四つん這いになって腹を抱える。
「がはっ!」
「ザッコー。拍子抜けもいいトコだねー。こんなに弱いならすぐにトドメなんて刺さずにー、いたぶってあげてもいいかもー」
「ぶっ!」
後頭部からハイヒールで踏み潰され、顔面から地面に叩きつけられる。そしてグリグリと踏み躙られる。
突き刺さるヒールの先と、ゴリゴリと潰される鼻先。遠すぎて嗅いだ事のない土の匂いが鼻骨まで直に伝わってくる。苦くてしょっぱい。土とはこんな味だっただろうか。
「あれれー、泣いちゃったー? いいのよー、赤子のようにワンワン泣いちゃってもー。誰も聞いてないしー、誰も助けに来ないからー。キャハハハハっ!」
何か魔王ヴァリーが喚いているけど、内容はあまり耳に入ってこなかった。何もできずに踏みにじられながら罵倒を浴びせられている状況が、ボクを無力感で苛んでくる。
コレが勇者か。一人じゃ何もできない、なんともみっともない男が。
ただただ罪悪感が胸の内からこぼれ落ちてくる。
ごめんワイズ。ごめんクミン。ごめんエフィー。こんなのを信じさせてしまって。命までも奪ってしまって。
ごめんエリス。ごめんアクア。ボクが無力だからって、輝いているきみたちにゲスな嫉妬をしてしまって。
ごめんマリー。守れなくって。政策をきみ一人に押し付けた挙げ句、あらぬ噂に踊らされ、汚職に手を染めているんじゃないかと疑ってしまって。
ごめん。
愉快そうな高笑いが響いている中、不意に駆け寄る足音が聞こえた。
「キャハハハ、何の音ー? あっ?」
驚きの声と同時に、頭からヒールが離れる。何が起こったか見上げると、魔王ヴァリーが何者かに背中から刺されていた。
カランと、魔王ヴァリーの持っていた大鎌が地面に落ちる。
「ちょっと、なんでアンタがここに」
語尾を伸ばすのも忘れ、ヴァリーは驚愕でオレンジの人目を見開きながら背後を見る。
誰だ。いったい誰が、なっ。
緩くウェーブのかかっている背中まで伸びた金の髪。自信に溢れた緑の瞳は、繊維の強さを表すように目尻がつり上がっている。
服装は戦場に似合わぬ、青いドレスを身に纏っていた。
平和なロンギングで暮らしていた頃の、隣にいた女性の面影が重なる。
バカな。こんな所にいるはずがない。だってきみは確かに、アクアに殺されてしまったじゃないか。マリー。
「よくも、よくもジャス様をこんな目に」
短剣を握る手が、妙に力強く感じた。




