53 胃袋の支配者
「まさかこんなところにいたなんてな。すれ違わなかったのが不思議なぐらいだ」
縦長の木製テーブルがたくさん並んでいる室内。人間サイズの魔物なら百人は軽く座れる広い空間だ。レンガ積みの壁は魔法の光に白く照らされている。
朝・昼・晩とお世話になっている食堂だ。
今は昼をすぎた微妙な時間帯のためか、魔物の一人もいなくガランとしていた。
壁の一部にはバーカウンターのような机と棚が設けられていて、奥に続く扉がすぐそばにあった。
「あの扉からガーゴイルが飯を運んでくれてたんだっけ。てっきりガーゴイルが料理していたのかと思ったけど、器用すぎるよな」
飯を食うときにいつも、皿には手の凝った料理が乗っていた。モンムスたちが食べる量も、自然と調整されていた。
「普通に料理を楽しんでいたけど、よくよく考えるとすっげー気遣いされてたんだよな」
好き嫌いが多い時期だ。できる限り苦手なものも食わせるようにはしている。ただ不満があがった食べ物は、二度目は少なく盛られていた。それでも嫌いな物の押しつ合いが発生するのだけれども。
細かな心遣いに感謝していたけど、よくよく考えたらおかしいよな。
「魔族の方もいい人はたくさんいたけど、繊細な心配りをできるかっていったら微妙だもんな」
半目になって、自分が何も考えずに毎日すごしていたんだと実感した。
バーカウンター近くのドアに寄って、決められた数をノックする。まず三回。合間を開けて三回。また合間を開けて七回だ。
誰が考えた合言葉か知らないけど、なんで三三七拍子なんだろうな。
「はい、今お開けしますね」
ハープのように耳にやさしい声がドアの向こうから聞こえた。
「あら、初めましてですね」
ドアが開くと、金髪碧眼の女性が姿を現した。背は頭半分ほど低く、目を合わせるとちょうどいい上目づかいが返ってくる。
「あっ、あぁ。初めまして。えっと」
肌は綺麗な砂浜のように白く幻想的だ。プニっと若さを保っている頬にパッチリと開いた瞳。髪はバッサリと肩で切りそろえられている。
初対面の相手って緊張するな。何を話していいかわからねぇぜ。それにしても、ホントにこの人がチェルの母親なのか。面影は確かに感じるけども、歳が。
「わたくしはチェチーリア・フォン・ノーバートと申します。以後、お見知りおきを」
チェチーリアは簡素なエプロンドレスのスカートを摘み上げてお辞儀をした。服装に豪奢さのカケラもないはずなのに立ち振る舞いは洗礼されている。
「えっと、コーイチ……じゃなくて、高橋浩一です。チェルにいつもお世話になっております」
俺は笑顔を貼りつけつつも、後頭部を撫でながらペコペコと頭を下げた。
チェチーリアはパァっと笑顔になると、感極まったようにパンと胸の前で手を合わせた。
「まぁ、あなたがコーイチなのね。チェルとアスモから話は伺っていてよ。で、どっちがわたくしのことを教えたのかしら、コーイチさん」
「ある程度は自分で辿り着きましたが、裏を取ったのは魔王様の方ですね。チェチーリアさん」
いつの間にか敬語を喋ってるよ俺。誰かのお母さんを相手するとき、敬語になる癖があるからなぁ。ってか、アスモって魔王のことだよな。また恐れ知らずというか、フランクというか……
「あっ、わたくしのことはリアでいいわよ。そんなに畏まらないで下さい」
「じゃあ、リアさんで」
ニコ目で承諾したが、小さな指が俺の鼻をピトっと触る。
「リアよ。さんづけなんて他人行儀はやめてください。ねっ。」
笑顔が迫ってくる。有無を言わせぬ威圧感を放ち、躾をする飼い主が如く言い聞かせてきた。
「はっ、はい。リア」
怖ぇよ。なんでこんなことを強要されなきゃいけないんだよ。ひょっとして魔王様も飼い馴らしていたりして。まさかな。
「はい、よくできました。話したいこともたくさんありますし、奥へご案内しますね。本当はチェルとアスモしか入っちゃいけないんだけど、コーイチさんは特別ということで」
チェシーリアは人差し指を口元に寄せてウインクをした。
仕草が恐ろしく若々しい。チェルを産んだと考えると、歳いってるはずなんだけど。
「あの、失礼ですが歳はおいくつなんでしょうか」
気持ち及び腰になり、いつでもバックステップできる態勢をとる。なんとなく嫌な予感がしたからだ。
「ダメでしてよ。むやみにレディーの歳を聞いては」
めっ、と子供を叱るような愛らしさで軽く否定する。
「ですよねー」
地雷を踏んでこの程度で終わるなら安いもんだ。一瞬千撃の平行移動につかまってバックに天と出る覚悟はしていたが、大事にならなくてよかった。
「わたくしもアスモほどの力があったら一度コーイチさんをコテンパンにしているんですけれどもね。か弱いレディーには窘めるのが精一杯ですわ」
怖ぇよ。内心では半殺しにする気満々だったよ。さすが魔王夫人だよ。
「なんてね、冗談ですわ」
お茶目に舌をペロっとウインク一つ飛ばした。
あぁ、もう歳なんてどうでもいいや。かわいいもん。なんでチェルにこのかわいらしさが遺伝しなかったんだろう。もったいない。
「ところで、どうして歳なんてお聞きになったのかしら」
俺がジーンと感動していると、疑問を投げかけてきた。
「チェルをお産みになったんでしょ。そこから計算すると、リアはありえないほどお若いので不思議に思ったんですよ」
「あら、お上手ですわね。わたくしなんて褒めてもおいしいお料理しか出せませんわよ」
ホホホと手を振りながら上機嫌に笑う。
「いえいえ、いつもおいしい料理をありがとうございます。でも意外ですね。いいところの王妃に見えるのに料理が上手だなんて」
「魔王城に来た当初は料理なんて、てんで駄目だったんですのよ。苦労はしましたけれど、今では魔王城を支えるほどの腕前になりましたわ」
首をちょこんと傾けながら、誇らしくニコ目の笑顔を向けた。
「そうですよなね。日々の努力あってですもんね」
なんか、サラっと重いことを言いのけた気がするぞ。額から汗が一筋ツッと流れる。
「いつの間にか立ち話になってしまいましたね。どうぞ、おあがりになってください。あまりお客をもてなすようなお部屋ではありませんけど」
「あっ、じゃあお邪魔しますね」
なんでだろ。ただのか弱い人間だっていうのに、魔王と話していた以上の恐怖を感じるのは。
ふいに先導するチェチーリアの背中が止まる。
「あっ、そうですわ。わたくしの歳は四一ですの」
「えっ、ウソだろリア。三十後半にすら見えないのに」
チェルと同じ歳だって言っても信じれる外見なのに。ホント若ぇ。
「あらあら言葉に素が出ていてよ。コーイチさんはどれくらい若く見積もってくれていたのかしらね。ホホホ」
肩越しに振り向くと影のある含み笑いで見上げてきた。
底知れぬ恐怖のなかに、艶めかしさが混じっているもんだから惹かれてしまう。女性には逆らえないな。
ホホホと肩を揺らすチェチーリアの背中を追うことしか、俺には許されなかった。




