496 有象無象も特別へ
風呂を出た俺は真っ暗な部屋で一人、ベッドに潜る。窓の外には星空が輝いていた。
あの空も、エアには似合いそうだな。
黄色い笑顔のシルエットがチラついては、透けるように消えてゆく。
失いたくないのに、また送り込んじまった。
「なぁデッド、シェイ。お前らが今の俺を見たら幻滅するか? 死んじまったお前らを今更取り返したくて仕方がねぇんだ。わかってて勇者の元へ送り込んだってのになぁ」
夜が重たい。いっそ一人きりなら知らずにすんでいた。ぬくもりが怖い。
ふとした時に湧き上がってくる負の感情が振り切れない。
「コーイチ、顔が酷くてよ」
声が聞こえて振り向いた。ドアが開くと、黒のナイトガウンに身を包んだチェルがゆっくりと歩いてくる。一歩ずつ腰をくねらせる様は、魅惑に満ちていつつも気品を感じさせられた。
「おいおいチェル。俺を見る前に顔が酷いとか断定すんのはヒデぇんじゃねぇか」
「仕方なくてよ。部屋の空気が黒く沈殿っているのだもの」
微笑みながら俺の顔の横に腰かける。尻が目前にある。視線を上げると背中越しに赤い瞳が見下ろしていた。
なんつぅか、女って細いよな。やわらかそうだし、求めれば手に入れられそうだ。
手に入れたらどうなるんだ? いずれは失う。失っちまう。
「なぁチェル。ちょっと気になったんだがよぉ、デッドやシェイが死んだ時、どう感じた?」
チェルだって子供達とは仲がいいんだ。俺と一緒で、失いたくないに決まってる。
「死んだ。って、それだけよ」
「は?」
なんの感慨もなく微笑みながら落とされた言葉が、胃の腑を冷たくする。
「思い出してご覧なさい。私は最初、駒が欲しくって子供を求めたのよ。惜しくはあるけど、それだけ。駒数が減ってしまってねと感想があるくらいかしら」
冷たい微笑が突き刺さる。どこまでも手下を物と数で考えているかのような発言に、困惑してしまう。
「確かに最初はそうだったかもしれねぇけどよぉ、今は違うだろ? 絆とか愛とか、チェルも感じてただろ?」
そうであってくれ。ちょっとした言葉の綾で、本当は凄く大切な家族なんだって宣言してくれ。
俺の願いを嘲笑うようにクスクスっと、小悪魔のように喉を鳴らす。
「おもしろい冗談ね。自意識過剰ではなくて。それは、コーイチの事は愚かなほど愛しく思うけど、他の子達に思い入れはなくてよ」
ウソだ。俺の子供達はこんな無感情な娘の為に命を賭けたわけがない。散らしたわけがない。きっとチェルなりのジョークで……
人を小馬鹿にするような蔑んだ瞳と目が合った瞬間、身体が急激に発熱する。
「うわぁぁぁぁあっ!」
叫びながら小さな肩に手を伸ばし、ベッドに押し倒して馬乗りになる。人形のように無感情で綺麗な顔に向かって、思いっきり腕を振り上げた。
「……中途半端に止まってないで、殴るか犯すかしたらどう。コーイチ。激情に身を任せれば案外、心のモヤは晴れるかもしれなくてよ」
「うるせぇ、殴ったって、なんも変わんねぇ」
振り下ろせなかった拳をほどいて、腕をぶら下げる。この状況、誘いやがったなチェル。
「ヘタレね。やっぱり魔王になるには優しすぎてよ。それなのにムリしてがんばってる。そんなコーイチだから、私もあの子達もコーイチの事が好きなの」
「好き? こんな情けなくて惨めで、中途半端なおっさんがか?」
「情けなく惨めになるまで傷ついたのは、弱者なりにがんばってきたからでしょ。脆弱なのに私や子供達の為に奮闘してくれたから、コーイチをかっこよく感じたの。支えたいと思ったの」
かっこいい、か。もう俺の人生には無縁の姿だと思ってた。
「だから、ひとりで自分の弱さを責めないでちょうだい。見ているだけで心が締め付けられてしまう」
「俺はそんな大それた人間じゃねぇって。どう朽ち果ててもかまわない有象無象の一人さ」
「コーイチが私やあの子達を大切に思ってるのと同じくらい、あの子達も私もコーイチの事が大切なのだから。有象無象の一人だって、長く付き合えば一番にだってなるの」
おいおい。どうしてチェルが泣きそうになってんだよ。さっきまで仮面みたいに無表情だったじゃねぇか。
「それに、何も求めない者は傷つく事すら出来ないわ。だからツラい事は誇ってもいい。でも一人で抱え込んじゃわないで、私たちに弱音をぶつけてきなさい。一番ツラい役目を引き受けたんだもの、それくらいは受け止めてあげてよ。たとえなんの解決にもならなくても」
チェルの開いた手のひらが、俺の胸にペタンと触れる。
「いい、コーイチがいるからあの子達は命を賭けれるの。あの子達はコーイチの事が大好きだから。私もね」
目尻に涙が溜まった笑みはどこまでも魅力的で、まっすぐ俺の心に贈られる。
「潰れてしまいそうになるくらいなら甘えなさい。私が誰よりも酷く飴と鞭を使い分けてあげてよ」
「あーあ。敵わねぇな」
ほっとしたら力が抜けて、チェルに覆い被さるように倒れ込んだ。
大切な壊れ物が幸せを呼んでくれる。一人だったら失う衝撃もないけど、きっと満たされもしなかった。
砕けない幸せなんて存在しなくとも、愚かをしながら縋り付く。
命のぬくもりを全身で感じながら、俺はまどろみに身を任せた。




