489 ただいま
二階建て一軒家タカハシ家の玄関でエアが、バツが悪そうな愛想笑いを浮かべていた。
「えっと、父ちゃん。ただいま……」
黄色の視線を空に泳がせながら、人差し指で頬を掻く。
エアだ。両腕は痛ましいほどグルグルに包帯で巻かれていて、顔や足といった見える部分に無数の傷跡がある。服なんてボロボロに破れたりすり切れたり、乾いた血の跡もたくさん。
それでも、生きてる。
生きて、帰ってきてくれた。ただそれだけの事で身体が震えてしまう。
「ウチやっぱり、みっともないよね。あんな大それた事を言っておきながら、オメオメと逃げ帰って……っ!」
床に膝をつき、小さくて華奢な身体に壊れてしまうかもしれないくらいの力を込めてギュっと抱きつく。傷だらけだって事も忘れて、体温と鼓動を感じ取る。
「ちょっとっ! 父ちゃん?」
「よかった。本当によかった。もう会えなくなると思ってた。もう失っちまったかと諦めてた。覚悟だってしてたさっ! けど、生きててくれた。うわぁぁぁぁあっ」
息が出来なくて苦しいくらい心臓が高鳴る。もう三十後半のおっさんだってのに、みっともないくらい涙が出てきちまう。
狡猾で搦め手が得意でちょっと素直になりきれなかったデッドも、まっすぐに武術と速度を磨き裏をつくのが得意な根の優しいシェイも、生きて帰ってきてくれなかった。
もうどんなに強くても、勇者との戦いに出たら誰も帰ってこれないと思っていた。
なのに今、エアが家にいる。腕の中に確かに感じる。ある。ただそれだけの当たり前が、苦しいほど嬉しい。
「父ちゃん」
エアに似つかわしくないしおらしい声が降ってくると、俺の頭が細く冷たい腕に巻き付かれた。
「エアっ……エアぁぁぁぁあ……」
「ありがと。ゴメンね、心配かけちゃって。けどウチちゃんと生きてるから。帰ってきたから。だから、ただいま」
あぁ、俺はダメな父親だ。ただいまって言ってるのに、おかえりって返す余裕がないだなんて。
嫌だ。もう失いたくない。俺の子供達を、未来を。全部投げ出したい。魔王なんて、魔王なんて……。
脳裏にチェルの儚いシルエットが浮かんでしまう。いやエアしか視界に入ってなかっただけですぐ後ろで見ている事だって知ってる。
ここにきてようやく、俺はチェルと子供達を天秤にかけちまった挙げ句、チェルを選んだ愚かな父親って事をわからされるなんて。
守れるのならチェルも、子供達も両方選びてぇ。選びてぇよぉ。
「大丈夫。ウチは今、傍にいるから。ツラかったね。大丈夫。どんなに泣いたって受け止めてあげるから。だから心の檻に閉じ込めてた物も全部吐き出しちゃお。大丈夫だから」
娘の広大な心へ解き放つように、ただ声を上げて存在を体感し続けた。狭い玄関で、俺の気の済むまで。




