322 行き止まりの向こうへ
朝早く起きた私はエリス達を起こさないように、釣り竿とクーラーボックスを持って宿を出た。
釣り竿とかは諦めてたんだけどね、ワイズが回収してくれてたみたいで助かったよ。
早朝特有の肌寒さに身震いする。ムリに早起きして怠かった身体が、空気に触れて少しずつシャンとしていく感覚は嫌いじゃないかな。
海が近い都だけあって、結構な人とすれ違った。これから仕事だとすると、ご苦労様だなって思う。
ただ飛んでくる視線が鋭いのが気になるかな。私がヴァッサー・ベスを支配しているって事を触れ回ったつもりはないんだけどね。けど別に口止めもしていないし、案外バレてるのかも。
西の海岸に釣りに行く事は書き置きしたから、そんなに大事にはならないでしょ。常に勇者たちの誰かが傍にいるから、ちょっと窮屈だったんだよね。
考え事をするならやっぱり、一人きりで釣りに限るよ。
のんびりと歩いて海岸に到着。釣り糸はまだ使えるよね。メンテせずにほかりっぱなしだったから強度が不安だな。まいっか。
海へ向かってキャスティングし、何も考えずに糸を巻き取る。釣る事を考えてない動きをしてるから、当然お魚なんてかからない。それでもひたすら繰り返す。
んー、ダメだ。答えどころか考えすら出てこないや。こういう時は相談に限るよね。チェル様、起きてるかな?
まだまだ早い時間だけれども、思い切ってチェル様のメッセージに引っかかるよう呼びかけてみる。
(アクア? そんな寂しそうに語りかけるなんてどうしたのかしら?)
繋がった。脳に直接、心配そうに艶めいた声が響いた。
(チェル様。えっと、近状報告と、相談したい事があるの。お父さんは起きてる?)
(だらしなく寝ていてよ。今優しく起こして上げるから待ってなさい)
お父さん寝ぼすけ……朝弱いからなぁ。
(ゴボハァァァア!)
……チェル様? どう優しく起こしたの?
リールを巻く手が止まってしまった。
(まったく。コーイチが早く起きないからベッドが水浸しになったじゃないの)
(声まったく聞こえなかったんだけど、水ぶっかける前にちゃんと起こそうとしてくれたのか)
(気配で感じ取りなさい。それより、アクアとメッセージが繋がっていてよ)
(は? ……マジか。急いで着替えねぇと)
濡れたパジャマ姿なのかな? お父さん身体最弱だから、風邪とか引かないといいけど。
(ホント、コーイチは世話が焼けてね)
やれやれって溜め息を漏らしてるけど、一手間増やしたのはチェル様なんじゃ。
メッセージは声しか聞こえないはずなんだけど、後ろのドタバタ音が聞こえてきそう。けど私の日常って感じで、ちょっと笑える。
(んでアクア。相談があるんだっけか。って事は決戦が近い感じだな)
あコレ誤解してる。決戦が近くて不安で、思わずメッセージを飛ばしたって思ってる感じかな。ってことはお父さん、凄く驚くだろうな。
(私の戦いはもう終わったよ)
(……はい?)
(アクア、どういう事かしら? まさか勝ったわけでもないでしょうね)
(ちゃんと負けたよ。けど殺されなかった。ごめんねお父さん。私、予定通りに動けなかった)
死ななきゃいけなかったのに生きてるなんて迷惑だよね。やっぱり私、中途半端だ。お父さんに手間をかけさせちゃってる。
(はっ……ははっ。そうか。負けてなお生きてるのか)
お父さんの放心したような笑いに、うんと頷く。
(よかったぁ。アクアが無事で)
(コーイチはずっとヤキモキしていたものね。もちろん私も心配だったわ)
(え?)
どういう事? 私、失敗したんだよ。それなのに、安心されてる?
(全力で戦って負けて、んでもって勇者に生かされたんだろ。なら堂々と生きりゃいいじゃねぇか。アクアの人生をよぉ)
生きる? 私の人生を?
(ありがとなアクア。オレのわがままに付き合ってくれてよぉ。けどな、オレもアクアのわがままに付き合いてぇんだ。アクアの未来を願いてぇんだ。だから、もう好きに生きていいぞ)
(好きに?)
(あぁ、オレの元に戻ってきて、戦わずに暮らすのもいい。世界を見たいんだったら旅行に出ても構わねぇ。時たまアクアが無事だって知らせてくれるなら、オレはそれだけで充分なんだよ)
戦いを終わって、お父さんと、みんなと一緒に暮らしてもいい。凄く魅力的な提案。だけど。何かまだ、迷いが残ってる。なんでだろう。
(大好きだぞ、アクア)
(うん。私も、お父さんの事大好きだよ)
どうしていいかわからないけど、大切にされている事と、大切だって事を再認識できた。まだ気持ちは決まらないけど、もうちょっとがんばってみよう。
(とりあえずまだ勇者の捕虜だから、私が決めるのは勇者の判断次第かな。ありがと、少しスッキリした)
(チャンスがあったらいったん戻っていらっしゃい。みんなと顔を見て話しましょ)
(うん。チェル様もありがとう。またね)
(ええ、また。いつでも私のメッセージに語りかけてきなさいな)
チェル様の気遣いを最後にメッセージが切れた。とりあえずしばらくは、勇者と一緒にいようかな。
方針が決まったところで止まっていたリールを巻き上げる。そして背中に近付く気配を感じながら、再びキャスティングをした。




