29 壊れかけのやさしさ
チェルは泣きじゃくるアクアを胸に抱え、隣の部屋へと入る。
子供部屋も必要になるだろうと、事前に用意しておいた。最初は全員を同じ場所で育てた方がいいと思い、小さな木製のベッドを八つ用意してある。
タンスも二つ用意をし、部屋の中央にはフカフカな黄色い絨毯を敷いて広いスペースを確保。子供はやんちゃだろうと想定し、暴れまわれるスペースを作っておいた。故に危ない物はベッドとタンスと窓だけで、危険を最小限に抑えてある。
コーイチ曰く、床も凶器になるようだけどね。想像がつかないわ。
「さっ、アクア。いい加減に泣き止みなさい。せっかくのかわいい顔がグシャグシャに歪んでいてよ」
私の胸に遠慮なく顔を押しつけるだなんて、コーイチの子供は遠慮がないわね。
ひっくひっくと苦しそうに息を荒げているアクアを離すと、鼻水がびょーんと私の胸まで伸びた。
……コーイチ、後で覚悟しておきなさい。
アクアは生まれたままの姿で絨毯に座り、あふれてくる涙を握った手でゴシゴシ擦りながら泣き続ける。
「とんだ泣き虫さんだこと。まぁ、コーイチの子供らしいけど」
ため息をついてからタンスを開く。魔王城に残っていた子供服のお古がたくさん詰め込まれていた。ミルクの匂いがふわりと漂ってくる。
「十年は昔のはずなのに、意外と匂いは残っているものね。とりあえずは、これでいいかしら」
誰のものでもない、私のお古。お父様は一日たりとも同じ服を着せなかったから、無駄に子供服の数が多く残っているのよね。
水色のワンピースを手にアクアのもとまで戻り、両膝をついた。飽きもせずによく泣き続けられることね。
「ほら、いつまでも泣いていないで、この服を着なさい。はだかんぼのままでは人の姿になった意味がなくてよ」
「ひっぐ、そんな気分じゃないもん」
「あらあら、駄々をこねちゃって。アクアがそれでいいのなら私はかまわないけど、コーイチが見たらガッカリするでしょうね」
アクアは弾かれたように顔を上げる。顔はぐしゃぐしゃで、青い瞳が涙に揺らいでいる。
「アクアが服を着られるようになるのを楽しみにしていたもの。でもアクアは着たくないんでしょ。だったらもう、どうしようもないわね」
「やだ、パパに嫌われたくない!」
ブンブンと首を振ると、ファサっと青い髪が揺れる。海中での水の流れって、こんな感じかしら。
「じゃあ、どうすればいいのかしら?」
アクアのプライドをくすぐるように問いかける。すると私から服をひったくり、いじらしく着るって言った。微笑ましいことね。
「そう、じゃあ手伝ってあげるわ。ほら、両手をあげてばんざいしなさい」
「こう?」
首を傾げながら両手を伸ばして待つ。ワンピースを広げ、上から被せてあげた。するりと水色の布が身体を包み込むが、頭だけが詰まってしまう。
「あらあら、頭が出ていなくてよ」
アクアはうんうん唸りながら、服を握ってひっぱった。キュポンと頭が抜けると、プハァとやり遂げたように息をはく。
「よくできました。似合っていてよ。かわいいわ」
「えへへ、ありがとう。パパも褒めてくれるかな?」
くるりと一回転して服を披露する。おさがりとはいえ一回しか着ていなかったので傷みは少ない。
水色のワンピースにウェーブのかかった青い髪がよく映えるわ。テーマにするなら水中でしょうね。
「えぇ、きっと泣いて喜ぶわよ。グラスにも一緒に見せてあげましょ」
踊るようにはしゃいでいたアクアだったけど、グラスのことを思い出したのかシュンと俯いてしまった。
「やっぱり、グラスのことが心配かしら」
「うん。私、何か悪いことしちゃったのかな。だからグラスに嫌われちゃったのかな」
声は小さく、自分を追い詰めるように暗くなっている。
きた。子供をあやしたことなんて一度もないから、こういうときになんって言えばいいのか。コーイチにはグラスを任せてしまったし。どうでようかしら。
「大丈夫よ。グラスだって初対面で緊張していたんだと思うわ。だからつい、手が出ちゃったのよ」
我ながら、理論としてはかなり厳しいわね。かといって本当のことを伝えてどうにかなるわけでもないし、難しいわ。
「そうかもしれないけど、でも怖いよ。仲良くできる気がしないもん」
「そんなことないわ。もう一度、自己紹介から始めてみましょう」
「それでもし、もう一回叩かれちゃったら私、どうしたらいいの」
瞳を澱ませながら叫ぶ。不安の強さに私がたじろいでしまったわ。
困ったわね。私の手に負えなくってよ。コーイチ、グラスをちゃんと言い聞かせられたんでしょうね。
別れ際に気軽に放った、任せとけという言葉を思い出す。とても頼りないその場しのぎだったけど、縋りたい気持ちでいっぱいになった。




