286 釣り好きのお姉さん
ジュンに手を引かれながら、海へ続く林の中を歩く。
住宅地と西の海岸を隔てるように木々が植えられていて、風に揺れる葉っぱの音が小気味よい。
海に続くまでの道は整備されているから歩きやすかった。
「ところでそのお姉さんはどうして西の海岸なんかにいるのよ」
「魚釣りが好きなんだってさ。だからいっつも海岸にいるんだ。見たことない釣り竿を使って、次々に魚を釣るんだぜ」
魚釣りが趣味ってのはまだわかるけど、四六時中海岸にいるほど熱中できるものなのかしら。でもヴァッサー・ベスは島国だものね。他に楽しめるものがないのかも。
「凄いのね。釣りってそんなにポンポンと魚が釣れるものなのかしら」
「エリスもやってみるか。殆ど釣れないと思うけどな」
ムッとくる言い方ね。ジュンのくせに見下してくれるじゃない。
「いいじゃないの。海に着いたら釣り竿貸しなさい。大量に釣って見返して上げるから」
「おっ、いいね。なんならオレと勝負するか? 勝負になったらだけど」
「言ったわね。驚くくらい大物も釣り上げてやるんだから」
ケンカ腰に話していたら、林の終わりが見えてきた。奥に白い砂浜と穏やかな海が覗ける。
「もうすぐだぜ。お姉さんは一人でいて、水色の服着てるからすぐに見つかると思うぞ」
白い砂浜はキメが細かく、一歩踏み出すと靴が軽く沈んだ。足跡なんかくっきりとついてしまう。広大な海は穏やかに波打っていて、ザザーっと寄せては返っていく。
「……ねぇ、何、アレ?」
そして海の彼方、一本ポツンと灯台のような塔が建っていた。
「わからない。けど海の魔物が大量に出てくるようになってからあの塔はいきなり出てきたんだ。みんなは気味悪がって海岸に近付かなくなった」
話には聞いていたけど、ここまでクッキリと見えるだなんて。アレが魔王アクアの居城……なんだよね。そりゃ普通の人は海岸に近付いたりしないよ。
「かなり近い場所にあるように見えるんだけど、遠いの?」
「間違っても泳いではいけない距離だぜ。オレもあんまり見たくねぇけど、怯えて逃げたくもねぇんだ」
睨み付けるジュンの瞳が黒く濁る。少年のものとは思えないほど殺意が孕んでる。
「けど今はあんなのより、お姉さん見つけようぜ。どこいるかな」
いつもの調子に戻ったジュンは、無邪気にお姉さんを探し始めた。
けどちょっと待って。あんな曰く付きの塔が見える海岸で、釣りをし続けるお姉さんって何者なの。下手したらあの塔から魔物が押し寄せてきそうじゃないの。どんな肝の据わり方してんのよ。
「おっ、いたぜ。おーい!」
ジュンが大声を上げて手を振る先で、ウェーブのかかった青い髪の少女が海に向かって釣り糸を垂らしていたら。水色のワンピースに見覚えが凄くある。
「ちょ……嘘でしょ」
驚きのあまり小さく呟いた。身体が固まって、どう動いていいかわからなくなる。
なんでこんなところにコイツがいるのよ。
ジュンのかけ声に気付いた少女は、釣り竿を片手に振り向き、手を振り返した。首からぶら下げている緑の御守りが揺れる。
「こんにちはジュン。また来たんだね」
どこまでも穏やかな声色で微笑んでいたのは、紛れもなく魔王アクアだった。




