251 崩れゆく城の中で
軋む廊下には小さな凹凸がいくつも出来ているから、躓かないように気をつけなければいけませんわ。
至る所から不快な血の臭いが漂ってきましてね。戦いに事切れた人間と、魔物達だったものの臭いでしょう。
デジャブでしてね。結末だけが違っていますが。
天井からは瓦解した砂が至るところから落ちていてね。不意に大きな塊が落ちてくる危険性もありますわ。
「あんなに立派な内装をしていましたのに、こんなにも早く崩れてしまうなんて」
足を急がせて謁見の間へ向かいます。側には無言のガーゴイルを侍らしていましてよ。
謁見の間の大きなドアは開きっぱなしになっていました。
駆け込むと、激しい戦闘の跡が部屋中に刻まれていました。昔見た景色とは傷跡の数も深さも段違いです。
「あっ……アスモ」
そして仰向けにポツンと倒れるアスモを発見しましたわ。全身が血で染まっています。砕けた鎧は胴ごと横一閃に叩き切られ、口の端からも血の跡が。
わたくしは駆け寄り、座り込んで膝にアスモの頭を乗せましたわ。
「もお、アスモってば。普段より一段と重たいですわ」
頭を撫でながら、変わらない表情を見て語りかけます。
魔王が討たれることは知っていました。前もって聞かされてもいました。けど、実際には全然理解できていなかったんだなって、思い知らされます。
もう、困ったような表情をしてくれない。辿々しくわたくしを抱き寄せてくれない。一緒に、笑ってくれない。
「随分と激しい戦闘でしたのね。今回の勇者は、とても強かったのようで」
こんなにも逞しいアスモを黙らせる程、強かったのですね。
「ありがとうございました。わたくし、アスモと出逢えてとっても幸せでしたわ」
勇者の姫というしがらみから解放されて、気ままに女の子をやらせてくれた。かわいいチェルが産まれて、魔王城のみんなで手を焼きながら育てた。
きっと勇者の姫のままだったら、ここまで純粋な幸せには触れなかった。
崩壊の音と振動が激しくなってゆく。残り時間の短さが歯がゆい。
「あら、そういえば満足そうな顔をしていましてね。そんなにも勇者の攻めが良かったのかしら、少し妬けてしまいますわ」
ツンツンと頬を突つくのですが、アスモから返ってくるのは静寂だけです。
「そうですわねえ。きっと後は、コーイチさんがイッコクと、チェルを護ってくれますわ」
ずっと疑問に思っていましたの。代々の魔王が討たれたとき、なぜイッコクはスムーズに平和になってきたのかと。
人間の欲望は凄まじいもの。たぶんきっと、毎回スムーズに平和にはならなかったのだと思いますわ。だから、毎回、コーイチさんのような魔王を次ぐ誰かが、後処理をしていたのだと推測します。
「だから安心して、一緒にチェルを見守りましょう。わたくし、死んでもアスモを逃がさなくってよ」
チェルと生きる道も確かにありました。コーイチさんもわたくしをぞんざいに扱ったりはしないでしょう。けど……
「わたくしは、やっぱり魔王の姫がいいです。もう四十後半のオバさんですけどね」
目一杯の微笑みを向ける。するとアスモから禍々しいオーラが湧きだし、ゆっくりと窓から外へ出て行きましたわ。
「まぁ。ふふっ、アスモも粋な計らいをしましてね」
なんなのか分からないけど、悪いことではないでしょう。
「コーイチさん。チェルのこと、よろしくお願いしますわ。ちゃんと手を付けて孫を作らないと許しませんわよ」
きっとアスモもわたくしと、窓の外を眺めてくれていますわ。
ふと気づくと、ガーゴイルがずっと側で佇んでいました。
「あなたも長々とありがとう。もう安全なところに逃げてもよくてよ」
寡黙でいつも見守ってくれていたガーゴイルに、返事を期待せずお礼を言います。
「サイゴマデ、リアノオトモスル」
「まぁ、あなた喋れましたの……そうね、あなたにリアと呼ばれるのも悪くありませんわ」
枯れた片言に驚きました。わたくし、本当に愛されていましたのね。
「わたくしは幸せでしたわ。どうかチェルにも、わたくし以上の幸せを感じさせて下さいな」
遠く朽ちた魔王城から、わたくしたちは期待していますわよ。




