240 決着と決別と決心と
耳に痛いほど荒々しく鳴り響く戦闘音。勇者一行と魔王様の死闘の激しさが伝わってきます。
わたくしは魔王城謁見の間の、隣の部屋で終わりを待っていました。側にはいつものガーゴイルと、お忍びのお供シャドーがいます。
「音だけでなく振動まで伝わってくるなんて、魔王様は大丈夫でしょうか?」
わたくしの不安は魔王城の闇に溶けてゆきます。シャドーもガーゴイルも寡黙なのがよくありませんわ。
ただ待つだけの時間は果てしなく長く、気持ちが沈んでしまいます。
……聞こえてくる音が少しずつ小さくなっていって、やがて何も聞こえなくなりました。
「チェチーリア様、終わりました。魔王様が勝利しました。向か……」
冷静なつもりでいましたが、シャドーの言葉で身体が反射的に動いてしまいました。足早に魔王様のもとへ急ぎます。
扉を開くと酷い匂いで充満していました。鼻にツンとくる血の臭いや肌の焼ける臭い、壁などが崩れて散った埃の臭いなど、どれもコレもが不快な臭い。
無残に床に転がるのは、勇者一行の残骸でした。痛々しい傷の数々、表情はどれも絶望に染まっています。
「終わりましたのですか、魔王様」
問いながら見上げる魔王様の姿もまた、とても痛々しものでした。立っているのがやっとではないかと危惧してしまいます。
本当にサルターレ様は強くって、魔王様は討伐される寸前だったのではないか。
魔王様が失われる……
頭によぎった瞬間、そこはかとない寒気がし、身体が震えて止まなくなりました。
「チェチーリアか。終わった。別れの挨拶でもするか」
視線でサルターレ様まで促されました。言葉も発せないまま頷き、最後の別れをします。
全てが失われた表情に、遠いどこかを映そうとする青い瞳。あふれんばかりの生命力と希望はもうありません。
好きだった、魔王様と出逢うまでは。それでも好きだったのは間違いない。
激動の人生だったことでしょう。最後はさぞ悔しく、ツラかったことでしょう。けど志半ばとはいえ、もう終わりました。だから……
「お疲れ様です。サルターレ様……わたくしの、勇者様」
「ワシを恨むか?」
何に対しての恨みでしょうか。理不尽な世界、ままならない現実には常に恨みを覚えているかもしれません。宿命とは、こうも残酷な物なのですね。
「少しだけ、恨ませて下さい」
静寂に包まれ、死の臭いが充満する中で恨みます。魔王様を苦しめる世界を、人間の欲望を、そして勇者というシステムを。
「チェチーリアはこれからどうするつもりだ」
問いかけられたわたくしは、魔王様を見上げます。戦いを終えてから、ずっと寂しそうな表情をしていました。
「魔王様の側にいさせていただきます」
人間の国に帰る場所などなくなっていますし、もはや帰りたいとも思えません。
わたくしから一つ、サルターレ様というわがたまりが消えました。もう正直になるのに、罪悪感なんてありません。
人類から見たら恐怖の化身であることには間違いありません。わたくしだって強い恐怖心を抱いています。けどそれ以上に、放っておけなくて愛おしい。
短い時間かもしれませんが、一時でも魔王様に安らぎを与えてあげたい。だから……
「魔王様。わたくしを戦利品として、もらっていただけますか?」
立ち上がり、逞しくも傷だらけの身体に抱きつきます。
抱きしめる気持ちでいたのですが、体格差のせいで出来ませんでした。背の高い殿方が羨ましいです。
魔王様は動揺なさいましたが、やがておびえるようにわたくしを抱きしめてくれました。壊れ物を不器用に扱うように、優しく。
「チェチーリア」
「リアと、お呼び下さい。魔王様には愛称で呼んで欲しいです」
身体を離して見上げると、魔王様はバツが悪そうに目を晒しました。相変わらずでしてね。けど少しずつ慣れていってもらいましてよ。
「それは少し、ズルくないか。ワシは魔王様と呼ばれるままとは、どうにも」
視線が泳ぎまくっていましてね。けど的を射た言い分でもありますわ。名前……確かアスモデウスでしたわね。
「わかりました。ではわたくしもこれからアスモとお呼びしますわ。だからアスモも、ね」
魔王様……アスモはこれでもかと言うぐらい身を引こうとします。撤退だなんて許しませんよ。
ピトっと身体を張り付かせて、至近距離で見上げます。
「うっ……ぬぬっ……リっ」
「リ?」
もう一声ですね。首を傾げ、期待を眼差しに込めますわ。
「リっ……リア」
「はい。リアですわ」
フフっ。今日はこれぐらいで勘弁してあげましてよ。なんって言ったって、アスモが勇者に勝った勝利祝いですもの。
こうして、わたくしたちの夫婦生活が始まりました。アスモが魔王を終えるまで、ずっと側にいて差し上げますわ。




