222 最初の侵略地
暗い夜の自室。俺は充実感に浸りながら、ベッドに座って窓の外を眺めていた。二つの月がユラリと浮かんでいる。
どうにか……ホントにどうにかススキを説得しきれたぜ。これでやっと、俺はヴェルダネスを侵略しきったんだ。
痛い思いもしたし、家族に要らねぇ心配もかけちまった。けど、確かに侵略しきれた。ススキの心を。
やべぇ、なんか俺、小悪党っぽいわ。着実に魔王に近づいてるぜ。
「電気もつけずに、何を気持ち悪く笑っていて。コーイチ」
パチンと電気をつける音。振り向くと、黒のネグリジェを着たチェル。赤い瞳が俺を蔑んでいる。
「おいおい、人が悦に浸ってんのに、それはねぇだろ」
開口一番に罵らねぇっでくれよ。いい気分が踏みにじられちまうじゃねぇか。
恨みがましくチェルを見上げるのだが、澄ました顔して近づいてきた。歩みに合わせて服がゆれる。
「傷は、大丈夫かしら」
チェルが隣に座るのを、ベッドの沈みで感じる。やわな手が、刺された腹をさすった。憂いに満ちた眼差しに、壊れ物を触るようなたどたどしい手つきだ。
やれやれ。俺は三十路に入ったおっさんだぜ。やさしすぎやしねぇか。
「問題ねぇよ。フォーレが手当てして、一週間も安静にしたんだからよ。治っちゃいねぇが、普段生活するぐらいはできるぜ」
服の下に巻かれた包帯。縫った傷跡は残っているし、無茶したら開くとも言われている。けど逆にいやぁ、普段通りなら勝手に治る。
「なら、痛みはなくって。それと、刺されたときの恐怖は」
プックラ膨らんだ唇が、残酷なシーンを蘇らせる。
両手できつく握られたナイフ。狂気に血走った緑の目。身体を焼き尽くすような腹部の熱。
思い出すだけで痛みを感じちまう。でも。
刺した後の動揺。後悔に開いた口。崩れて壊れそうな存在感。
どれも放っておけない状況だった。
俺は自嘲するように、軽く笑った。
「たまにズキっとくるし、恐怖もあった。ただ痛みとは違った恐怖もあったぜ。あのままススキが死んだり、気が狂ったりしていたらと思うと、怖くて仕方ねぇよ」
ホッと安堵を漏らすと、チェルが呆れのため息を返してきた。
「コーイチを刺した張本人だっていうのに、魔王に似つかぬやさしさね。ヴェルダネスもそう。侵略地の全部をやさしく包み込むつもり」
「それはしねぇよ。ただ、ヴェルダネスは侵略の用途が違ぇ。俺らに協力してくれる態勢を作っておきたかった」
まぁ、手段は問わないつもりだったがな。心地いい協力しようだったから、俺もつい欲が出ちまったぜ。
「ヴェルダネスは魔王城に近い村だ。故に勇者や王国の耳には入らねぇ、死角のような村だ。煽るような侵略や恐怖は必要ねぇんだよ」
「だから、ススキも受け入れたのかしら。正直、コーイチが止めなければ私が息の根を止めていたわ」
ため息交じりの平坦な口調だったが、本気だったのが窺える。過去形だからこそ、感情が伴っていない。
怖ぇこと言ってくれるな。まっ、本音だろうけどな。
「ススキは良くも悪くも最後のピースだったからな。最初会ったときの印象も強かったから、気になってたんだよ」
「コーイチのロリコンが発作したときね」
「嫌な思い出し方しねぇでくれねぇか」
ロリコンなのは認めるけどよぉ。
「話を戻すけど、ススキだって最初は村人と仲良くしていただろ。それが俺の出現で状況があっという間に変わってよぉ、孤立しちまってるように感じたんだ」
刺々しい視線の内側には、きっと寂しさを抱えていたはずなんだ。
目まぐるしい村の変化に、心の居場所を失っちまっていた。気づいたのは刺される寸前だったけどな。
だから、責任を感じちまったのかもな。
「そんなことに責任を感じて、魔王をやっていけて」
ススキをそんなこと呼ばわりされたのにカチンときたが、魔王をやれるかと問われると言葉が出てこねぇ。
グッと言葉を噛みしめながら、チェルを見上げる。
「言いすぎたわ。コーイチだからこそ、できる魔王がある。私じゃ届かない高みまでいけるのでしょうね」
チェルは立ち上がると窓際へと向かっていった。小さな背中が、ついてきてと誘っている。後を追って、隣に立った。
「ほら、見てコーイチ。あなたの魔王城。魔力もなしに、あそこまで立派になっていてよ。もう少しで、完成してしまうわ」
ちょっと視線を向けるだけで、日本を思わせる魔王城が眺めれてしまう。見上げるたびに、鬱屈な気分になっちまうぜ。
ぜってぇに持て余すっての。
「子供たちが指揮して魔物を働かせたからな。ホント、よくここまで立派になったもんだぜ」
涙が出てくるのは、感激のせいかねぇ。
「子供たちは、コーイチが住むから城を立派に建てていてよ」
「え?」
「コーイチに劣らぬよう、試行錯誤を重ねて建てた魔王城。アレは、父親への愛の結晶よ」
親子愛の結晶か。でかすぎやしねぇか。俺は、そこまで立派な父親だと思えねぇよ。
子供たちの期待を考えると、心臓が押し潰されそうに感じちまうぜ。
不意に、チェルの肩が軽く押し当てられた。安心しきった表情で目を閉じている。
「チェル?」
「勿論、私も期待していてよ。どうかコーイチのまま、魔王になってみせて」
パチリと赤い瞳を開けると、甘くやわらかな上目遣いを向けられたぜ。
「ここまでされたら、弱気になれねぇな」
「その粋よ」
期待に押し潰されてたまっかよ。いざとなったら、家族総出で乗り越えりゃいいんだかんな。
子供たちに信頼の表情が頭によぎる。傍にいたらきっと、頼りになる顔を見せてくれるだろうしな。
気楽に魔王になってやる。不安なんて、今は要らねぇ。
冬は始まったばかりだけど、乗り越えれば春が訪れる。心だけは、一足飛びで春に足を踏み入れたぜ。




