217 罪の行方
あたしはナイフを、メッセンジャーみたいだと思った。
感情を両手からナイフに込めることで、初めて魔王コーイチへと想い伝わった気がした。
怒りとか、迷いとか、意地とか。様々な感情を詰め合わせて、腹へと思いっきり差し込む。
同時に、返ってきた感触もあった。肌を一枚ずつ貫通する音とか、生々しい肉のやわらかさとか、流れ出る血の熱さとか。
魔王コーイチの身体で起こったことが、ナイフを伝ってあたしに送られてくる。
痛みに震える身体も、恐怖に歪む表情も、驚きに開かれる目も、崩れ落ちる膝も。
一つひとつが、あたしには重すぎた。ソレが全部いっぺんにのしかかってきた。ナイフを通じて。
ゆっくりと見上げてきた表情は、憎しみにも恐怖にも染まっているように感じた。
「うっ……ぁっ……」
恨み言の一つでもはきだしそうだった口は、声にならない音しか発さなかった。そしてゆっくりと、仰向けに倒れた。
あたしがやったんだ。あたしが……殺した?
「いやぁぁぁ!」
ベッドで勢いよく身体を起こすと、動揺で息が荒くなっていた。身体が震えるし、心の奥底にドス黒い塊が宿っている。
「はぁ……はぁ……夢?」
すっかり慣れた自分の部屋を、確認するように眺める。
飾り気のない、必要最低限の調度類だけ置かれた自室だ。
何も起こっていなかったように、当たり前の風景が広がっている。
無意識に頭を抱えようと、手が動いた。けど、途中で手のひらが気になってしまう。
何の変哲もない、肌色の手のはずだった。なのに血で汚れているように見えた。瞬間、あたしは息をのんだ。
「ひっ……違う。現実だ。昨日、起こったんだ……あたしが、起こしたんだ」
魔王は、コーイチはどうなったんだっけ。確か嫌に成長が早い子供たちが集まって……それから?
慌てていたからかな、あんまり覚えていない。どうなったんだっけ。
考えていると頭がグルグル回って、気持ち悪くなってきた。
「いけない。とにかく顔を洗って、落ち着こう」
ベッドから出ながら思った。フカフカのベッドで寝ることも、この部屋も、顔を洗うって常識も、全部コーイチがくれたものなんだって。
「違う。今さらそんなことを、思うな」
困惑は増すばかりだ。とにかく、何か気の紛れることを考えなきゃ。
着替えてお父さんと朝ごはんを食べるんだけど、空気が重くて仕方がなかった。
何か言いたそうに顔を見ては、視線を逸らしてごはんを食べるのを繰り返す。
これも、魔王コーイチを刺した影響かな。コーイチは村のみんなから慕われてたもん。責めたいなら、責めればいいのに。
食欲が全然でなくって、ごはんをたくさん残してごちそうさまをしちゃった。
家を出て村を歩くと、冷たい空気と視線に身体が晒された。
シャキっとするほど冷えているのに、視線はドロドロとして気持ちが悪かった。遠巻きをヒソヒソ声は、コーイチを刺したことで染まっていた。
見えないナイフのように、たくさん突き刺さってくる。感情を伝えてくる。
誰にも目を合わせないように、俯いて歩くしかできない。
ひたむきに歩いていると、赤くてきれいな靴が正面に立ち塞がる。
「あっ」
顔をあげると、赤いクセっ毛をツインテールにしたコーイチの娘が笑っていた。
「たいした根性だねー。昨日あんなことをしておいてー、堂々と村を歩き回っているんだもーん」
表情に対して、言葉はナイフのように尖っていた。キラリと輝く刃先は、これから刺すって合図みたい。
「あたしは、そんな……」
「パパは手を出すなって言ったけどー、ヴァリーちゃんはどーしても我慢できないんだよねー。ねー、どーしよーかー」
グイッと身体を近寄せて、冷たい指先で頬を撫でてきた。捕まえて、逃がさない。そうオレンジの瞳が語っている。
「公開処刑もいーかなー。見せしめにはもってこいだもんねー……キャ!」
ヘビみたいに絡みついてくる視線は、悲鳴と一緒に遠ざかった。
ストッと地面に黒い何か刺さる。十字の形をした、黒い刃だ。
「シェイ! 何すんのよー」
見上げる視線を追うと、屋根の上に人影があった。闇のような黒髪と黒い服を着た、コーイチの娘だ。
「ヴァリーも昨日、聞いていたでしょう。手出しは無用だと」
一言いうと、ストッと地面に降りてきた。あの高い場所から、淀みなく。
「知ってるよー。けどー、許せないじゃーん。シェイは納得しているのー!」
「しているはず、ありませんよ。願うことなら、この手で始末したいです」
黒い視線があたしの心臓を捉えた。鋭いのに、不思議と恐怖は感じない。
「ですが、父上はススキの死を望んでいない。とりあえず、今は」
「えっ、魔王コーイチが」
この手で刺したのに。憎まれてもおかしくないのに。なんで?
あたしの疑問に、魔王の娘たちが注目する。
「そーだよー。パパってば魔王になるのにやさしすぎだよー。パパが止めたせいでー、みんなが動けなくなっちゃったんだよー」
「とはいえ、あくまで今は、です。父上が起き上がったとき、何を考えるかはわかりません。ですがどんな命でも、自分は従います」
ヴァリーは不快を隠すことなく、瞳に込める。対してシェイは、陰った視線で睨んできた。
感情のベクトルは違うけど、二人とも心のナイフを構えている。父親を想いながら。
「慕われてるんだね。魔王コーイチは。どこがいいのか教えてよ。あたしには、わからないよ」
首を振りながら尋ねてみると、オレンジの怒りと黒の驚きが返ってきた。
「ふざけたことをっ……ムグッ!」
まくし立てようとしたヴァリーの口が、影から伸びた手で塞がれる。モガモガと身体を揺らしながら訴えようとしていた。
「ヴァリー、落ち着いてください。ススキはケンカを売ったわけではないようですから」
シェイが説得するけど、ヴァリーは暴れる一方だった。
けど暴れて当たり前だよね。シェイの方がおかしいよ。
「自分はススキの疑問には答えられません。わからないです。が、父上がススキを助けた理由ならわかった気がします。ほんのり、ですけど」
「え?」
あたしの疑問は増えるばかりなのに、シェイはスッキリした顔で踵を返した。
「行きますよヴァリー。ススキは、父上が決着をつけますから」
なおも叫ぼうとするヴァリーをお姫様だっこして、シェイは去っていく。
「待って、それってどういうこと」
あたしの疑問に、シェイは止まってくれなかった。




