196 鉄壁
商業地区について父上たちと別れてから、自分はグラスと共に外壁を目指した。
賑わう人混み。楽しげな喧騒。魔王の侵略なんてまるで、他人事のようです。
「ははっ、待ちたまえシェイ。行きたい所があるならミーがエスコートしようではないか」
自分はグラスと二人で外壁に向かっています。二人っきりです。間違っても後ろからついてくる何かは一緒にいません。
振り向いたら、負けです。
「おいシェイ、いいのか。シャインのやつ、このままずっとアピールし続けそうだぞ」
グラスが迷惑そうに、後ろをチラチラと窺っています。
そうですよね。ウザったい男に堂々とストーキングされていては、気になって仕方がないですよね。間違っても身内ではありません。えぇ。
不思議と歩く足に力がこもってしまいます。油断すると、整備された道を踏み砕きそうで怖いです。
「いや、わかっているんだシェイ。グラスが邪魔なのだろう。ミーと二人っきりになるチャンスを潰されているのが、堪らないのだろう」
ブツンと何かがキレる音が聞こえました。反射的に魔法を使わなかった自分を褒めたいぐらいです。振り向いてはしまいましたが。
鉄壁です。自分とコイツとの間には鉄壁があるのです。決して破れない強固な鉄壁が。だから絶対に近づくことはありません。
「そろそろ黙って、一人で街をブラついてはくれませんか。せっかく街に出ているのです、ハメを外してナンパに明け暮れるのも許してあげます」
だから、自分の視界からさっさと消えていただきたい。歯を食いしばって我慢するのも、限界に近いのですから。
「おっ、おい。シェイ……」
おや、何をおろおろしているのですかグラス。まるで秒読みの時限爆弾に怯えているようですよ。
対してヘラヘラと白い前髪をかき上げるウザったい男は、何にも屈していなかった。
「何をバカな。愛しくてやまないシェイを放ってナンパなんて論外だね。見てみたまえ、この美しい街並みを。デートスポットを。新鮮さにあふれているではないか」
「確かに新鮮なことは認めましょう。ただ、あなたが近くにいるだけで穢されてゆくのですよ」
目に力が入って仕方がないのです。だから、消えてください。いえ、消滅してください。
シャインは何もかもわかったように、白い目を閉じてフッと息をはきました。
「それは仕方がない。人は愛故に穢れてしまうものだからね。だが恐れることは何もないよ。委ねればいいんだ。溺れるような甘い感情にね」
自信に満ちたウインクを放たれた瞬間、脳内鉄壁が音を立てて崩壊しました。
「もう人前とか気にしません」
「落ち着けシェイ、父さんに迷惑がかかるから」
力いっぱいに握ったコブシを振り上げて駆けたのですが、グラスに羽交い絞めで止められてしまいます。
「離してください。ちゃんと人気のない路地裏まで辛抱しますから!」
「そんな殺意に満ちた目で言われて安心できるわけないだろ。それに今まさに殴ろうとしてるじゃないか」
「離してやりたまえグラス。シェイは人目のつかない二人っきりになれる場所で、ミーと愛を語らいたいと言っているのだ。空気は読むべきだよ」
「お前はそれ以上しゃべるな!」
あたりが騒然として注目の的にされていますが、もはや知ったことではないです。
「目の前のバカを殲滅させます。だから離してください」
「シェイも落ち着けぇ」
何分ぐらいでしょうか。自分が冷静になるまで、グラスに抑えられて暴れていたのは。
シャインを葬れなかったのは残念ですが、人間の街で刃傷沙汰にならなかったのでよしとしましょう。
結局、三人で外壁の近くまで歩きました。不服ではありますが。
「改めて、外壁の強固さを窺えるな。この壁があるから、ハード・ウォールは平和なのだろう」
「絶対の守りがあるからこそ、人々は安心して日々を過ごしているのでしょう」
「危険のカケラも感じていなそうだったからね。いいことじゃないか」
シャインはのん気なものです。事の重大さに気づいていないのですから。
チラリとバカ面を覗くと、調子よく微笑みを返してきました。
いけない。また手に力を込めてしまっていた。
「それだけ、あの外壁を信頼しているのだろう。もしくは、依存かもしれないが」
「魔王の進行を防いでいる。越えるには骨が折れるでしょうね」
グラスはフムと一拍おくと、視線を壁から下ろしました。
「シェイは、シャトー・ネージュを侵略するのだろう。勝算はあるのか」
「今は無理でしょう。ですが、策は考えています」
父上が魔王になるまでに、実現できるよう成長せねばいけませんが。
「そうか。ハード・ウォールは誰に任せるんだろうな」
思案顔でグラスは、開いた手を見つめます。恐らくは、自分の力でどれほどできるかを想像しているのでしょう。
「ミーは違うだろう。この前デザート・ヴューを任されたばかりだからね。砂漠に愛の楽園を作るのさ」
「シャインに聞いていません」
しかし、また酷い妄想を企てていますね。侵略にはなりそうですが、同意しかねます。
「まだ侵略地を貰っていないのは、俺とフォーレとヴァリーだ。そして偵察旅行に行った場所を、父さんは侵略するつもりだ」
「となると、この城壁を父上が誰に任せるか……ですね」
「俺は挑戦したい。けど、父さんが決めるなら誰でも構わない」
再び、挑むように城壁を見上げました。
けどグラスは、できることなら自分の手で鉄壁に挑みたいのでしょう。
城壁の向こうの空は、少しずつ色を薄めていきました。
「帰りましょう。父上の元へ。考えていても仕方ありません」
「……そうだな」
踵を返して集合場所へと足を動かしました。途中、馴れなれしく肩に手を回してきたシャインが、本当にウザかったです。
ふふっ。イッコクのヘソに帰ったときが楽しみですよ。




