166 父上の嗅覚
店主とB級冒険者のいない奴隷商など簡単に制圧できると思ったのですが、すんなりとはいかなかったです。
影の気配を辿った結果、地下つき五階建ての建物と推測。階下の部屋からローラー作戦で奴隷商を始末することにしました。
出だしこそ順調でした。部屋の前で人影を確認し、奴隷商の人間を闇魔法で全員同時に暗殺するだけでしたから。
奴隷に抵抗する意思はなく、従順だったので楽な仕事だと勘違いしましたね。
問題は上階に差しかかったところ、階数にして四階で起こりましたね。
「キャァァァ!」
奴隷商を殺ったと同時に、悲痛な金切り声が上がりました。
これまでの奴隷部屋と比べて清楚、それどころか上等に値する住み心地のよさをしていました。
奴隷の女性も美しく、着ている物も質実ながら上品さが滲み出ています。
せっかく見た目が整っているのですが、自分が視線を向けると上品さを失って震えだします。
間違いなく、敵と認識しているのでしょう。
「おっ……お願い、助けて」
「抵抗しなければ殺すつもりはありません。ここの奴隷は全部、自分たちが頂くつもりなので」
温度を感じさせない態度を取ると、女性は顔色を青く染めました。
「そんな。わたくしをどうするの。もうすぐウィルストン伯爵様の側室として抱えていただく身なのですよ」
胸に手を当てて切実に叫びます。あなたを買うのに、さぞ大きなお金が動いたことでしょうね。大金を生むからこそ、丁重に扱われていることがわかります。
「残念でしたね。ここにいる奴隷はみな、上も下もなく平等に頂きますから」
「あなたには良心というのものがないのですか。まだ年端もいかない子供だというのに、いったいどういう教育を受けてきたのですか!」
立場もわからずに喚き散らしますか。あなたは良心の欠片も与えられなかった奴隷たちの上で悠々と暮らしていたというのに。
無知なことが悪いとは思いませんが、ため息が出てしまいますよ。
「好きに罵ってもらっても構いません。が、自分に従わないというならここで死んでいただくだけです」
脅しに影から剣を出し、スカートを切り裂く。たったこれだけで女性の顔は絶望に染まりました。
脅しで済むだけ、ありがたく思ってほしいものです。
ここから先は一人ひとりの奴隷に時間がかかりました。みんないい身分だったから困りますよ。
あまりにわがままな奴隷は手をかけましたし。
華奢で男を落とすことしか脳になさそうでしたし、地道な農作業をできたかと考えると、死んだ方が幸せだったのかもしれませんね。
死に顔は絶望に染まっていましたが。
「さて、これで全部ですか。予想外な手間取り方をしました」
思わずグチが出てしまうほど疲れましたよ。目の前で腰を抜かして怯える奴隷も強引に説得できましたし、父上に報告しますか。まずはチェル様に……
「シェイ! ここか!」
扉がバンと大きな音をたてました。肩で息をし、手をドアの縁に押しつけた父上が必死の形相をしています。
しかも服装が寒々しい。ダウンジャケットを着ていないなんて、凍えてしまったらどうするおつもりですか。
「父上。どうして……」
疑問を口に出しきる前に、自分は抱き締められました。存在を確認するように、ギュッと力強く。傷にさわりますが、痛みを表に出すと父上が狼狽しそうで怖いです。
「父……上?」
「よかった。無事でよかった。心配したんだからなバカ!」
冷え切った身体が、父上の必死さを伝えてくれるようです。
耳元で鼻水を啜る音が聞こえました。泣くほど、心配させてしまいましたか。剣を纏った状態を気にせずに抱き締めるなんて。こっちがヒヤヒヤしますよ。
どうしてしまいましょうか。申し訳ない気持ちがいっぱいなのに、思わず笑顔になってしまうほど嬉しい。まだ自分は、心を制御できないでいます。
殺伐としていた心が浄化されるような温かさ。この闇を払う嬉しさが、心地よいから困ります。
自分は剣を闇に還し、父上の背中にやさしく手を回します。
「大丈夫ですよ。自分からは遠くに行きませんから」
「それでも、こういうのは勘弁してくれや」
迎えにきてもらうとは、自分で帰るつもりだったのですけど。ん……よく感じると、もう一人分、影がありますね。まぁ当然ですか。父上を一人にするのが一番危ないですから。
「扉の向こうは誰ですか?」
語りかけると、ワイルドショートな金髪の少年が姿を現しました。
「大変だったんだぞ、シェイ。父さん、そんなになったんだから」
「グラスでしたか。お手数おかけしました。ところで、どうして自分がここにいると?」
「父さんさ、ここの奴隷商の対応に不快感を覚えたんだと。それでシェイがさらわれるもんだから、まっすぐここに走ったぞ。チェル様の制止も聞かずにな」
泣き崩れて喋れない父上の代わりに、グラスがヤレヤレと教えてくれました。
きっと自分がさらわれなければ、不快に思うだけで終わっていたでしょうね。いざというときの行動力に恐ろしさを感じますよ。
「父上の嗅覚も、侮れませんね」
「まったくだ。しかし派手に暴れたな。シェイがわざわざさらわれたんだし、収穫はあったのか?」
「やはりグラスは気づいていましたか。お土産がたくさん手に入りましたよ」
「ちょっと待てシェイ。どういうことか俺にも教えてくれないか」
泣いていた父上でしたが、声のトーンを落として詰問してきました。B級よりも怖いですね。
「シェイはわざとさらわれたんですよ、父さん。危ない気配に気づいていたんでしょう」
「ほぅ、そうか。シェイ……本当か?」
口に弧を描かせた父上が、ニコリとした顔で迫ってきました。近いです。威圧感が半端じゃありません。
「はい。ですが、自分からは遠くに行っていません。これは本当です」
さらわれたのです。不可抗力です。他力で遠くに行ったのです。
「そうか。ホントはビンタの一発でも決めたいところだけど、ボロボロだからな。デコピン一発で勘弁してやる」
そう言うと、でこの前で手を構えました。指に力をめいっぱいに溜め込んで、ピンとでこを打ちます。
「痛っ」
痛そうに手を振っている父上を見ながら、自分はでこを抑えました。
「もう、勘弁してくれよ。シェイ」
泣き顔でお願いするように叱ってきます。
「はい。ごめんなさい」
このデコピンが、今日一番痛い攻撃でした。




