136 波に流されて
「グラス、浮き輪もありますし、足のつかない所までいきましょう」
「そんな最初から、危険な場所まで行っても大丈夫なのか」
「父上の浮き輪があります。それとも、信じられませんか」
シェイが腰につけている浮き輪をさすりながら説得する。グラスの茶色い瞳が動揺に揺れた。
「俺は愚鈍だな。まさか父さんを疑っていただなんて」
グラスは苦虫をかみ潰したような表情で俯いてしまった。バックに雷でも落ちたかのようだ。
いやいやグラス。俺の作ったものは決して万能じゃないからな。むしろ疑ってかかるくらいでちょうどいいんだからな。
「大丈夫です。気づけたのなら、考えを改めることもできますから」
「そうだな。ありがとう、シェイ。俺は、やってみせる」
俺の心配とは裏腹に、グラスは決意した。シェイと一緒に深い所まで向かっていくのだった。
「いいのかなぁ。信頼が過度な気がするんだけど」
「あら、構わないのではなくって。グラスもやる気になったのだから」
微笑みながらチェルが赤い瞳で見上げてきた。その表情を見るだけで気を抜くことができる。
「そうだな。考えすぎか。みんなも楽しんでいるし、やっぱり海っていいもんだぜ」
眩しい陽射しの下で、子供たちが遊びまわる。
先ほどのシェイとグラスは水泳訓練。真剣でガチガチだが、恐怖がなくなれば楽しめるだろう。
「デッド速いよー。もいちょっとゆっくり」
「チッ、しゃーねぇな。待ってやるからありがたく思えよ」
「その言い方、生意気―」
対してデッドとヴァリーは浮き輪を放り捨て、生身で楽しんでいる。
ヒヤヒヤしたが、溺れることはなさそうだな。初めての海だっていうのにもう楽しんでやがんぜ。
「海にプカプカしてるのもぉ、楽しぃねぇ」
「フォーレ、ちょっとは泳いだら」
「そうだよ。泳ぎまわるのも楽しいよ」
「アクアと違って泳ぐのには慣れてないからぁ。エアもよく泳げるねぇ」
フォーレはシュノーケリングセットを装備して蓮のように浮かんでんな。アクアとエアの誘いにも動じねぇし。楽しいんだろうか。
「あはは、フォーレらしいね。仕方ないからアクア、ウチと泳ごっ」
「いいよ、エア。じゃあフォーレ、いってくるね」
「いってらぁ」
フォーレがユラユラと手を振ると、二人は競うように泳ぎだした。
「いやぁ、アクアとエアは若いなぁ。競争するなんて」
「誰かさんは年寄りくさくってよ。少しは運動した方がいいのではなくって」
「子供たちがいなかったら、チェルと遊び通したいんだけどな」
ニヤリと笑うと、チェルは一歩引いてしまった。表情なんて。えっ、て驚きを表している。
「あの、地味に傷つくのでやめてほしいのですが」
「ふふっ、冗談よ。けど変なことをしたら、殺してしまうかもしれないわ。そのつもりでいてね」
「わぁ怖い」
けど、それ以上に楽しみだぜ。
ちなみに、シャインは砂浜で俯せにオチていた。死因はアクアにいいところ見せようとして足を攣ったことだ。誰も助けなかった。
「コーイチ、デッドとヴァリーがおかしくなくって」
えっ。
シャインから視線を戻すと、デッドとヴァリーが水しぶきを上げてもがいていた。位置も沖の方に流されている。
「あいつら、物語のテンプレ通りに溺れやがったな。クソっ!」
俺は悪態をつきながら海へ走ってゆく。早くしないと溺れちまう。シャインじゃないから安易に蘇生なんてしないだろ。
足が海に入ったところで、腕をつかまれちまった。誰だよ、この一大事に!
振り向くとチェルが、赤い瞳で睨みながら俺を止めていた。
「ちょっと、コーイチが行ってどうするのよ。二次被害に合うだけよ」
確かにその通りだ。俺も泳げないうことはないが、程度が知れている。素人が助けようとしたところで一緒に死ぬだけだ。
「けど、だからって手をこまねいていられるかよ」
見ろよ。デッドもヴァリーも必死の表情で助けを求めてやがる。あんな状況を、ただ見ているだなんてできっこないだろ。
「落ち着きなさい! 適材適所よ。いるでしょ、コーイチの子供にはスペシャリストが。アクア、エア!」
チェルが叫ぶと二人が遠くで頷いた。
あっ、そうか。あの二人なら。
「あの距離ならすぐに助けられるね。もうちょっと堪えていて」
「あちゃー、しょうがない弟妹たちだね。よっと」
アクアがまっすぐ泳いでいく。対してエアは、風をつかむようにして海上に上がると、二人の元へ向かっていった。
アクアはいい。けどエア、なんで立って腰を落とした状態で水上を飛んでいくんだよ。艦○レごっこは今じゃなくてもいいだろ。
呆れる思いではあったが、救出班の活躍は期待通りだった。
アクアがデッドを後ろから抱え、エアがヴァリーを海上に持ち上げたぜ。
二人はスムーズに岸まで助け出される。なんだよ、慌てた俺がバカみたいじゃないか。
「もう大丈夫だよデッド。パパ、無事に助けられたよ」
「お疲れヴァリー。今度から浮き輪つけようね」
「アクア、エア。よくやった」
二人の頭をそれぞれの手で同時に撫でる。アクアがはにかみながら、エアが満面の笑みで喜んだ。
ホント、よくやってくれたよ。さてと。
一方で意気消沈している溺れた組を見る。
「ジジイ……うっぐっ……」
「パパ……ひっく、うわあぁぁん」
デッドはその場で泣き崩れ、ヴァリーは泣き喚きながら抱きついてきた。
「怖かった、怖かったよー。うわぁぁ」
「よしよし。もう大丈夫だからな」
抱きしめながら頭を撫でてやる。叱るのは後回しだな。
「デッドも、大変だったな」
「うぐっ……うっ……うわぁぁぁ」
やれやれ、これも子育ての難しさかねぇ。まぁ、楽しみでもあるんだけどな。
ふと周りを見ると、みんなの視線を集めていた。
やれやれと思いながら、ホッとした表情を見せるシェイ。
意外そうに呆然と眺めているグラス。
未だに復帰していないシャイン。
「まったく。海って大変ね、コーイチ」
「なに、バカンスはこっからだよ。すぐに盛り返してやるぜ」
ビーチバレーに花火にバーベキュー。楽しみはたくさんあるんだからな。
(おとー、聞こえるぅ?)
意気込んでいたところで、フォーレのノンビリした声が脳に響いてきた。
この感じは、チェルのメッセージか。
視線で確認すると、チェルが肯定する。
「コーイチだけでなく、全員に繋がっていてよ」
(どうした、フォーレ。メッセージなんて使って)
(えっとねぇ、海でプカプカ浮かんでたんだけどぉ……遠い所まで流されちゃったぁ)
(はぁ……)
「はぁあ!」
「えぇえ!」
全員の驚きの声が重なったのだった。




