12 誕生
子供の存在が発覚してから、俺とチェルは生まれくる子供に怯えながら、子育てをどうしていくか相談していった。雲のように実体のない案ばかりが浮かんでは風に流れていく。
子育てなんて知識があったところで、実際にやってみないとわからないものだと思っている。けど、予想ぐらいしておかないと落ち着かなかった。
恐怖に震える夜もあった。命を預かる恐怖は、死の恐怖よりも重いものなんだと思いしらされる。けどチェルを不安にさせないために、虚勢を張って日々をすごした。
そしてあっという間に、一ヶ月がすぎた。
俺とチェルはクラーケンのいる鍾乳洞へと足を向けていた。
「時期的にも、いつ生まれてもおかしくないわね。堂々と任せておけと言っていた割には、全然準備ができていないようだけど」
うぐっ、毎日のように痛いところをついてくれるじゃないか。言葉が鋭い槍になって俺の身体を貫いてくるぜ。
「仕方ねーだろ。いくら準備をしようにも、勝手が違うんだから。俺の世界で簡単に買えるものが、イッコクじゃ手に入らない物もたくさんあんだよ」
「見てみたいものね。コーイチの世界に売っている道具を。案外、夢物語ではなくって」
俺が戯言をほざいているようにあしらいやがる。現代には文明の利器があるんだぞチクショー。哺乳瓶とか紙オムツとかなしで、いったいどうやって育てろってんだ。
ないものねだりなのはわかるけれども、代案なんてまったく浮かばねぇんだよ。
うだうだ悩んでいるうちに、地底湖がある広場へとたどり着く。クラーケンは足音に気づいたのか、ボコボコと泡を立てて勢いよく地上へと顔を出した。
うむ。今日も青くテカる三角の頭が長いぜ。瞳は怪しい青に輝いているし。吸盤のついた太くブヨブヨした足も、プールサイドから上がるように地上に伸ばしている。
「あっ、チェル様いらっしゃい。コーイチも。会いにきてくれたんだね。くれたんだよね。私すっごく嬉しい」
クラーケンの歓迎色はいつにもまして大きい。相変わらず恋する純情な乙女のように全身を赤く染めてウネウネ動くし。あー、このフォルム見ていたらイカが食べたくなってきたな。スルメでもいいし、スシにしてもいいよな。
「あらやだ。コーイチったら。そんなに見つめないでよはずかしぃ。でもね、えへへ、すっごく嬉しいよ」
両手で頬に触って恥じらうように、二本の足で三角部分を挟んでいる。
その恰好、有名な絵画にある、誰かの叫びっぽく見えるぞ。
「相変わらずね。と、言いたいところだけど、今日はいつもに増して機嫌がいいじゃない。何かいいことでもあったのかしら?」
チェルは口元に手を当て上品に笑みを浮かべる。ホント、様になるよ。クラーケンと気持ちをを入れ替えてほしいくらいだ。チェルから慕われてんなら千人力になれるのに。
「うん。やっと生まれたの。私とコーイチの赤ちゃんが」
きっと花が咲いたような笑顔になっているつもりなんだろうな。外見的に変化はないみたいだけど……え?
「そう。それはよかったわね……えっ?」
驚きで見開く目も写真に収めたいほどいい表情なんだけれど、聞き捨てならないことが耳に入ってきたぞオイ。
「きゃ、コーイチも嬉しいんだね。感極まって身体が震えちゃってるよ。でもいいの。私も同じ気持ちだから」
いやいや。クラーケンが何を思っているのかは知らないけど、間違いなく俺は別のことを考えているぜ。むしろチェルと考えがシンクロしているはずだ。俺の魂を賭けてもいい。負けてコインになることなんてないはずだから。
ちらりと横目で見ると、やはりチェルも震えていた。くるべき時が、きてしまったと。
「うん。わかってるよ。コーイチもチェル様も」
何がわかっているのか、三角の頭をうんうんと頷かせながらクラーケンは続ける。
「早く子供の顔が見たいんだよね。ほら、この子が私たちのかわいい赤ちゃんだよ」
いや、待って。もうちょっと心の準備をさせて。俺、初めてできた子供がモロにイカの姿をしていたら目にも当てられないんだからっ……って、早いっ!
俺がつっこみをいれる隙すらないほど素早く、二本の足を水中から出した。まだ見ぬ赤ちゃんが、やわらかく組まれた足の上にちょこんと寝転んでいる。
「うわっ、って、え……これは?」
「あら、これはこれは」
青くウェーブのかかった髪は水にぬれておでこに張りついていた。おっとりとした目は髪と同色で、クラーケンの色を強く引き継いでいる。頬もモチっと丸く、つつけばプニプニと指が沈むであろう。肌の色は白く、神聖な巫女のイメージを醸し出している。上半身は紛れもなく人間の身体をしていた。
ただ腰の部分から下はクラーケンという魔族の特徴を引き継いでいる。細く育っていない十本の足が、ぴったりとクラーケンの上に張りついている。
股間を調べようがないからわかり辛いが、紛れもなく女の子だ。
「マジか。意外とかわいいな」
「あら、よかったじゃない。コーイチに似ていなくって」
チェルがなんか言っているが、そんなの全然気にならない。
まじまじと眺めていると赤ちゃんと目が合った。あーあーと声を上げながら、モミジのように小さな手を俺に伸ばしている。
おっ、おう。ひょっとして俺がわかるのか。
たじろいでいると、クラーケンが幸せそうに笑いだした。
「ふふ、パパに会えて嬉しいね。ねぇ、名前をつけてあげてよコーイチ。この子の名前を」
「へっ、俺が」
自分を指さして聞き返すと、こくんと三角頭が頷いた。
どうしよ。自慢じゃないが俺はネーミングセンスの欠片もないぞ。
「いいじゃない。父親になったんだものね。名前くらいつけてあげたら。コーイチのことですもの、きっと素敵な名前を用意してくれるわ」
チェルのやつ、さらっとハードルを三段ぐらいあげやがった。しかもあの挑戦的な目、明らかに俺を見下してやがる。
えぇえぇチェル様の予想通りですよ。きっとあなたを爆笑させる名前をつけてしまいますよ。こうなったらゴンザレスとでもつけてやろうか。
俺は改めて赤ちゃんを見る。無垢な瞳に、本能のままに信頼を寄せて伸ばす手。ダメだ、こんなかわいい子にネタの名前なんてつけられない。日本で流行っていたキラキラネームなんてもっとつけられない。
両手で頭を抱えて叫びたい衝動を必死に抑えて考える。やめてクラーケン。そんな期待に満ちたピンク色のオーラを醸し出さないで。
世の親たちは名前づけ一つでアホみたいに時間をかけていたけれど、確かに時間かかるよこれは。ンでもって考えが巡った結果、無難な名前か恐ろしい名前になってしまうんだろ。だったらもぉ、単純に考えた方がいいのかもしれない。
「決めた。この子の名前はアクアだ。ダメ……でしょうか?」
単純に水のイメージが強くて響きがかわいいからアクアにしたんだけど、やっぱり単純だったかな。
「アクア。うん。かわいい名前。あなたの名前はアクア。アクアちゃんよ」
クラーケンは歓喜に足を躍らせながら名前を連呼する。アクアも名前をもらったと理解したのか、キャッキャと笑い声を出した。
よかった。気に入ってもらえたようだ。
「単調な名前ね。まっ、ある意味コーイチらしいのだけれどもね。ただ、ひねりがなくてつまらなくってよ」
「悪かったな」
チェルのため息に悪態で返す。
下手にひねってシャレにならなくなるよりはマシだね。
「ところでクラーケン。子供……アクアの子育てはどうするつもりなんだ?」
「アクアちゃんアクアちゃん……あっ、当分は私が育てるわよ。水の中の方がノビノビできるみたいだし。ねー」
クラーケンの呼びかけに、アクアは、あーっと唸って返事をした。
仕草の一つ一つがかわいらしい。ホントに俺の子供なのか疑問に思うほどかわいらしい。たとえ半分魔族でも、萌え要素があるだけで簡単に愛せてしまう。
やべっ、まだ実感がわかない。実は夢で、現実ではもっと異形な子供が生まれちゃって……やめよう。考えたら怖くなった。
「それに、コーイチは水中で生活できないもんね。任せてよ。でも、毎日顔を見せてくれると嬉しいな」
「おう。それくらいならお安い御用だ。わりぃな、任せっきりにしちゃって」
「うんん。全然かまわないよ。寧ろ幸せだもん」
すっげー嬉しそうに足が踊ってる。水飛沫で俺たちが大変だけど。でもそうだよな。よく考えたらクラーケンも母親になったんだもんな。苦労して産んだんだし、嬉しいよな。
俺は気のすむまで、アクアを眺め続けるのだった。




