11 マタニティブルー
チェルの部屋の丸テーブルで向き合って座る。紅茶でもあれば優雅な感じになるのだが、お嬢様は目を不機嫌に吊り上げていらっしゃる。
メイドさんがいるなら急いで心を落ち着かせるハーブティーを持ってきてほしいところだ。魔族しかいない城で無茶だとは思うがな。
「チェル、なんか問題でもあるのか? 実験は予想以上に順調そうなんだが」
チェルは目をつむると、ふーっと肺の空気をゆっくりと全部抜くように息をはいた。何らかの感情も一緒にはきだしている気がする。
「順調なのが問題なのよ。言ったと思うけど、私は全く成果をあげられないくらいの気持ちで実験に踏み切ったの」
あぁ、今回も何の成果もってセリフを言おうとしたんだね。あっ、でもチェルが知ってるわけないか。
「私はまじめな話をしているのだけれども」
俺が一人うんうん頷いていると、半眼で怒られた。ごめんなさい。謝るので雷の魔法を飛ばそうとしないでください。死んでしまいます。
「すっ、すまない。それで、成功しすぎにどんな問題があるんだ」
両手を挙げて降参ポーズをしながら、必死に落ち着いてくれることを願った。よかった。ピリピリしていそうな腕を下してくれたよ。
「まったく。問題しかないわ。成功しても一人ってつもりでいたから、子育てする準備ができていないのよ」
あっ、子育てって一人でも大変なイメージしかない。しかも人間と魔族のハーフだろ。育て方の前例もない手探りをしなきゃいけないわけか。てか、普通の子育ての仕方もわからないってのに。
いけねぇ。なんだか嫌な汗がダラダラと出てきやがった。
「しかも八人。育てるのはもちろんのこと、八人が八人ともうまく育たなかったら私の責任問題にも繋がるわ。妊娠失敗までなら前例がないって理由で許される。けどできてからの失敗はそうとも言えない。だって、一番難しいと思われる段階を越えてしまったのだもの」
そうだよ。八人もいるんだよ俺の子供たち。えっ、全員を一斉に、ちゃんと育てきれんの。施設も何もない、経験者の知恵もない異世界で。どうしよ、八人も命なんて預かれるかな。やばっ、なんか視界が白くなってきた。心音もうるさいぐらいだし、気持ち悪ぃ。
俺は手で胸を押さえてうずくまる。そういやとある小説で知ったけど、マタニティブルーって男にも起こるんだっけ。確か嫁を気づかわなきゃいけないとか、嫁が子供にとられるだとか……あれ、ここらへん関係ないよね。後は……そう、子供が生まれるせいで生活ががらりと変わる恐怖。これかっ!
「なぁ、チェル……えっ?」
俺が地獄の底からクモの糸にでも縋る思いで顔をあげると、チェルが頭を抱えて震えていた。指の間に艶やかな金髪を無造作に絡めて、周りの音さえも聞こえていないように見える。耳を澄ますと、何やら呪怨のようにぶつくさ呟いていた。
どうしたんだチェル。俺のマタニティブルーがうつったか。って、んなはずないよな。でもシャレになんないぐらい震えてんだが。
チェルの怯えようを眺めていると、マタニティブルーがスッと収まっていった。自分よりもヤバい状態のやつを見ると、自然と冷静になれるものだ。荒く気持ち悪かった息は落ち着き、冷たい空気を気持ちよく感じる。
だか落ち着いている場合じゃないな。チェルをどうにかしないと。
俺は立ち上り、テーブルを回り込んで近づいた。チェルは気づいていないようで、小さい背中を震えさせている。
背中のあいたドレスを着ているんだな。白く艶やかな肌に線の細い肉づきをしていて魅力的だ。女性らしい丸みもあって、触り心地がよさそうだ。
ぜひとも正面から許しを経て抱きしめたい。まぁ、俺に告白できるような度胸があるのならな。ホントは小さく震える肩をやさしく触りたいんだが、無理そうだから手を軽く握って、ノックするようにコンと頭を叩いた。
「痛っ……コーイチ?」
痛みに気づき、ふるふると震えて見上げるチェル。小動物のように怯えた瞳で見上げている。
「落ち着けチェル。何をそんなに思いつめてんだよ。いいじゃねぇか別に、実験に失敗してもさ」
灰をかぶったような赤い瞳が、強い感情で輝きだした。目尻がキッと上がって口元が歪む。バッと立ち上がると、パチンと顔に熱い一撃を受けた。
「無責任なこと言わないで!」
あれ、俺ぶたれた? 予想外なことが起きると呆然としちまうんだぁ。自分でも気づかないうちにぶたれた頬に手を当てているし。
「お父様が勇者に討たれたら今度は私が魔王になるのよ。今の魔王の部下は基本的に私の部下にはならないの。魔王が勇者に討たれるときにほとんど全滅するんだから!」
平手打ちした手をあげたまま、瞳は潤ませて歯を食いしばる。泣くもんかって意地が全身からにじみ出ていた。
「魔王になるとき私は、何もないままスタートしなければいけないの。部下の魔族や魔物は勿論のこと、領地や拠点さえもない状況から!」
魔王の事情も大変そうだ。というかゼロから始めないといけないのか。引き継ぎとかはないのかよ。
「お父様の話では、もうあまり時間は残っていないの。勇者は充分に育っているのよ。実験なんて、焦りからきてる悪あがきと趣味でしかないんだから!」
うっわ、やられた。いつも気丈にお嬢様していたから全然気がつかなかったけど、SOSのサインを常に振る舞いていやがった。
「この実験が実を結ばなかったら、お父様は私に幻滅する。魔王の歴史が私で終わってしまうんじゃないかって不安に思ってしまうかもしれない。そしたら私は、お父様に見捨てられてしまう!」
小学生が先生に怒られるんじゃないかって不安に思うように、身体を震わせる。幼い恐怖を振り払うようにチェルは吠える。
「そうなったらもう、私はおしまいなの! どうしよも、なくなっちゃうんだからぁ」
最後の言葉は花が萎れるように小さく、俯いていた。顔を上げる気概すらなくなってしまったようだ。
俺はチェルの両肩をつかむと、しっかりしろと念じて身体をゆすった。
「落ち着け! まだ何も終わっちゃいないだろ。実験、成功するかもしれないし、もしかしたらとんでもない戦力になるかもしれないだろ」
とはいえ、俺の血を継いでいるからな。弱くなりそうな気がするけども。
「そんな、楽観的ではいられないわよ。コーイチには成功させる自信があるわけ」
縋るように赤く潤んだ瞳で見上げてくる。その場凌ぎの励ましだから思いっきり目を逸らしたい気持ちに駆られる。さっきまで不安しかなかったし、今でも不安しかない。
「まっ、一人ぐらいなら何とかしてみせるさ。全員は無理かもしんねーけどな」
だけど、気軽な感じで笑ってやった。不安を煽るようなことだけは言っちゃいけないからな。
「何もできない人間のくせに……いいわ、騙されてあげる。期待はしていないけど、失敗したら命をもらうからね」
チェルは頬を桃色に染めながら呆れた感じに肩の力を抜いた。きっと情けない姿を見られたのが恥ずかしかったんだろう。照れ隠しに脅しなんてしちゃって……これで俺の退路も断たれちゃったんだろうな。
「おぅ。豪華客船に乗ったつもりでいろ」
「大船でしょ。何となく危険な香りがするわよ」
有名な豪華客船は沈んで映画になったやつだからな。チェルってば知らないくせに鋭いんだから。
ため息をつくと、半眼で見上げてくる。もっと上目使いで縋ってくれれば、守りたいって衝動に駆られるのに。もったいないな。でも、半眼もありかも。
「いつまで馴れ馴れしく肩をつかんでいるつもりかしら。コーイチも偉くなったものね」
「いぎっ!」
チェルのやつ、身体に静電気を流しやがった。両手がピリっときて痛かったんだからな。反射で手も放したし。
「ふふっ。いい反応。おかげで溜飲が下がったわ。今日はもう休むから、あなたもテキトーに休みなさい」
悪い笑みでクスクスと笑ってから、天蓋つきベッドへと向かっていった。ったか、かわいくねぇんだから。
「コーイチ」
「ん、何だ?」
やばっ、心でも読まれちまったか。お叱りを食らう覚悟した方がいいかも。
緊張して背筋がピンと伸びる。歯を食いしばって耐える体制をとった。
「ありがと」
チェルはボソリとつぶやくと、ベッドに身体を横たえた。
意外と素直なんだから。おかげで子育て、失敗できなくなっちまったぜ。