109 引き継ぎの準備
私はノックの音で思わず、ドアを凝視した。
私とお父様を除いて、ノックの合図を知る者はコーイチとガーゴイルしかいない。きっと、ガーゴイルよね。
「あらあら。もう登場するのね。いいわよ、入ってきなさいコーイチさん」
「えっ、お母様?」
そんな。コーイチは子供たちを寝かしつけているはずなのに。
疑問を投げかける猶予もないまま、ドアがゆっくりと開かれた。
顔を出したのは、お母様の呼びかけ通りコーイチだった。気まずそうに半目になって、ボサボサの髪をかきながら入ってきた。
「かなり酷ぇ言いようじゃねぇか。リアさ……」
「コーイチさん。男として死にたくなければ、そろそろ呼び方に慣れてくださらない」
刃物を飛ばすようなニッコリとした視線をコーイチに突きつけた。グサリと三ヒットぐらいしたのか、口を紡いで青ざめたわ。
お母様は笑顔を凶器にすることができるのね。
「マジ勘弁してくれ。魔王のおっさんだってそこにいるってのに。まぁいいや。チェルに酷ぇことを仕込みやがって」
コーイチはチラチラとお父様を見ながらも、まっすぐお母様に文句をぶつける。
「余計なことだったかしら」
「……ぶっちゃけ、一人だと怠ける自覚があるから、なんともいえねぇ」
苦い表情をしながら、恨みがましくはき捨てた。
お母様の言うとおりね。私が舵をとらないと不安で仕方がないわ。
「ところで、なんでコーイチがここにいるのよ。子守りはどうしたの?」
「あぁ、コーイチさんはわたくしが呼んでおいたの」
コーイチの代わりにお母様が答えた。言い方からして、そもそもの黒幕みたい。
「今朝アスモと三人で集まるって聞いたときにピンときてね、朝食のときガーゴイルにメッセージを任せたのよ」
「ンで、俺がここにいるってわけだ。ついでに子守りの件だが、みんなここに連れてきてるぜ」
えっ?
コーイチが外に向かって手招きすると、八人の子供たちがゾロゾロと部屋に入ってきた。
「えっと、あの。ホントに来ちゃってもよかったのかな」
「アレが母さんの尊敬していた魔王様たちか」
「へー、食堂の奥ってこうなってたんだー」
わいわいガヤガヤと部屋を見渡しながら、それぞれが感想を漏らす。
「ほぅ、コーイチ。その子たちがキサマの切り札か」
イスに座ったまま身体を回して、子供たちを見下ろす。
「ワシは魔王アスモデウス。この魔王城の城主にして、イッコクに絶望をもたらす者だ」
お父様は尊厳を見せつけるように腕を組み、子供たちを見下ろした。安物に見えるイスに座っていなければ完璧だったのでしょうね。
「あなたが偉大なる魔王アスモデウス。母さんから話は聞いています」
グラスが跪いて頭を垂れる。言葉の隅々に尊敬が込められている。
「初めまして。シェイです。陰ながら父上の護衛を務められるよう、日々研鑽しています」
丁寧にお辞儀をしてから、黒い一つ目でジッと見上げるシェイ。その視線はお父様を見定めようとしているみたい。
「ケッ、テメェが勇者に討伐される予定の魔王かよ。なかなか強そぉだけど、僕には及ばねぇな。なんたって僕は勇者を倒すからな。キヒヒ」
横暴な態度で暴言をはくのはデッドね。赤い瞳でお父様に食ってかかる。
「わぁ、おっきい。筋肉ムキムキ。父ちゃんと違って頼りになるマッスルだよ。バスターとかできるかな? ドライバーでもいいな」
はしゃぎ回って飛ぶのはエアね。黄色い翼をバタバタとさせて喜ぶのはいいけど、バスターもドライバーもやらなくてよ。
「もう、アスモってば。わたくしも負けていられませんわね」
お母様は立ち上がると、お父様の隣に並んで丁寧にお辞儀をした。
「初めましておチビちゃんたち。わたくしはチェチーリア・フォン・ノーバート。アスモの妻でチェルの母親でしてよ。敬愛を込めてリアか、おばあちゃんと呼んでくださいまし」
「かなりはっちゃけるな!」
お母様のおばあちゃん発言に、コーイチが目をひん剥いたわ。コーイチほどではないにしろ、私も驚いているわ。
「リアちゃんって若く見えるよー。なんでおばーちゃんなの」
ヴァリーがお母様の胸に飛び込みながら無邪気に尋ねる。というか、ちゃんづけは許すのかしら。
「それわねー、あなたたちがコーイチさんの子供で、コーイチさんはチェルをお嫁さんにするからよ。だからわたくしにとってあなたたちは孫になるの」
「ちょ、お母様!」
何を勝手に私とコーイチを結びつけているの。
「驚く気持ちもわかるけどチェル。お前さっき魔王夫人で納得していたぞ」
「それは、魔王夫人って響きが気に入っていただけで、その……特に意味なんてなくてよ」
いけない、顔が熱くなっているわ。コーイチなんかの戯言に心を揺さぶられるなんて屈辱だわ。お父様もお母様もいるのに。
「かわいい孫たちが八人もいて嬉しいんだけど、血の繋がった孫の顔もみたいわね。ねぇアスモ」
「うむ。チェルの子だ。さぞかし、かわいいであろう。がコーイチと事を結ぶと考えると、少々穏やかではいられないがな」
お父様がギロリとコーイチを威嚇するのだけれど、私はそれどころの騒ぎではない。
「ちょっとお父様。何を想像しているのですか!」
「何をと言われれば、チェルの暖かな未来予想図というのが正しいであろうな」
「まじめに答えないで!」
躍起になって叫んでもお父様は豪快に笑うばかりで取り合ってくれなかった。とても理不尽だわ。
「生きているうちに顔を見られたらいいわね。ふふっ」
「やあ、ミス・チェチーリア。いつもおいしい料理をありがとう。ミーはシャイン」
お母様の微笑みを理不尽に思っていると、シャインが話の流れをぶった切って丁寧に自己紹介をしたわ。
「シャインちゃんね。いつもおいしく食べてくれてありがとう」
「いえいえ、寧ろ食べさせていただいて光栄ですよ。それにしてもお美しい。魔王の妻なんて勿体ない。今からでもミーの半身にならないかい」
シャインが恐るべきお父様の前で堂々と、お母様を口説いたわ。
私はゆっくりとコーイチの隣に移動して、小さく囁いた。
「ねぇ、シャインはバカなの?」
「バカじゃなきゃ、勇者だろうな」
呆れた答えが返ってきた。
確かに魔王の前で堂々と妻を奪う宣言をするんですもの。勇者と言ってもいいくらいのバカね。
「あら嬉しいわ。まだまだ捨てたものではないわね。でもわたくしを口説くには一生早いわ。諦めてちょうだい」
サラリと躱したわね。さすがお母様。お父様なんてちょっと身体が赤くなって、ちょっと息が荒くなっているのに。
「わかりました。今回は引きましょう。ですがミーは美しい女性には目がないので、いつか口説ききって見せますよ」
白い目を輝かせて自信満々に言い切った。
シャインのナンパが成功しているところを一度も見たことがないのだけれど、どうして自信を保っていられるのかしら。
謎だ。
「おばぁちゃんかぁ。リアは若いからぁ、違和感があるなぁ」
フォーレがボーっとしながら率直な感想を漏らした。
「若く見えるっていいわね。ありがとう」
「えっと、おばあちゃん。私、料理できるようになりたいの。教えてほしいんだけど、ダメ、かな」
アクアがオドオドしながら、青い瞳を上目づかいにしてお願いした。
「キャー、かわいい。」
「きゃっ!」
お母様は破顔すると、勢い任せにアクアを抱き締めた。
アクアは臆病な性格もあってかわいいものね。庇護欲に駆られるのかしら。
「いいわよ。わたくしがやさしく教えてあげるわ」
スリスリと頬ずりしながらアクアを愛でる。
恐ろしい子ね、お母様を落とすだなんて。
「ありがとう、おばあちゃん。大好きだよ」
「キャー、この子孫に欲しいわ。チェル、すぐにアクアを産んで。コーイチさんと交わって」
どさくさに紛れてとんでもないことを言わないでよ。
「いや、いろんな意味で無茶だからな」
コーイチが思わず脱力しきったように俯いてつっこんだ。
「もちろん冗談よ。みんないることだし伝えておくけど、わたくしはアスモと運命を共にするつもりでしてよ」
緩い雰囲気から一転して、重要な話を切り出した。
事の重大さに全員が静まり返る。
「リアは、俺たちについてきてくれないんだな」
珍しく神妙にコーイチが確認をとった。お母様が静かに頷いて肯定すると、気遣うように黒い瞳で私に視線を送ってきた。
「あら、コーイチの分際で私に気を使おうというの。心配は無用よ。それこそ、幼い頃から言い聞かされてきたもの」
覚悟は、できていてよ。
胸の思いを微笑みに込めて、コーイチを見据える。覚悟がいるのは、コーイチの方よ。
長く見つめ合っていると、コーイチはため息をはき出して下を向いた。
「わかったよ。魔王のおっさん。リア。短い間かも知れないけど、俺が……俺たちが魔王になれるよう指導してくれや」
顔を上げると、、似合わない真剣な顔を浮かべていた。
お父様が厳かな表情で頷き、お母様がニコリと微笑んだ。
「時間の限り、お手伝いいたしますわ」
「よろしくお願いします」
コーイチが深々とお辞儀をしたのだった。
これにて第一章が終了です




