107 最後の缶ビール
私はふんわりしたベッドのなかで、朝の陽ざしを浴びながら思う。
昨日。コーイチが魔王なるだなんて大それたことを抜かしたわね。おそらく本気なんだろうけど。
ベッドを降りて、コーイチの眠る白いソファーを見下ろした。
横幅の狭い空間だというのに、器用に寝相の悪さを披露するのね。落ちないのが不思議よ。口なんてだらしなく開けているじゃない。
「人間の身で、魔王の娘である、このチェルを守ろうだなんておこがましいわ」
起きないように小さく呟きをこぼす。
でも、本気だった。魔王宣言をされたとき、抱き締められたとき、不意に安心してしまった。
「そういえば、お父様とお母様に相談したって言っていたわね」
どんな話をしたのかしら。聞いたら教えてくれるかしら。
私のスキル、メッセージを発動させてお父様とお母様にアポを取る。回線を両方同時に繋げることで全体会話を可能にした。
昼食が終わってから家族三人でお母様の部屋で集まることになった。
約束を交わしたところで、コーイチが寝返りをうつ。
「んっ……んん。ふぁ~あ。おはようチェル。朝から迫ってきてどうしたんだ?」
寝転んだまま、ぼんやりと黒い瞳で見上げてくる。
「相変わらず自意識過剰なことね。迫られるほど自分に魅力があると思って?」
間抜けにあくびをしながら、ふざけたことをぬかしてくるんだから。バチバチと電気を手にまとわせたら、顔がみるみる引きつったわ。
「チェル、その起こし方は刺激的すぎやしないか」
「あら。案外、血行がよくなるかもしれなくってよ。ホントにやってみようかしら」
「勘弁してくれ」
汗がタラタラ流れていてよ。そんなに怖かったのかしら。魔王になるには情けなさすぎるわよ。
「冗談よ。いくら弱く電流を流しても、コーイチなら死にかけないものね」
電気を抑えてから、起き上がりやすいように手を差し伸べる。
「ありがと」
コーイチはホッと安心してから、私の手をガッチリと握った。
大きくてやわで、熱い手ね。ホントは手助けする必要もないのだけれど、どうしてかそうしたかったのよね。
軽く力を入れて引き寄せると、コーイチは身体を起こした。流れるようにベッドから降りて立ち上がる。
軟弱なクセして、私よりも頭半分ぐらい背が高いのよね。生意気よ。
「どうした、マジマジと見つめてきて。顔になんかついてるか」
「いいえ何も。そうそう、今日のお昼寝の時間にお父様たちと話をするから。子守は任せるわよ」
「りょーかい。時間は短いけど、家族水入らずでのんびりしてこいや」
コーイチは軽く手を振ると、寝間着から着替えるために部屋から出て行こうとする。が、不意に立ち止まった。
「そうだチェル。マイルームの冷蔵庫にあったビール知らないか。まだ三本残っていたはずなんだけど」
「あの缶という容器に入ったおいしいお酒のことよね。私は知らないわよ」
「チェルじゃないか。じゃあどこいったんだろ」
ボサボサな黒髪をかきながら不思議そうに首を捻る。
「コーイチって、そこまで酒好きだったかしら」
「そういうわけじゃねぇんだけどさ、変に物がなくなるのって気持ちが悪ぃんだよ」
気分の問題のようね。魔王という強大な存在になると豪語しているわりには、悩みが小さくってよ。
「別の場所に置いて忘れているのではなくって」
「ビールを冷蔵庫以外にしまうなんて、まずありえねぇっての。そんな好きでもないんだけど、少ない物がなくなるのも、それはそれで嫌なんだよ」
コーイチはどこやったかなと呟きながら部屋を出ていった。
「まったく、私が知るわけないじゃない。物忘れを人せいにしないでほしいわ」
ため息をはいてから、私も着替えることにした。
昼食を食べ終えて子供たちを寝かしつけたところで、お母様のいる食堂の部屋へと向かった。
合言葉のノックを叩いて部屋に入ると、もう既にお父様が席についていた。お母様とニコニコ笑顔で会話を楽しんでいる。
「いらっしゃいチェル。アスモはもう来ていてよ」
「あら、お待たせしてしまったかしら」
「いや、リアとじっくり話していたからな。時間は気にならなかった」
ジックリ、ね。いつからいたのかしら。お母様もご機嫌だし。
私が席に着いたら、家族全員が揃ったって気分になった。
コーイチといるときも特に気は張っていないのだけれど、家族が揃うと不思議と落ち着くのよね。
「聞きたいことがあるのだったな、チェル」
紫の肌をした強面がギロリと振り向いた。瞳孔のない赤い瞳で睨まれれば怒りを買ったと勘違いするのが普通ね。
まっ、ここには怖がる人なんていないのだけれども。
「えぇ、コーイチについて聞きたいことがあるの」
魔王の巨体を見上げる。うむ、とあごを擦りながらの返事が返ってきた。
「あら、せっかく家族が揃ったというのに堅い話になってしまいますわね。せめて雰囲気だけでも緩くしませんか」
金髪碧眼の美人が全てを包み込む包容力でニコリと場を緩める。
私を生んでから二十以上も年をとったというのに、二十代の若さを保っている。生粋の人間だと考えると、ありえない若さのキープ力だわ。
母親ながらに恐ろしさを覚えてしまう。恐怖とは無縁の性格をしているのだけれどもね。
「ほぅ、リア。どう雰囲気を緩めるつもりだ」
「新種のお酒を手に入れたから、みんなで楽しもうと思いましたの。冷気を操る魔物に適温をキープしてもらったのよ」
フフッと微笑みながら、お母様はお酒を三つ取り出した。汗をかいているように缶の接面に水が付着し、冷気を漂わせている。
「って、コーイチのビールじゃないの。どうしてお母様がコレを!」
「昨日コーイチのマイルームに入ったときに拝借させてもらったの。ちょうど三本あってよかったわ」
頬に手を当てて、無邪気な少女の笑みを浮かべる。罪悪感なんて微塵も感じさせない笑顔だ。
「ほぅ、コーイチの世界の酒か。興味があるな」
「でしょう。プルタブって物で開けてから、容器に移さずそのまま飲むのが庶民の味でしてよ」
これは、止めても無駄ね。ごめんコーイチ。犯人はお母様だったわ。




