102 大変な下準備
「領地って、なんでまたいきなり」
まだ魔王になれるかどうかもわかってない状態だっていうのに、リアさんはせっかちだな。
「遠い未来のお話に聞こえましたか。残念ながら真っ先にやらねばならないことでしてよ。ひっそりと暮らすおつもりなのなら、話は別ですけど」
理知的な碧眼は、冗談を言っているようにも失敗をごまかしているようにも見えない。
「なんで、領地なんだ」
真剣さに気圧され、改めて聞き直す。
「考えてもみてください。今コーイチさんが何不自由なく暮らしていられるのはアスモのおかげなのでしてよ」
言われるまでもなく俺は寄生虫状態だ。何の稼ぎもなく、ただ養ってもらっている。
「食料は配下の魔物が、人間の町や村を襲って手に入れてくるのです。物や衣服も同様に。だから魔王城は満たされているのですわ」
魔物がどうやって食べ物を作っているんだろうって考えたことはあるけど、思ったよりエグかったんだな。
今まで考えてなかった……いや、考えないようにしなかった事実を突きつけられる。
「アスモはやがて勇者に討たれますわ。それが意味することは魔王城の陥落。住処が完全になくなるのです」
そうだ、住む場所がなくなるんだ。そうなると新たに家を……城を建てるところから始めなきゃいけなくなる。
「まさかコーイチさん、この地にあなたの城を建てようだなんて思っていませんよね」
「えっ、いけないのか?」
そもそもここ以外の場所なんて知らないし。
「愚策ですわ。魔王亡き後の地は、人間の繁栄に満たされます。力を持っていれば不可能ではないのでしょうが、現実的ではありません」
キッパリと否定された。地盤の段階で人間魔王計画が崩れていっている。
「仮にアスモが討たれてから城を建てるとして、それまでの生活はどうするおつもりですか。チェルと子供たちを野ざらしにするおつもりでしたの」
「あっ、城が建つまでの期間を考えてなかった」
思わず口に出すと、呆れのため息が返ってきた。
「本当に無計画でしたのね。それに、そんなに待たせていたらチェルが魔王になってしまいますわよ」
「それだけはさせない!」
どんなに無計画で無鉄砲だろうと、チェルの魔王化だけは認められない。
「威勢だけはよろしくってね。まぁいいでしょう。今から取りかかれば、何とか間に合うでしょうし」
リアさんはビールを一口あおる。
「それで土地なんですけど、ここブラックホールより南西にある『イッコクのへそ』がよろしいと思いますわ。未開の地で、人間の地図には載っていなくてよ」
地図に載っていない場所なんてあるのか。確かにそれなら、じっくり建築ができるかも。
「ちなみに、距離はどんなもんなんだ」
「直線距離を馬車で換算するなら、一月といったところでしょうか」
むっちゃ遠いじゃねぇか。えっ何。そこまで行くの。馬車なんて持ってないんだけど。
「少々遠いでしょうが、最も安全な地であることは間違いありませんわ。まずはイッコクのへそを確保してください」
最初の一歩目が無茶苦茶だ。ド初っ端から難題すぎる。
「それと食料や資材の確保もしないといけませんわ。近場の適当な村でも襲って、開拓するのがいいでしょう」
「同時進行かよ。ただでさえ厳しいってのに。しかもそれって、侵略行為だろ」
人として忌避感を覚える。できることならそういうのは避けたい。だがリアさんはいい笑顔で、淀みなく言った。
「はい。できて当たり前でしてよ」
「マジかよ」
「だって、魔王になるのですから」
魔王って重圧が初めて胸にめり込んできた。胃が重くなってめまいを覚える。
「侵略には力、もしくは兵力が必要ですわ。勿論、これもアスモの戦力は貸せなくてよ」
「あっ、そこは多分問題ない。子供たちに任せれば勝手にどうにかしてくれると思うから」
あいつらは全員がカリスマを持っている。その気になれば、自分に似た種族の魔物をかき集めるのも簡単だろ。
「信頼されているのですね。そこまで平然としているなら安心ですわ」
心なしか残念そうな雰囲気を出している。ひょっとして俺を貶めたいだけなんじゃないか。
まぁいい。とりあえず領地と侵略先と部下が必要なんだよな。
頭を抱えながら指折り数えてみる。言葉にすると簡単だけど、ひとつひとつの中身は膨大だ。
「最後にもうひとつ」
「まだなんかあるのかよ」
勘弁してくれ。もう頭が破裂しそうなんだけど。
辟易しながら顔を上げると、心配そうな眼差しで見つめられていた。
「ある意味、一番重要なことです。悪人になる覚悟……悪いことをする覚悟を持ちなさい」
「は? 魔王になるってそういうことなんだろ」
リアさんは何を今更、そんなことを言うんだ。
「その通りですよ。そしてわたくしの言った意味は、実際に体験してみないとわからないかもしれませんわ。想像するのとヤルとでは、違いが大きいですもの」
「違い、ねぇ」
さっぱりわからん。リアさんはどこまで俺をヘタレだと思ってんだか。
「呆れた顔をなさいますのね」
やべ、顔に出てたか。
「いやいや、そんなことは」
「お気持ちはわかりますが、本当のことです。特にコーイチさんは、いざというときに良心を痛めそうですし」
リアさんは俯き、愁いの雰囲気を作った。俺はビールを一口飲んだ。
良心なんてとっくに寂れていると思うぜ。地球ではあらゆる感情を殺して社畜をやっていたからな。
感情を殺さなければやっていけなかった。毎日が仕事に潰される思いだった。
嫌な思い出だ。金を稼ぐって目的すらなく、周りの流れに任せて働かされていた時期だからな。
けど今は目的を持っている。チェルの助けになりたい。悪人になるくらい、わけねぇぜ。
「ありがとな、リア。他には何がある」
「いろいろありますわ。侵略先の視察や勇者との対面など。ですがそれらは追々でいいでしょう。今は悪人になる覚悟と自身の城を建てることに専念なさい」
「悪人を念押しするんだな」
そんなに頼りなく見えるんだろうか。
「そろそろ子供たちもお昼寝から目覚める時間でしょう。チェルに任せっきりなのでしょう。行ってください」
リアさんはニコリと微笑むと、俺の背中を押した。
「あぁ、いろいろありがとな。やってみるぜ」
なれるかどうかはわからないが、今から魔王活動を始めてやるぜ。
二人でマイルームを出てから別れた。
部屋に戻ると、チェルに酒臭いことを指摘されたのだった。




