100 愛欲という名の意地
魔王のおっさんに促されるままリアさん所にきちまったけど、あの人忙しくないかな。
魔王もそれなりに忙しいとは思うんだけど、どうも暇なイメージしかないんだよな。反面、リアさんは魔王城のことで忙しそうに見える。
「まっ、いっか。ダメならそのまま引き返せばいいだけだしな」
気軽に構えて食堂に入る。昼の光が差し込むガラリとした空間で一人、ガーゴイルが机拭きをしていた。
なんか、シュールな光景だな。
「よぅ」
軽く手を挙げて挨拶しすると、コクリと静かな頷きが返ってきた。
無反応よりはマシってところか。そういや素性も知らないんだよな。シャイな女の人だったらある意味で困る。
どうでもいい考えを頭の隅に置き、リアさんがいる扉を合言葉である三三七拍子でノックした。
「はーい、開いていますよー」
「不用心すぎやしねぇか」
あんた、一応隠れ住んでいるんだろ。呆れて汗がたれるぜ。
微妙な気持ちに襲われながら扉を押し開けると、リアさんが鼻歌交じりに皿洗いをしていた。
「あら、コーイチさんではありませんか。この前はおもしろいレシピの提供、ありがとうございます。イスに座って待っていてくださいね。すぐに終わらせますから」
金髪ショートの向こうから、緑色の横目でチラリとやさしい視線をくれる。手を止めることなく俺をもてなした。
「いえいえ、再現してもらって助かってますよ。レシピは、探せばいくらでも引っ張ってこれますので」
魔王のおっさん用のイスに座ってのんびりと待つ。
機嫌のよさそうな鼻歌は聞いていて耳が癒される。リアさんは全ての皿を洗い終えると、簡素なエプロンで手を拭きながら近づいてきた。
外したエプロンをイスの背もたれにかけてから、対面へと座った。
「お待たせいたしました。こんな時間に来るなんて珍しいですね。今日はどういったご用件で」
ニコリと優雅に微笑む姿は様になっていて、どんな相談でも受け入れてくれそうだ。とてもしゃべりやすい。
「リアさん、俺は……」
相談しようと口を開いた瞬間、リアさんが細く小さな指で俺の鼻をさわった。
「リア、でしてよ。コーイチさんはまだ他人行儀でしゃべる癖がついているのですね」
口調はゆるいが、目じりをピンと上げて睨んでくる。怒った顔すらかわいいのだけれど、漂うオーラがスタ○プラチナが如く攻撃的だったので無言で頷く。
逆らったら、俺の時が止まる。
「おーけー、リア」
緊張感に固まりながら名前を呼ぶと、満足そうに微笑んでいろいろ引っ込めてくれた。
「よろしい。次さんづけで呼んだら、一つ潰しますわよ」
何を? とは怖くて聞けなかった。
「で、話は何でして」
何事もなかったかのように平和に微笑むリア。花畑が似合いそうな笑顔なのだが、今日はもう騙されない。
「あぁ。俺、魔王になろうと思うんだ。魔王のおっさんにそのことを言ったら、リアさ……」
ゴゴゴゴ。
「リアに相談した方がいいって勧められたんだ」
何気なくス○ンド出そうとするの止めてもらえないでしょうか。ホントに潰されそうで怖いよ。
「あら、ついにコーイチさんも覚悟を決めたのですね。ちなみにアスモからは何を聞いたのですか」
「あのおっさんは魔王になる方法は知らないって言ったぜ。魔王はなるものじゃなくて生まれるものだってさ」
「なるほど、つまりコーイチさんを無理やり魔王に仕立て上げればいいのですね。覚悟はおありで?」
笑顔を絶やさないまま、軽く首を傾げて聞いた。
「正直、そんなにねぇ。けど、俺のなかに小さな意地が生まれてきてんだ。なんにもなかったはずなのに、微かな生きがいが」
たぶん、この意地が俺の生きる全てなんだ。生きる目標なんだ。
「そうですか。意地の正体を聞いてもよろしくて」
「欲望だよ。正確には愛欲だ。チェルの助けになりたい。俺なんかがおこがましいけど、救ってやりたい。あわよくば好きでい続けたい」
私利私欲。全ては俺の愛欲でなりたった、わがままな意地だ。
「なぜ、チェルをそこまで愛されているのですか」
緑の視線が俺の生き様を射抜いた気がした。それでも、重圧は少ない。
「わかんねぇ。ただ傍にいて笑い合ったりバカし合ったり、ときには弱い部分を見ちまったり……気がついたら生まれてたんだ」
愛情ではなく、愛欲。だからこそ俺はまだアタフタ騒がずにいられる。愛情、恋愛になったら俺は、失うのが怖くて動けなくなるだろう。
「身勝手な意地でしてね。とても淡くて弱い願望ですこと。けど、不思議と応援したくなりますわ」
リアさんは出来の悪い子供を見るようにやさしく微笑んだ。と同時に、瞳に力が宿る。
「わかりました。できるかどうかわかりませんが、わたくしが助言をいたしましょう。長くなると思うので、先にお茶を用意しますわ」
席を立ち、お茶の用意をしようとする。俺はその背中を呼び止めた。
「待った。正直シラフで耐えれる話じゃねぇ気がするんだ。軽く酒を飲みながらでいいか?」
半分本音だ。だがもう半分は企みでもある。
「まぁ、昼間っからお酒を飲むつもりでして。アスモ秘蔵のワインを用意しなければいけませんわ」
最初こそ苛めているものの、後半は乗り気で頬に手を当てて微笑んだ。
「いや、ちょっと待て。いくらなんでもそんな高級そうなのは後が怖ぇからな!」
この人に舵を取らせると危険な場所に突っ込まされる気がする。主導権を握らなくては危険だ。
「あら残念。ではコーイチさんの好みはどんなお酒で」
言えば用意しますよと、言葉の裏に隠されている。
「気づかいは無用だ。酒も場所も俺が用意しますんでね。あちらのドアへどうぞ」
俺がリアさんの後ろを手で示して振り向かせる。そこに見慣れたマイルームの扉を出現させた。
「まぁ、いつの間にこんな頼りない扉が。しかもこの奥は食糧庫のはず。アスモってば、いったい何が目的でこんな扉を」
リアさんは両手で口を塞いで驚くと、魔王のおっさんを疑いだした。
「あぁ、それは俺のスキルですよ」
俺は立ち上がってマイルームの前まで移動する。ドアを開いてから踵を返し、リアさんをエスコートする。
「この先は俺のマイルームです。リアを招待しますよ」
「まぁ、楽しみですわ」
リアさんは好奇心を隠さずにニコニコしたまま、マイルームへと足を踏み入れた。