プロローグ
~プロローグ~
ホールの床は白く艶やかで、大理石を贅沢に使って作られている。豪華にあしらわれた目に痛いドアから、俺の座っているふっかふかした座り心地抜群の玉座まで、木の幹ほどの太さをした支柱が道を作るように二列に並んでいる。車が二台は並んで通れそうなほど幅のある赤い絨毯が伸びていた。
広さは体育館ほどだ。大の大人がはしゃぎ回っても壁にぶつかることはそうそうないだろう。貴族がパーティを開いてダンスをするのにちょうどいい。
「まったく。庶民だった俺には豪華すぎるよ。まぁ、慣れたけどね」
俺こと高橋浩一はボサボサした髪をかいてぼやいた。身長は160ちょいの普通の人間で、さえないおっさんだ。貫禄なんてあったものじゃない。
「まっ、そんな気楽なことも言ってらんねぇか。グラスもやられちまったようだし。いっちょ魔王として、勇者に噛みついてやるか」
肩パットのついた青いマントに皺のない厚いローブ。袖とかには金のラインが入っていて、ベルトまでもがドラゴンの皮で作られた豪華な仕様だ。ローブの内にはアダマンタイトで作られた鎧があり、並大抵の斬撃では傷一つつけることはできない。魔王である俺の装備だ。
「偉そうなこと言っている割には、威厳がカケラもなくてよ。『人間魔王』」
玉座の横からダメ出しを入れたのは、背が低く、羊のように丸っこい角を二つ生やした幼女だった。金色のボブカット。気が強そうに目尻が上がっていて、瞳はルビーのように赤く輝いている。ちょこんとした鼻に餅のようにやわらかそうな頬。唇はプリっとした艶やかな桃色にテカっている。
指摘されたとおりに、伝説級の防具は玉座の後ろに脱ぎ散らかしてある。
俺? 俺はジーパンに半袖Tシャツってラフな格好だぜ。着込んでいると重苦しい。何より斬撃に鎧が耐えられたところで、中身が普通のおっさんじゃ衝撃でノックアウトだ。故に身体を重くする以外の意味がないから脱いだ。
オンラインRPGでいうなら、レベルが足りないので装備できませんだ。あれは装備できないんじゃなくて、しても意味がないってことだと思うね。
「俺に威厳は似合わないさチェル。なんせ名前だけが売れちゃっている魔王だかんな」
振り向きながらニヤリと悪者っぽく笑ってやった。
「それもそうね。森で拾ったさえない人間が、さえないまま魔王になってしまうのだから。本来なら私が魔王になっていたところなのにね」
チェルは冗談のようなノリで、悲しげに笑う。
「そんな顔すんなって次期魔王チェル。それにただでやられるつもりはないぜ。『史上最速にして最凶。そして最弱の人間魔王』として勇者に目に物を見せてやるぜ」
「逃げないの? グラスがやられた時点で、コーイチの部下は全滅したのよ」
「子供たちが勇者に殆どやられたっていうのに、父親の俺が安穏と隠れてるわけにはいかねぇだろ。せめて一矢報いてやんよ」
ホントは某悪の天才科学者が如くジャンピング土下座をしたいところだがな。
「それ、やられる側のセリフじゃないわよ」
「ほっとけ」
「さて、そろそろ避難させてもらうわ。コーイチの子供は確かに授かったもの」
チェルは愛おしそうに微笑んで腹をさする。
「一発でできるのか?」
「あら、魔王の意地を舐めてもらっては困るわ。コントロールしようと思えばできてよ」
俺は驚きを込めてヒューと口笛を吹く。
「そいつはまた恐れ多いことで」
「ふふっ。ここにいるのはコーイチの子供よ。きっと末恐ろしい化け物に育つわ」
俺たちは一頻り笑いあってから、顔を見合わせた。
「コーイチを拾ってからの八年間は、ホントに楽しかったわ」
「俺も、人生で一番濃い八年だったよ。ありがとな」
「せいぜい私がこの部屋を去るまでは、気丈に振る舞っていなさい」
チェルは背を向けると、気品に満ちた歩みで赤い絨毯の上を進んでいく。ドアを静かに開け、半分出かかったところで止まった。
「さよなら」
チェルは小さな背を向けたまま、小さく別れを告げて出て行った。静かにドアが閉まる。
「行ったか。少しは平穏にすごせよチェル」
辺りがしんと静まると、急に肌寒さを感じてきた。もうすぐこのホールは、勇者たちと人間魔王の俺との戦場に変わる。
「いや、戦場なんて立派なものにはならねぇだろ。ここは大々的すぎる、俺専用の墓場だ」
ため息をつくと妙に孤独を感じてしまう。あぁ、俺はもうすぐ死ぬんだ。勇者ご一行を死神の集まりに例える日がくるとは、日本にいた頃は全く思わなかったな。
じきに地獄の門が勇者の手によって開かれる。
これは、俺が異世界に飛ばされてから、なんやかんや子供を育てながら魔王になり、そして勇者に討伐されるまでを描いた物語である。