表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
庖丁梅譜  作者: 鏑木恵梨
4/7

其の四

 朱が遠い空に溶け、闇に変わろうとしていた。

 八幡社の梅はほかよりひとあし早く、そのいのちを誇る。

 白梅香る樹下、武者ふたり、相対す。

 剣術指南役・栗栖典膳は、木刀を正眼に構え、立っていた。息は乱れていた。肩がしきりに上下する。

 向かえうつ牢人・梶原新左衛門は眉濃く、肩幅広い偉丈夫。静かに、上段から振り落ろす時を待っていた。

 両者、ともに動いた。

 典膳は膝をはらった。梶原は動きを読み、細やかにかわした。

 なお典膳は打撃を加えた。打込みを流されながらも、二歩三歩と踏み込む。典膳は押すに押した。

 かかっ。

 と、軽い交錯音。

 即、典膳は下がった。

 形勢逆転、梶原の切り込みは速度を速めていった。

 打ち込みは鋭く、速い。典膳は肩の前で受け流す一方である。

 主税は太刀筋を追いかけた。

 ───見える。

 動きがはっきりと、見える。もしおれの腕が自由なら、栗栖どのよりまえにおれが申し出た。このような介添役でなく……。

 主税は唇を噛んだ。

 やがて典膳は追いかける側となった。しかし典膳は息を乱していた。喘ぐように追う。

 梶原は闊達に動く。歩に乱れはない。

 突然、典膳の瞳に月が映る。牢人は何処……。

 一瞬だった。

 音もなく、一刀が空を舞った。

「勝負あった」

 主税の声と同時に、典膳は膝をついた。

「負けにござる」

 最悪の事態だった。

「梶原氏」主税はつとめて冷たく告げた、「当藩にはもう、格別の者はおり申さず」

 牢人梶原は木刀を脇におさめ黙っている。

 主税は言葉を継いだ。

「されど……面目にかけてこのままにはできません」

「拙者を討つ、と」

 梶原は問うた。低く、透き通った声である。

「ええ。されど未練な真似はいたしません」主税は右腰より片手で刀を抜いた、「真剣にて、いざ」

 主税の右腕はただの飾りと、梶原はそこではじめて気づいた。

 でありながら、挑む。

 ───決死の覚悟だ。

 諸国廻遊の剣士はすぐに悟った。

 右腕の使えぬ男の剣術のほどは測れない。だが、捨身ほど厄介なものはない。

「拙者は武芸修行です。木刀にてお相手いたします」

「それは道理ではありません。拙者が真剣なのだから、貴殿も真剣を執るのが筋というもの」

「相手の得物は問わずとあります。拙者は木刀にてお相手いたしますし、でなければ御免被ります」

「では木刀と真剣にて」

 主税は苛立った。こちらが真剣でも木刀という。それでも勝利する積もりなのだ。梶原の自信のほどを感じ取り、主税を苛立たせる。

 だが、こちらは一度譲った。それでも向こうは木刀に拘った。なれば負い目はない。木刀と真剣の勝負であれ、後ろ指差されるいわれはない。

 ───遠慮なく斬る。

 主税は自らに云い聞かせるように、ひとり頷いた。

 その矢先である。

「待たれ、主税どの」

 主税、梶原、典膳とも、声の主をさがした。

 主税は聞き知る声に複雑な思いでかすれた声をもらした。

「半四郎」

 梅の木の木陰、提灯をかかげ三者を煌々と照らす。

 その薪の下に浮かび上がる姿は、半四郎であった。

「拙者、台所組秋津半四郎と申します」

「庖丁ざむらいがなんの用だ」栗栖典膳は怒った、「真剣勝負を邪魔するかッ」

「滝口主税どのは私の義兄です」

 半四郎は笑みを絶やさず云った。

「敗北のときは腹をかっさばくお積もりでしょう。しかし、よくお考えください。義兄上は殿の片腕と申すべき人物。あたら命を粗末にするのは不忠ですよ」

「されど」

 主税が渋るのを遮り、半四郎は梶原牢人に向き直る。

「お手合わせ願えますか」

 梶原は不思議な顔をした。

「貴殿、腰のものは」

「帯刀を許されていません。かわりにこれを帯びております」

 懐紙の上にさらし布に巻いた二本をのせる。脇差、そして包丁。

 半四郎は一礼し、主税に託した。

「よろしい。参りましょう」

 梶原は右手の木剣を執り直した。

「いざ」

 と受けた半四郎の孤影に、三人はあっと声をあげた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ