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庖丁梅譜  作者: 鏑木恵梨
2/7

其の二

 領主伊予守の御前には、主税と国家老篠原長門がひかえている。

 篠原老はこんどの国入りで江戸からやってきた、伊予守のお気に入りが気に入らなかった。理由は益体もない。江戸表で側用人として取り入った人間と思っているからだ。

 伊予守は、家督をして初の御国入りであった。

 江戸上屋敷で生まれ育ち、江戸を出たことがない。しぜん国許の事情に疎く、「武芸者」の相手にはだれを選べばいいのかわからない。篠原老の申すとおり、道場の者に命じるしかなかった。

 その結果たるや惨憺たるものだ。

 江戸ならもっと人がいただろうか。愚にもつかぬことを、と伊予守は嗤う。

 翻って、滝口主税は。主税は国家老とぶつかるつもりはなかったから、はじめに半四郎を推挙して鼻であしらわれたあとは、お手並み拝見を決め込んでいた。

 しかしそうは高を括れぬ事態となった。

「実は殿。本日、秋津に探りを入れました」

「滝口どの、まだそのようなことを云うておるのか」

 篠原老が顔をしかめるのを制し、伊予守が問う。

「秋津とは、主税の義弟であったな」

「私は秋津と同じ年で、同じ年のころ、江戸の道場にあがりました」

 主税は学問も優秀だったし、武芸でも頭角をあらわしていた。

 滝口家は家老格で親は大目付役。主税は幼いころから江戸上屋敷の若さま……いまの藩主、伊予守の側に仕えていた。

 自負と責任が主税にはあった。だからこそ、人より抜きんでるために努力を重ねてきた。その主税が同い年で唯一、敗北したあいてが秋津半四郎であった。敗北ゆえに、主税は半四郎と竹馬の友となった。

「秋津は先輩を飛び越し、名札が筆頭にあがったことがありました。私が筆頭となったのはすぐに秋津が道場を去ったためです」

 秋津家が表台所賄方の包丁役人でなければ。

 半四郎が御徒組育ちでなければ。

 ――庖丁ざむらい。

 ――腰に差しているのは庖丁か。

 ――大根斬りの筆頭。

 そんなやっかみ、そねみを受けることもなかっただろう。

「思い出したぞ」伊予守は遠い目となった、「そのほうの右腕だな」

 半四郎は今ほどに堪え性ではなかった。陰険に云いつのられ、売り言葉に買い言葉。互いに刀を抜いてしまったのである。主税は止めに入った。結果、半四郎は主税に手傷を負わせる。主税の右腕は、生涯動かない肉塊となった。

 私闘、まして若君に仕える家老の子を斬った。

 半四郎の父は腹を切り苦悶の末に果てた。家はいったん取潰された。

 辛うじて、半四郎の命だけは助かったが、三年の放逐ののち、半四郎は本国詰として秋津の家を再び興した。

 喧嘩両成敗にしては、半四郎を煽った方に大したおとがめがなかった。それを工案し滝沢家老が埋め合わせたのである。

 だが、


 秋津半四郎は帯刀せず───


 先代の藩主に、誓紙を差し出したうえの帰藩であった。

 妹の奈津は嫁いで以来、帯刀するのを見たことがない。出仕も、身を守るという意味での脇差しか差さない。

 帯刀せぬ、ということは未だ罪人扱いと云うことだ。屈辱であった。

 周囲からも軽んじられ口惜しい。奈津は嫁いだ当初、江戸在府の主税にそう書き送ってきたものである。

「秋津はどうであった。断ったか」

「役に立てず残念であると」

「やはりな」

「よいではありませんか、殿。包丁人ごときに任せるわけにはゆきませぬ」

 主税はおもわず眉を寄せた。

 半四郎は臆病で主税の頼みを断ったわけではない。ましてや、意固地ゆえではない。

 篠原老に噛みつくところを、ようやく呑み込んだ。

 伊予守は沈着な主税の常にないようすを見、

「主税は義兄であり友であるから秋津を買うているのだろうが、五年来、脇差のみでは昔の腕も望めまい」

 と云うと、篠原長門に剣術指南役の栗栖典膳をよべ、と命じた。篠原は御前をさがった。

 あとに残った主税の目の前で、伊予守は嘆息する。

 主税は御主君が哀れでならず、胸がつかえる思いがする。初のお国入りで、斯様なつまらぬ問題に右往左往させられるとは。

 あとはないのだ。藩の面目を守るためには。

 主税は、覚悟を決めた。

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