第五話 紹介しましょう(1)
改稿(ストーリーは変わりません)
ルドルフ伯爵というのは、この地方一帯を収める領主の名だ。
実際に伯爵を目にしたことは無いメリーシャだったが――だからこそ簡単に騙されもしたのだが、彼が住まう場所だけは知っていた。
領主の本邸というのは警備の関係から、大抵崖の上だとか、ぐるりと湖に囲まれた場所だとか、そういう侵入しにくい場所にあるものだから、良くも悪くも目立つのだ。
そしてルドルフ伯爵の屋敷というのも、突き出した崖っぷちに建っていた。メリーシャは崖の上から顔をのぞかせ、あまりの高さに軽いめまいを覚えた。
そうしながら、メリーシャは今現在、目的のルドルフ伯爵邸を目の前にしていながら、とっても途方に暮れている最中だった。
「メリーシャ、伯爵はどうしたのです?」
こちらに近づいてきたリエルが、開口一番そう言うものだから、彼女はどもった。
「し……視察がてら、遠乗りに出かけてるんですって。ま、まあそのうち帰ってくるわよ、たぶんすぐに」
「そうですか」
伯爵について聞かれ一気に緊張したメリーシャに対し、なぜかリエルは“散歩に来ました”と言わんばかりの、お気楽な雰囲気を漂わせている。
彼は本当に、メリーシャの借金なんてどうでも良いらしい。
今日ここまでやって来たのも、暇つぶし程度にしか思っていないのだろう。その証拠に、彼はメリーシャがここまで抱えてきた金貨の袋なんかよりも、道中乗ってきた荷馬車のほうがずっと心惹かれるようだった。
荷馬車は、普段からメリーシャが薬草をおすそ分けしていた家主の持ち物だったが、大魔術師で、しかも以前は王宮勤めだったというリエルには珍しく見えるに違いない。
小奇麗な青年がボロい荷台に乗って、まじまじとその構造を眺めている姿は異様な光景だったに違いないが、一番メリーシャにとって衝撃だったのは『彼氏?』とにやにや顔で言った家主の言葉だった。違いますと否定する間もなく、リエルが『弟子ですよ』と穏やかに応えていたが、果たして、色々と正しく伝わったかどうかは分からない。
街の人々は親を亡くしたメリーシャに色々とよくしてくれるのだが、なんとも朗らかすぎる面がある。好かれているのだとは思うけれど、魔女として尊敬されている気がしないのは何故だろう。きっと明日の今頃には、『メリーシャについに春が!?』という根も葉もない妙な噂が広まっている。……憂鬱。
メリーシャは頭から余計なことを追い払うように、頭を振った。
「そんなことより……どうしよう」
そして暗い表情で小さく呟く。
ここに来て、重大なことをリエルに言いだせずにいた。わざわざこんな場所まで彼を付きあわせてしまった以上、まさか目通りを願い出る書簡を送り忘れていたとは言いだせない。お待ちください、と使用人の男性に言われたはいいが、『お待ちください』がどれだけの時間を指しているのかは分からない。あたしのまぬけ! と、彼女は内心自分をののしるしかなかった。
でもそんなことは、この大魔術師には分かりきっていたようだ。メリーシャ、と名前を呼ばれて振り返ると、リエルはどこかあきれの混じる顔で笑っていた。
「なによ」
「あなた、私に謝ることがあるでしょう?」
「あ、謝ることなんて……」
ありますとも、めちゃくちゃありますとも。
だけど素直に言えないのは、言ってしまったら彼をがっかりさせるかしらと、少なからず思ったからだ。
どうして? あたし、リエルさんに嫌われようが全然これっぽっちも構わないのに、わけがわからない。メリーシャは唸りながら髪の毛をかき乱した。
「やれ、あなたは突拍子がありませんね。メリサルル・ルーベルとして名を売ったとはいえ、ルドルフ伯は貴族なんですから、すぐ通してもらえるかどうか分かりませんよ?」
「だったらうちの屋敷を出る前に言ってちょうだいよ。あなたっていっつも、大事なことを後でぼそっと言うんだから」
またしても八つ当たり。
でも気付いているなら言ってくれればよかったのにと思う。彼が大人としてほんの少し、彼女に優しさを見せてくれたなら、今こうして屋敷の使用人に言伝を頼む必要は無かったのだから。
「でも伯爵家に訪問を決めたのはあなたですよ。ごめんなさいは、メリーシャ?」
「ふ、ふんっ」
メリーシャは自分の弟子から顔をそむけた。だがこれでは師弟どころか、自分はただのガキである。彼女はしばらく考え込むと、おもむろにリエルを手招いた。
「いいこと。一度しか言わないわよ」
恥ずかしい気持ちをおしこめながら言うと、「偉そうに」と苦笑される。
「……ご、」
「ご?」
「……ごめんなさい、リエルさん。もう少しその、一緒に待ってて」
言葉じりが消え入りそうになると、言う内容は分かっていたはずなのにリエルはわずかに目を見開く。彼の漆黒の相貌が何を考えているかは分からない。だが、彼は次にメリーシャの頭を優しく撫でた。
「照れてる顔も可愛いです、師匠」
「呆れた」
そんな変わった二人組を、屋敷の外で働いているらしい使用人たちは奇妙な目で見やっていた。
ずけずけと向けられる視線を受けつつ、人々が何に注目しているのかはメリーシャとて分かっている。他でもない、隣でにこにこと笑っている魔術師の青年だ。
リエル・シャフルード、失われし雷属性を従えた偉大なる大魔術師。
名前を聞かずとも、その派手な容姿と魔力の気配に察せざるを得ないだろう。
過去に王宮に務めていたという彼は、いまはのんびりと隠居生活を決めこんでいるらしい――と、いうのが世間一般での話だった。その彼がまさかこんな場所にいようとは、誰も予想しなかっただろう。
少し前までのメリーシャも、彼はどこかの山奥でひっそり暮らしているものだと思っていた。もっとも、基本的に屋敷に引きこもっては薬草を煎じるという生活だったメリーシャは、魔術学の教科書にも登場する“リエル・シャフルード”という人物は、経歴的に青年なんかではなく、かなり高齢の老人だと思っていたが。
「まさかそれが、あたしの弟子とは」
人生、分からないものである。親を亡くしたかと思えば、大魔術師が弟子。
ぽつりと呟いたメリーシャに、リエルが不思議そうに首をかしげる。そんな彼の顔の向こうに、メリーシャはこちらに歩いてくる人の姿を見つけた。
「あら、リエルさん。誰か来るわよ」
「はい?」
リエルが背後を振りかえった。
すでにそこまでやって来ていた誰かに、メリーシャは内心、疑問符が飛び交っていた。
意外に早かったと思う反面、てっきり先ほど対応してくれた使用人が戻ってくると思っていたのに。彼女たちの目の前にいるのは高そうな衣服に身を包み、品よく髭を蓄えた――どう見ても貴族の男性だった。
男性はやや汗ばんだ顔で腰を折る。思わぬ対応に、メリーシャは目を瞬いた。そして、
「シャフルード閣下、お久しぶりでございます」
「えっ」
男性が迷いなくリエルに差し出した手を見て、メリーシャは驚愕した。だが驚いたのはどうやらメリーシャひとりだったらしく、リエルは慣れた物腰で彼の手を握り返した。
「ルドルフ伯爵。お会いするのは数年ぶりですね」
「え、ちょっと、嘘!?」
メリーシャはなんだか、騙された気分だった。
「今は王宮仕えを辞めてしまわれたとか……あなたの人魔戦争のときの雄姿が今でも鮮明に思い出されます」
「お恥ずかしい。あの頃はまだ私も未熟でしたから、今ならもう少し綺麗に勝てたと思うのですが」
「いやなにを仰る」
それからすぐに屋敷の応接室に案内されたメリーシャは、ふっくら柔らかいソファに腰を据えながら、リエルと話し続ける男性を見つめていた。ルドルフ伯爵、メリーシャが色んな理由で悩みに悩まされた人物だ。
――ルドルフ伯爵というのはもっとこう、温厚な性格だったと存じていますが。
なるほど、リエルの言葉は本当だった。
豊かな口髭は一見すると恐い印象を持たせるが、よくよく話してみれば声音は穏やかで、そして心からメリーシャたちを歓迎する雰囲気がにじみ出ている。
だが一方で、納得できないメリーシャだった。とうとう我慢できなくなったメリーシャは、ついと隣のリエルの袖をひっぱる。
「……ちょっと、リエルさん」
「なんですかメリーシャ?」
なんですか、じゃないわよ!
メリーシャは怒鳴りちらしたくなる気持ちをぐっと堪えた。
この和やかな会談から察するに、このリエルという男、普通にルドルフ卿と知り合いだったのだ。だがそんなことは一言も口にしなかったことに、メリーシャは怒りを覚えずにはいられなかった。
「なんで言わなかったのよ。お蔭で恥をかいたじゃない!」
声をひそめながらメリーシャが言ってやると、リエルは小さく苦笑した。
「言おうとする度に、あなた私に突っかかってくるんですから。悪いのはあなたですよ」
「嘘おっしゃい。突っかかるように仕向けるのは、あなたじゃないっ」
そんな小声での戦いも、傍目から見ると仲が良さそうに見えたらしい。ルドルフ卿はめずらしいものを見るように、興味津々といった様子でふたりを見やる。
「そういえば閣下、弟子を取られたのですね。以前はあんなに、弟子取りは断っていらしたのに」
ぎくり、とメリーシャは体を揺らした。
話題にしてはいけない話題が、またしても話題に登ろうとしている。
「いえいえ、まさか」
すぐ近くで顔を引きつらせた少女を見て、リエルが笑いをかみ殺すのが分かった。
そして彼はメリーシャの肩をつかむと、問答無用でルドルフ卿の目の前へと彼女を突き出す。伯爵と図らずも見つめ合ってしまったメリーシャは、瞠目したまま固まった。
「伯爵、ご紹介しましょう。この度、私を弟子として迎えてくださった稀代の天才魔術師、メリサルル・ルーベル殿です」
まだ十六歳なんですよ、とっても可愛いでしょう?
そう得意げに言ったリエルを残して、その場の全員がぽかんとしたのは言うまでもない。
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