第四話 メリーシャ、借金返済?(3)
改稿(ストーリーは変わりません)
「まったく、今日は散々な一日だったわ」
メリーシャはそう息巻くと、怒りの心境で帰り路を歩いた。
ふもと街から彼女の屋敷へと続く峠道だった。メリーシャのすぐ隣には彼女の様子を見ておかしそうに笑っているリエルが居る。のんきな人ね、とメリーシャは内心呟くのを忘れなかった。
やさぐれ気分の彼女を見透かしたように、「お金も戻ってきて良かったではありませんか」と、リエルは言う。
彼はきっかり戻ってきた五百万ギルと、詐欺師の二人組が持っていた“借用書”を手にしている。メリーシャの父親の直筆でサインが入っているから、間違いなく本物だ。でもこの紙切れさえ盗まれなければ、メリーシャはうっかり騙されることは無かったのにと口惜しいものがある。
問題の借用書は、もともとメリーシャの屋敷の保管庫にあったらしい。メリーシャさえも存在を知らなかったが、いったいいつの間に盗まれたのか? 年若い少女ひとりが暮らす家となっては、そりゃあ格好の餌食だっただろうけれど。
「よく忍び込もうと思ったわよね……」
あきれ混じりにメリーシャは言った。そして同時に、やはり前の時代のように、魔女は人々の畏敬の対象から外れてきているのだと感じていた。
魔術国家デスタンは、少しずつだが変わりつつある。
その言葉をまさか実体験で知ることになろうとは! よその街で指名手配されていたという二人組の男は、もう二度とメリーシャの目の前に現れることは無いだろうが、メリーシャはなんとなく心の底がもやもやとした。
「メリーシャ、先ほどから何を怒っているのですか?」
「そりゃあ怒るわよ。だって今まで払った分は戻ってこないのよ? 少なくとも百万ギルちょっとは払ってたのに、どうしてくれるのよ」
利子だなんだと言われ、何だかんだ借金額よりも多く払わされるところだった。
「私に言わないでくださいよ、メリーシャ。良いじゃないですか、私の教育費ががっぽり貴女の懐に収まったんですから」
「あなたね」
青年の言葉に、メリーシャは目をすがめた。
八つ当たりだというのは分かっていた。リエルには何の責任もない、これっぽっちもない。
だけど、いまメリーシャの目の前に居るのはリエルだけ。胡散臭い笑みを浮かべた、とらえどころの分からない、この魔術師の青年だけだ。
べつに助けてもらって心を許したとか、そういうんじゃないんだから。今までひとりで暮らしていたから、その反動が来ただけなのよ、うん。
まるでそれが答えかのように、メリーシャは自分に言い聞かせた。そんな彼女の葛藤を知らないリエルは、麻袋の紐を持ちあげ、得意げにメリーシャを見た。
「では私にくれると言うんですか、一千万ギル?」
「……う、」
小さくうめいたメリーシャは隣を見やる。夕日にリエルの髪がきらきらと透けてやけに印象的に映し出された。彼はこんなに綺麗な顔をしていただろうかと、彼女は顔をしかめながら、なんとなく不思議な気分になる。
「ああ、貴女は良き魔女ですね。自分の生活費もない状況で、私を優先してくれるのですから」
「い、いいわよ上等じゃない、あげるわよ!」
焚き付けられたメリーシャは、彼にからかわれていることにも気づかず、リエルの言葉を遮った。
こんな男なんかに、やっぱり心なんて許してない!
メリーシャは改めて自分に言い聞かせた。そんなふうに大見得切ったメリーシャだったが、そして次にはっと我に返るとぼそりと一言付け加える。
「……でも一万ギルぐらい貸してくれない?」
今月はすでにヤバいのだ。
素直にそう言うと、当然リエルに笑われた。
◇
「でもよくよく考えてみれば、借金は借金なのよね」
屋敷に戻ってひと息ついた頃、一枚の金貨を手でもてあそびながらメリーシャは呟いた。詐欺師は無事に捕まった。そしてお金も全てではないが戻ってきた。
だがしかし、借用書が存在するという事実は変わらない。やっぱりここは良い機会だと思って、返しにいくべきかと思ったのだろう。
「では本物に会いに行きましょうか」
少し離れた場所から、楽しそうにリエルは言った。彼は食事し終えた食器類を丁寧に洗っている最中だった。
偉大な大魔術師にこんな家事労働をさせていいものかと、メリーシャは一瞬迷ったようだったが、元来家事が苦手だっただけに、あっさりと見なかったふりをされた。完全にルーベル家の嫁か使用人と化したリエルを見ながら、メリーシャは低く唸るのみである。
「本物、本物ねえ……」
ぶつぶつ繰り返す少女を前に、リエルが苦笑した。
「貴女がいま何を考えているのか、当ててさしあげましょうか」
「な、なによ」
「取り立てが来ないのに、わざわざ借金を返しにいくのが面倒くさいなあ」
ぎくり、とメリーシャがソファの上で身じろぐのが分かった。いま彼女の顔を見たら、とても焦った顔になっているだろう。それを想像しながら、リエルは継いだ。
「いや別に私は、貴女がどう思ってようがいまいが構いませんよ。いいじゃないですか、五百万ギルぐらい踏み倒してしまえば?」
「そっ、そそそんなこと思ってないってば!」
慌ててメリーシャは否定したが、動揺のあまり目が泳いでいる。間違いなく“そう”思っていたことは明らかだった。
分かりやすくて可愛らしい。
これまでそんな人間とは無縁の世界に生きてきたリエルには、そんな少女の姿がひどく新鮮に映っていた。かつて王宮に居た頃、彼の友人が言っていた“娘は俺の国宝”宣言をふと思い出したのだが、馬鹿な話だと一笑したことを今でもよく覚えている。
今でも、馬鹿な話だと思っていた。
そして最後の皿の一枚を洗い終えたリエルは、おもむろにメリーシャの前にやってくると、ひょいと彼女の手から金貨を取り上げた。そのまま彼女がやっていたように、その硬貨を指でなぞる。
現王陛下の横顔と、今から六年も前に作られたことを証明する年号が刻まれている。
六年前というと、彼女の両親が亡くなった年だ。
そしてリエルは少女を見た。
「仮定の話ですよ。さては図星でしたね?」
からかうように目を細めてみせると、メリーシャの顔は真っ赤になった。
昨日から、彼女が時々こんな表情をするようになったことにリエルは気づいていた。きっと彼女は何も思っていないつもりだろうが、少しずつ自分のことを好きになりつつあるのだ。年頃の少女にしてはこれが普通の反応で、そして王宮にいた頃もよく向けられためずらしくもない反応である。
そしてきっと、それは人間の世界で言う恋なのだと。
馬鹿馬鹿しい。
彼は少しも動かされない心で、そんなふうに思った。
魔力量が多ければ多いほど、容姿のバランスが良くなるというこの世の中だ。大魔術師の自分の顔が綺麗だということは承知している。過去にはそれを相手を信用させる術として、逆手に取ることも少なくなかった。
だがメリーシャだけは、全く予想外の反応ばかりを自分に見せる。彼女はリエルがたらし込もうとすればするほど、反発してくるから、自分は年甲斐もなく、ますます彼女が怒ることをしてしまうのだと思う。
彼女と過ごしていると、何でもないことが目新しいもののように感じてくる。
人間なんてみな同じだと思っていたのに、友人から聞いた普通の家庭とはどんなものか、知りたくなる。こんなにも興味が持てたのはいったいいつぶりのことだろう。
リエルは穏やかに微笑みながら、少女を眺めた。
「ちょっと、師のあたしに喧嘩売ろうなんて上等じゃない!」
「喧嘩を売ったわけではないんですが」
そして苦笑を返すと、メリーシャはますます意固地になったようだった。
「う、うるさいわね!」
ほら、負けず嫌いの彼女は必ずこう返してくる。かつての友人と同じ反応に、リエルは心が温かくなるのを感じていた。
昼間のことも、目の前の少女がどんな粗暴な男に絡まれようが、以前の自分ならあっさり彼女を見限っただろう。助けたところで利益はない。リエルはただ“弟子入り”にかこつけて、この屋敷に入り込んだだけなのだから。
だが最後まで葛藤して、結局彼女を助けてしまった。それは絶対にこの少女に話しはしない。
「いいじゃない、リエルさん。よ、よく聞きなさいよ……明日……」
「明日?」
「ルドルフ卿に借金を返しにいってやるんだから!」
「では決まりです」
手もとの硬貨に再び目を戻したリエルは、それを袋のなかにぽいと投げ入れて踵を返した。
助けた理由は、絶対に少女には話さない。
昼間どうして彼女を助けてしまったのか、自分でもよく分からなかったのだ。
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