第四話 メリーシャ、借金返済?(2)
改稿(ストーリーは変わりません)
「……あなた達、もしかして最初から耳飾りを返す気なんてなかったの?」
返事の言葉はなかったが、男がこれみよがしに肩まゆを上げてみせたのが答えだった。まさかそんな! 騙されていたのね、とメリーシャは眩暈がしそうな心地だった。
「冗談言わないで。あなたこんな大金を受け取っておきながら、どういうつもりよ!」
「騙されるおまえさんが悪いんだよ」
男はもったいぶった言い方でにやりと笑った。「まさか、俺達がルドルフ卿の使者だなんて本当に信じるとはな! おまえが“小遣い”をたくさんくれたお蔭で、そりゃあ楽しい思いをさせてもらった」
「なんですって? あなた達が、ルドルフ卿の、使者じゃない?」
メリーシャは思わず眉をひそめた。いきなり冗談みたいな話だった。
だったらメリーシャは、今まで誰にお金を払っていたというのだろう。
世の中に、そういう悪い人間が居ると知らないわけではなかったが、まさか自分がそんな目に遭うだなんて思わない。メリーシャは顔がかっと熱くなった。
「返して、その袋!」
それはリエルのものなんだから。
だが、メリーシャが伸ばした手はひょいとかわされてしまう。
「おまえさんは優秀な魔女だそうだな。ぜひとも見せてもらおうじゃねえか。そうだな、どっかの金持ちの家で奴隷としてなァ!」
「はあっ!?」
この男、メリーシャからお金を巻きあげるだけじゃ気がすまず、独り身の彼女を人買いに売り飛ばすつもりらしい。めちゃくちゃだわ。
「あ、あなた魔女を売り飛ばそうだなんて罰当たりなこと! なに考えてるのよ!」
「魔女の身分が高いなんてのは、昔の話だぜ」
優男は、メリーシャの言葉をはなで笑った。
「今どき魔術師なんてのはそこいらにゴロゴロいる。魔術師の奴隷なんてのは、とりわけ高く売れるだろうぜ。これからはそういうのが流行るに違いねェ、時代の先取りだ」
男は満足気にそう言うと乱暴にメリーシャの腕をつかんだものだから、メリーシャは慌てた。
「ちょっと離して! 離しなさい、こら!」
「嫌だったらお得意の魔術で逃げてみなァ」
思ったよりも強い力に、メリーシャは蒼白になっていた。
魔術を使うには集中力が必要だ。こんな状況ではまともに頭がまとまらないだろうし、そして何より肝心の杖が手もとにない。メリーシャはうっかりしていた自分の頭を殴りたい気持ちになった。
というか、こういうときに弟子は助けに来るものでしょう!
無茶な考えだとは思ったが、メリーシャは背後でのんきに花壇の手入れをしている“弟子”の姿を思い出した。助けを求めるように振りかえって……
「あ、あれ」
リエルが居ない!?
ちょっと、仮にも師匠がこんな窮地におちいってるときに、あなたどこにいったのよ!
やっぱり弟子になんてするんじゃなかったと思いながら、メリーシャは腕をつかむ男へと向き直った。その背後で、太い縄をつかんでいるガタイの良い男の姿が見えて、彼女はくらくらと倒れそうな心地になる。
「じょ、冗談じゃないわ……!」
メリーシャは眉じりをつりあげて、男の手にがぶりと噛みついた。慌てて男は手を離したが、どうやら逆効果になったようだ。振り上げられる手が、メリーシャの視界に飛び込む。
「こ、このアマ!」
「きゃ、――…ッ」
メリーシャはかたく目をつぶってしまったが、いくら経てども振り下ろされるはずの手が降ってこない。さすがに疑問を覚えて、そっと薄く目を開いた。
優男ふうの男は、手を振り上げたまま固まっているようだった。
いや、手を振り上げた姿勢のまま、何らかの力で動きを止められている様子だった。男は目を見開いたまま、声もだせずぱくぱくと口を開け閉めしている。
いったい何だとメリーシャが思った途端、じょろろろ、と水が男の頭の上に降り注いだ。それが、リエルが片手で傾けたジョウロから流れ出たものだと気づいたとき、メリーシャもまた言葉を失っていた。
「さて、三文芝居の喜劇は見飽きました」
いつの間にか男の背後に立っていたリエルは、穏やかな表情で「いつまでやっているのかと思いきや」と、ずぶ濡れになった優男ふうの使者をのぞきこんだ。
そして男の腕をあっさりとほどいたリエルは、メリーシャを自分の腕で抱きとめた。整った顔が間近にせまって、メリーシャは魔術ではない謎の力で固まってしまう。
「ま、まさか面白がって見てたってわけ?」
ようやくメリーシャがつぶやくと、リエルは彼女をちらりと見て小さく肩をすくめてみせた。
「先に家事を終わらせたかったので」
と、にっこり笑顔で応えたリエルを、メリーシャは思い切りひっぱたきたくなったが、思いっきり顔をしかめるだけに思いとどまる。そんな“師匠”を見てリエルはふっと笑った後、前に向き直った。
「うちの可愛い師匠をいじめるとは、許しがたい」
その割には家事を優先させたくせに、この大魔術師。
「あなた達、感電してあっさり死ぬか、感電して黒焦げになってじれじれ生きてみるか、どっちにします?」
そういえば、彼は雷属性の使い手だったことをメリーシャは思い出した。そのジョウロを持たないほうの手からは、バチバチと鋭い火花が散っている。
顔を引きつらせた男を見て、私は優しいから選ばせてあげますよ、とリエルはにっこり笑った。どっちも悲惨な選択肢だという事実は、完全にお話の外だ。
とても上機嫌なリエルを見て、『やっぱりこの人、嘘つきだった!』とメリーシャは思わずには居られなかった。
親のようにメリーシャにかいがいしく世話をやく姿はかりそめで、本当の彼は残虐に人を脅しつけるような人なのだ。騙されたわ、とメリーシャは無性に腹だたしく思った。
「な、なんだおまえは!?」
「私ですか?」
リエルはこの上なく、楽しそうだった。
「私は弟子です、この天才魔術師メリサルル・ルーベルのね。よく覚えておきなさい」
だが男たちはまるで信じた様子も見せなかった。おいどうする、とでも言うように男達は真っ青な顔でお互いに目配せしている。メリーシャにはとうてい分からぬことを話しあっているようにも見えたが、彼らは相変わらず指ひとつさえ動かすことができないままだ。
捕縛術を使ったのだ。
知識でしか知らなかった禁術を前に、メリーシャはあっさりと、しかも無詠唱でそれを展開してみせたリエルの凄さを思い知った。彼はやはり大魔術師なのだ。
「リエルさん。もういいですからやめなさい」
げんなり顔で止めにかかった彼女を、リエルがやや不服そうに見やった。
「あなたは辛抱強いですね。私だったら、自分の師を愚弄されたら黙っていません。八つ裂きですね」
冗談なのか本気なのか分からない。
「だとしても禁術はやりすぎよ。あなた魔術師協会に捕まりたいの?」
「捕まえられるのならね。大丈夫ですよ、ちゃんと結界を張りましたから」
そう言って小さく笑う彼に、メリーシャは彼を怒鳴りつけなかった自分をほめたい気分になった。
助けてくれるのは良いが、仮にも表の人間であるリエルが禁術だなんて……やっぱりこの人、変! ばれたらどうするつもりだったのだろう。メリーシャは自分がひどくまともな人間に思えた。
「…………リエルさん、街の警備隊を呼んでくるわ」
メリーシャはむっつりとした顔でリエルに言った。
「でも信じてもらえるかしら。この二人が詐欺師だって」
「少なくとも報奨金はもらえないでしょうね」
そうのんびり言ったリエルに、メリーシャは小さく、馬鹿、とつぶやいた。
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