第二話 わたしが師匠(1)
改稿(ストーリーは変わりません)
メリーシャの朝は早い。
日頃、魔術薬を売って生計を立てている彼女は、夜明け前には起き出して、薬草や調合に必要な材料を探しにいくのが日課だった。
「うーん、今日もいい天気になるわね」
うっすらと赤みがかかった空のはじっこを見て、メリーシャは屋敷の前で大きく背伸びをした。
今日はなにを摘みに行こうかしら。痛みどめによく使われるシュラル草は、まだ芽が出たばっかりの季節だからダメね。だとしたら咳止めに使うライラン草はどうだろう。風邪薬の類は、最近よく売れるのだ。
「リールトカゲの尻尾を煎じて、睡眠薬も良いでしょう。意外と高く売れますよ」
「うーん、それもいい案ね……」
気持ちよく返事をしたメリーシャは、次の瞬間、はっと我に返った。
「って、あああなた何してるんですかっ!?」
思わず叫んだメリーシャが見たものは、片手にリールトカゲ、もう片手にはおたまを構え、袖まくりをして“おさんどん”の格好をした、偉大なる伝説の魔術師リエル・シャフルードの姿だった。
「失礼。朝食を仕込んでいたら、目の前をこのトカゲがよぎったもので、つい……」
つい……じゃないわよ!
メリーシャは勢いよく、卒倒したい気分になった。
いったいどこに、朝食を仕込みつつトカゲを素手で捕獲する伝説の魔術師がいるのだ。いや、問題はそこではなくって。
「あ、あなた、なんで朝食の支度なんて」
「師の健康を管理するのは、弟子の役目でしょう。安心してください、いちおう料理の腕には自信があります」
「そ、そういう問題なの!?」
「お味噌汁のみます?」
および腰になりながら訊ねるメリーシャに、彼はそう言って微笑んだ。いい笑顔だった。
一見するとうら若き乙女と、さわやかな青年の二人組。
だがその実態は若き天才魔術師メリサルル・ルーベルと、その弟子、齢百五十歳の伝説の魔術師リエル・シャフルード…… どう見ても逆だろう、と突っ込みたくなる彼女の苦悩の日々は、まだ始まったばかりであった。
◇
「ルル、あんたついに弟子を取ったんだって? やるじゃない!」
友人のオリビアと、その弟子たちが尋ねてきたのは、メリーシャたちが師弟関係を組んだ翌日のことだった。メリーシャのことを人一倍心配していたオリビアは、噂をききつけやってきたのだった。
「喜びなさい。親睦を深めようと思って、私の可愛い弟子たちも連れてきてやったわよ。あんたのことだから、初めての弟子に戸惑ってるだろうと思ってね」
オリビアは片目をつぶって笑ってみせた。その後ろには、十歳ほどの年齢の女の子と、男の子が立っていた。メリーシャとは顔なじみの彼らだったが、いまは到底、友人の気遣いに喜ぶ気になれないメリーシャだった。
「お、おりびああ……」
「ちょっと、あんたなんで涙目なのよ」
友人の姿をみるなり飛びついたメリーシャを見て、オリビアは怪訝な顔になる。
「まさか、年齢のことでも馬鹿にされたの? それとも相当ハズレな弟子だったとか? あんた背低いし可愛いから、苛められてるんじゃないでしょうね」
まるで母親みたいにまくしたてる彼女に、メリーシャは「違うの、違うのよ」とわんわん声をあげて泣きついた。どうしたのかしらこの子は、とオリビアが思案気に顔をあげたとき。
「ああ、こんにちは。もしかしてお客様でしょうか」
金髪を風に揺らした、精悍な顔つきの男性がやってきたものだから、オリビアはぽっと顔を赤らめた。
「あら、イケメンじゃない……」
「お師匠さま、よだれよだれ」と、オリビアの弟子の一人。
「あ、あら失礼。っていうか、あなた誰? ここってルルの屋敷よね?」
まさか新しい使用人というわけでもないだろうし。
首をかしげるオリビアだったが、男性の次の言葉で驚きあきれる羽目になる。
「どうぞ初めまして。此のたび、メリサルル師匠の弟子になりました、リエル・シャフルードと申します」
「はあ?」
にっこりと笑う青年の名前は、どう聞いても偉大なる雷光の魔術師だった。
ああこりゃ、ルルが泣くわけだわ。
「あ、お師匠さま!」
「オリビアさまお気をたしかに!?」
オリビアはふう、っと意識が遠のいたのであった。
数刻後、メリーシャの屋敷の居間には、五人が座り沈黙していた。
どこか疲れた表情のメリーシャ、そしてにっこりとほほ笑むリエルの姿。向こう側の椅子に座るのは、ぼうぜんとしたオリビアと、その弟子二人だった。
「あの……」
放心気味にオリビアは口火を切った。
「なんでしょう」
「なんで、この子の弟子になろうと……」
オリビアとしては、もっとちっこい感じの子どもが弟子だと思っていたのに。仲良くなって一緒に低級魔術でも練習できればと思い、わざわざ愛弟子二人と引き合わせにやってきたのに。
蓋を開けてみれば、低級魔術どころか大魔術でも軽々と詠唱できようかという、大魔術師が目の前にいる。なんか色々まちがってねえかよええおい、という感じだった。
「彼、あたしの家に伝わる秘術を学びにきたのですって」
たったいま屋敷と街を全力疾走してきたかのような、非常に疲れた顔でメリーシャは言った。
代々魔術師の家系だったルーベル家は、薬医学にそこそこ長けた一族であった。実際、彼女のなき母親アリーシャは、生前“魔術薬学入門 ~簡単、誰でもできる薬医学!~”というベストセラーの魔術書を世界に出版し、その名をとどろかせた人物だった。父親もそこそこ腕のよかった魔術師で、その二人から生まれたメリーシャは魔術師のエリートとも言える血脈なのだが……。
「でも、伝説級の魔術師さんが学ぶことって、あるのかしら」
そうですよねえ。
オリビアの言葉に、がくりと肩を落とすメリーシャなのだった。そもそもルーベル家に伝わる秘術というのも、母親が亡くなった今となっては失われた魔術と化していた。母親はメリーシャに秘術とはなにかを教える前に命を落としたのだった。
それを正直にリエルに話した後も、彼はメリーシャの弟子をやめるとは言わなかった。それどころか、一緒に秘術を解明すればいいじゃないですか、と言い出す始末。もう勝手にしてちょうだい。
「長年一人でやっていると、どうしても考えが凝り固まるものなのです」
リエルは言った。
「なので、遠からず誰かのもとに弟子入りをしようと思っていました。ただその弟子入り先がメリサルル師匠のところだった、というだけですよ」
「だとしても、あたしは十五歳以下の弟子を募集したはずなんですけどねっ」
気をとりなおしたメリーシャは苛々しながらそう言った。
「そう怒らないでください、師匠。募集欄の文字が汚すぎて、一五〇歳以下って見えたんですよ」
「だとしても、普通一五〇歳以下の募集なんてありえないでしょう!? だいたい師匠っていわないでよ、はっ、恥ずかしい!」
「なら何と呼びます? ルル?」
「ルルって呼んでいいのは、あたしの親友だけよ! メリーシャって呼びなさい」
「ではメリーシャ」
「なによ!」
「ちょっとそこの二人私の前でいちゃつくな」
棒読みで言ったオリビアに、弟子たちが「お師匠さま恐いです……」と怯えた顔をみせた。いまだに恋人の見つからないオリビアだった。
はっと我に返ったメリーシャは、こほん、と咳払いをして向かい側に座るオリビアの手をささっと引いて部屋の隅へと連れて行った。それからメリーシャは小声で彼女にもちかけた。
「……ねえ、あの人どう思う?」
「どうって」
ちらりと振り返ってみると、リエル・シャフルードがこちらを見て微笑んだ。
「イケメンね」
「馬鹿、そういう話じゃなくって!」
メリーシャは思わず声を荒げた。
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