第七話 師匠と弟子と闇市場(5)
闇魔術、そして闇市場。
そんな単語を聞くと、やはり後ろ暗い印象しか抱けない。
それは何も魔術師の間に限らず、世間的にそう思われるのが“普通”だ。そして数年前に闇魔術が禁術に指定された今、かの魔術に対しては嫌悪するほどでもないが、良いものではないという認識をメリーシャもまた持っていた。
だからなのだろう。
自分がここまで落ち込んでしまっているのは。
歩くたびにざく、ざく、と舗装されていない道の小石を踏み鳴らす音が耳につく。どこか落ち着く音だと思いながら、彼女は場の異様さもひしひしと感じていた。たとえば、辺り一帯がやたらと埃っぽいことだとか、生臭いにおいは、いったいどこから漂ってくるのだろうとか……うう、やめやめ。出所を突き止めたとしても良いことなんてありっこない。
『ねえ、メリーシャ。あなたの父親を殺したのが私だと言ったら、あなたはどうします?』
闇市場の界隈を歩きながら、メリーシャはここに来る直前の、リエルの言葉を思い返していた。
父親を殺したのがリエルだなんていうのは、まさかと思う。真に受けるにはただ事ではない話だ。
彼は嘘つきだとは思っているが、あの常にふざけた性格の、人をからかうことを至高の喜びとしているような魔術師がまさか人を殺すだなんて思えない。
先の言葉もどうせ、人をからかおうとしたただの冗談なのだと受け止めているが、こんな闇市場なんてオドロオドロしい場所に居ると、もしかして本当だったのかと疑う気持ちがふくらんでくる。
あのときは何とも思わないと答えた彼女だったが、でももし、リエルの言うとおり、彼が父親を殺した犯人だとしたら?
もしそうなら、どうしたらいいのだろう。
これほど憎めない殺人犯というのも、逆にめずらしい。それとも、本当にメリーシャの心から感情が欠落してしまっているのか。でも、リエルが父親を手にかけたのだとしたら……そう思うと、ひどく悲しい気分になる。絶対に彼じゃないと、否定したくなる自分が居る。
じゃあ、リエルさんじゃなかったら良かったの?
ふと金髪の青年の顔が浮かんで、メリーシャは一瞬思考がとんだ。ちょ、ちょっとちょっと、今のナシ! ありえない、それこそありえないから!
真っ赤な顔で首をぶんぶんと横に振っている少女を、通行人が憐れむような表情で一瞥していく。完全に気が狂ってるとでも思われているようだが、メリーシャはそれに気づくどころではなかった。
ようやく落ち着いた頃、彼女は未だに動揺したまま顔を伏せた。うう、と絞り出すような声が口からもれる。
ありえない、と小さくつぶやく。
べつにリエルさんがどうこうっていうのは、関係ないじゃない。だいたいあの人、問答無用で人を転移術に巻き込むわ、からかうわ……。
でもこれではまるで、リエルが特別な人だとでも言うようだ。
それこそ嘘だともう一度、かぶりを振る。リエル・シャフルードはうさんくさい人間だ。決して彼女に心の内を明かそうとしない、下手をすると詐欺師の男達よりもたちの悪い人間なのだ。家事をしてくれたり、危機を助けてくれたからって何? 同情の余地なんてない。よし大丈夫、ドキドキは無し。好きになんてなってない。
そのまま彼女は、なるべく視線をあげないようにして再び歩き出した。
みょうなことを考えてしまったという負い目もあったが、時々、道わきの商品棚に得体のしれない肉塊だとか、よく分かんない骨? 目玉? といった恐ろしい物体が並んでいるせいでもあった。さすがにまじまじと観察できるほど、メリーシャの心臓は強くない。
よく見てみると、すれ違う人のなかにも彼女と同じように顔をしかめて歩く者をちらほらと見かけた。みながみな、リエルのようにこの場所に慣れているのでは無いのだと思い、ほっとする反面、不思議でもあった。
彼らはここに何を求めてくるのだろう?
辺りは先ほどよりも、少しだけ日が暮れていた。うっすらと青みがかった空から冷えた空気が吹き込んできて、一番星が空の中央で瞬いている。
闇市場は暗い場所だ。
人の心の弱みに付けこむような、自分さえ良ければというそんな冷たさを感じてしまう。
だけど、見える空の美しさはどこでも同じなのね、とメリーシャは思った。それとも、この場所が醜いから空は綺麗に見えるのか。
美しい場所を作るには、こんな薄汚れた場所だって必要なのかしら?
光の傍に、必ず影が付き従うように、通行人の彼らもまた、美しいものを守るためにここにやって来るのだろうか。
でも、美しいものって何?
「メリーシャ、ぼうっとしていないで」
ふいに肩を叩かれ、メリーシャははっとした。道案内も兼ねて先行していたはずのリエルが、いつの間にか目の前に居た。どうやら空を見あげる格好のまま、ぼんやりと道の往来に立ち尽くしていたらしい。
どこか苛立ちをにじませた金髪の青年は、少しだけ息があがっているようだった。もしかして付いてこないことに気づいて急いで引き返してきたのだろうか。まさか、自己中な彼がそんなことをするわけがない。
「あなたは危なっかしい方ですね。こんな場所でぼんやりしていては、あっという間に身ぐるみ剥がされてしまいますよ」
「そんなこと無いわよ。あたしだって成人してるし、それなりにしっかり――」
メリーシャはそこまで言って、あることに気づいて息をのんだ。
「それなりにしっかり?」
こちらに“腕をのばした”リエルが、からかうように笑っている。
そんな彼の、腕の先をたどっていくと、小さな少年と目が合った。薄汚れた少年が手に握りしめているものが、彼女が外套の下でずっと小脇に抱えていた五百万ギルの麻袋だったものだから、思わず慌てる。
「ちょ、ちょっと……あなた何してるの」
「チッ」
問いかけた言葉に、少年が舌打ちして逃げていく。茫然とその背中を見つめるメリーシャだったが、周囲の人々はそんな彼女をちらりと一瞥するだけで、何事もなかったかのように通り過ぎていく。
まるでこれが普通だと言わんばかりの雰囲気だった。
それが衝撃だったのは言うまでもなかったが、そんなことよりも、メリーシャは何だか悲しい気分になっていた。あの少年……。
――あなた何してるの。
メリーシャが言ったのは、盗みを働こうとしたことじゃない。そんなことよりも、もっと衝撃的な。
「目くらましの術、使ってたわ」
少年の顔を見つめた瞬間、微量だが魔力の動きを感じたのだ。独り言のようにメリーシャがつぶやくと、すぐ隣でリエルが意味ありげに笑った。
魔術を使ってまで盗みをしようとしたことがどうだという話ではない。盗みをはたらくような、街の下層に暮らす子どもが魔術を使っていた――その事実に、メリーシャは驚きが隠せなかった。
少年はきっと誰かからあの幻惑系魔術を教わったのだろう。あるいは見よう見まねで覚えたのかもしれない。だが、あれは確かに魔術だった。
「なにを驚いているのですか。魔術はべつに“持てる者”のものだけでは無いのですから、当然ですよ」
なにか馬鹿にするような言い方で思わずイラッとくるメリーシャだったが、そう言った彼の瞳が、ひどく穏やかな色をしていることにふと気づく。
「でもそうですね、あの少年のような子どもは魔力こそありはすれど、きちんと学ぶ機会がありません。魔術の恐ろしさなんてものは全く理解しないまま、使っているにすぎないのです」
だから魔術を使えても、あの子どもは自分の身の立て方を知らないのだ。だから、魔術師として生きることが叶わない。
どこか茫然としたまま、メリーシャは彼を見あげた。
そして気づけば訊いていた。
「……あなたが言ってた“後世にあらゆる魔術を残したい”って……第一四八条って、そういうこと?」
弟子入り志願する者を、師となるべく者が三回断って、それでも諦めなかった者はその師のもとで一カ月間、弟子として試用してもらう権利を得る。
まさかと思う。
でも、心臓が痛いぐらいに胸を打つ。今から言おうとしていることが、どれほど彼女たちを揺るがすことか。
「あなた、もしかして魔術の概念を壊そうとしてるの?」
リエルは、あの少年みたいな子にも、魔術を教えてあげるつもりなのだろう。
もしそれで合っているのなら魔術は、魔術師は。魔女は人々の畏敬の対象であるべきものだと、そう教えられてきた自分たちは一体なに?
でも、いっそ泣いてしまいたい気分になる。
ここに居たのだと思いたくなる。
どうしてその内容にしたのですか?
ええと、きっかけは――…
「私、教えるのは苦手なんですよ」
リエルはのらりと質問をかわすと、次にメリーシャの手を取った。意外に温かな体温に思わず一瞬、脈がはねる。
「ちょっと、今度はなに!?」
恥ずかしすぎて思わず手を振り払おうとするが、彼はそれを許さなかった。
「こんな場所でふらふら立ち止まられては、私も気が気ではありません。私にも一応、任された責任というものがあるんですから」
「そっ……それは、悪かったわ」
メリーシャはしぶしぶ引き下がるしかなかった。
リエルの視線が、どことなく彼女の胸もと――父親の徽章をしまった辺りに向いていたものだから、反発する気になれなかったのだ。それにリエルの言い分はもっともで、たっぷり膨らんだ荷物を抱える小娘なんて、狙ってくれと言っているようなものだ。
女ひとりって、とっても不便だわ。
そう内心愚痴りつつ、大人しく彼の手を握り返した。
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