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第七話 師匠と弟子と闇市場(4)

 人魔戦争というのは、魔物や竜といった生き物と、人間との戦を名づけたものだ。

 少なくともメリーシャはそう記憶している。

 でも正直、戦と呼んでいいのかも分からない。事の発端は、魔力を求めた竜族が人間の住む土地に移住しようとしてきたことであったそうだから。

 身もふたもない言い方をするならただの縄張り争いだ。

 ただし、普通だったら起こらなかったはずの。

 戦となった原因は諸説あると記される。そのひとつに魔術が関わることは明確だったが、国の上層部でもない限り詳細を知るよしはないだろう。そんな戦はこのデスタン王国、そして近隣のヴァレリオル王国をも巻き込み、国からも多数の騎士が派遣されたと聞いている。

 だが、ほぼ隠居ぐらしの彼女にとっては、正直別世界の話だった。メリーシャにとってはせいぜい国の隅っこで起こっていた恐い戦という認識でしかない。なにしろ記憶が何もない。

 まあ、当時王宮勤めだったリエルやルドルフ伯爵がその戦に駆り出されていたというのは、状況的に理解できる。

 でもなんで、自分がそこに居たという話になる?

 メリーシャが思わず背後を振りかえると、そこに居たリエルと目線がかち合う。

 彼は相変わらずの美貌を、おもむろにかしげて見せる。自分は人畜無害な純朴な人間です、とでも言いたげな顔だが、間違いなくあなたは人畜有害。少なくともメリーシャにはそうである。

 何を考えているのかは分からないが、彼は腹芸が得意だ、絶対。

「居たの、あたし?」

 人魔戦争に。

 ぎこちない質問を投げかけると、リエルは言った。

「居ましたよ。さすがの私も、あなたの名前ぐらいは聞いたことがありました。だから先ほども言ったでしょう? メリサルル・ルーベルとして名を売ったと」

 いや、そんな意味で言われたとは思わないんだけど。

「悪いけどあたし、ずっと屋敷で魔術薬の調合してた記憶しかないわよ」

 そもそも名を売ったというのも、学院を卒業するときに取材を受けたときのことを言っているのだと思っていた。いちおう魔術業界では読み手の多いテキストだったようだから、そこで彼は自分のことを知ったのだと。

 少女の言い分を聞いて、リエルは思案するように顎さきに手をあてた。

「メリーシャ。あなたにそこまで記憶が無いのは、いったい何故なのでしょうか」

「記憶が無いのは、それだけ衝撃を受けたということでしょう」

 申し訳なさそうな顔で言ったのは、ルドルフ伯爵だった。

「すいませんお嬢さん。良かれと思ったのですが、無理に思い出させるような真似をしてしまいましたね」

「い、いえ、べつにあたしは! どちらかというと、知らない父の顔が知れてよかったと思ってます!」

 眉じりを下げた伯爵を前に、メリーシャは慌てて両手を振った。そもそも衝撃を受けるようなことは、一切覚えていませんし、という話だ。

「確かに両親が亡くなる前後の記憶はちょっとだけ覚えてますけど、なんかみょうに慌ててるなーってそれだけなんです……。むしろ、そこまで心配させてしまって、あたしが申し訳ないです」

 そう言いながら、たぶんその“両親がみょうに慌ててる”記憶が、人魔戦争という場で自分に何かあったときの記憶なのだろうと思った。そして父親がルドルフ伯爵に徽章を託したという経緯に繋がるのだろう。

 だがなんにせよ、記憶があいまいすぎて何の感情も浮かばない。そう思うと、ある意味自分は可哀想な娘かもしれないとメリーシャは思った。

 六年前の記憶が、すっぽりと綺麗に抜けている。

 両親が亡くなったときの大切な記憶に繋がるかもしれないのに、まるで思い出せやしない。メリーシャの心に残っているのが、彼らが居ないという悲しみだけとは味気ない話だった。

 でも、それ以前のことをきちんと覚えているのは何故なのだろう?

「ご両親の記憶のことは、おそらくあなたの無意識下の防衛反応と考えられます」と、ルドルフ伯爵が言った。

「ですが、許していただけるのなら一言だけ言わせてくださいますか」

「え? は、はい」

 改まった言い方に、メリーシャは姿勢を正した。緊張した面持ちに、伯爵が小さく苦笑する。

「ベルンハルトの娘であるあなたが、閣下を頼り、こうしてともに並んでいる姿を見ることができて……勝手ながらあなたの父君の部下として私はほっとしています」

「ええと……」

 どこか寂しげに言った彼に、メリーシャは沈黙した。べつにリエルを頼ったわけではないんだけど、と思うのだが、否定できる雰囲気ではない。

 ただ分かるのは、ルドルフ伯爵――彼は、メリーシャの生き様を見て救われている。

 まあ、それでいいかと思う反面、自分はいったいどんな重要なことを忘れているのだろうと思わずにはいられなかった。




 それから間もなく、ルドルフ伯爵のもとを辞したメリーシャは、屋敷のそとにぼんやりと立っている金髪の青年の姿を見て考え込む。


『――ベルンハルトの娘であるあなたが、閣下を頼り、こうしてともに並んでいる姿を見ることができて……勝手ながらあなたの父君の部下として私はほっとしています』


 どういう意味で言った言葉なのだろうと、ふと思う。

 ほっとしている、という伯爵の言い方はまるで、“リエルとメリーシャが反発するかもしれない”という可能性があったことを思わせる。

 ただの考えすぎ?

 でもそれにしては、やけにもったいぶった言い方をされた気がする。リエルもリエルで、みょうに話の腰を折らなかったところが変である。何も後ろ暗いことがないのなら、いつものように自分を茶化すぐらいはしそうな彼だ。

 自分は過去に、リエルを拒絶するという選択肢を持ったことがあったのだろうか。それもおそらく父親のことで。

 出来るならむしろ、今まさに拒絶してやりたいんだけどあの胡散臭い大魔術師。

 と、思うメリーシャだったが、師弟関係という絆はそうやすやすと解消していいものではないことも知っている。魔術師はみな、見習い時代に師弟制度というものの意味の重さを教わるのだ。魔術師という人種は契約を重んじるものだから。

 最近はそこまで堅苦しいものではないそうだけど、それでも師弟登録してものの数日で解消だなんて、魔術師協会に属する魔女としてめちゃくちゃ恥なことには違いない。

「リエルさん」

 呼びかけると、彼はすぐに振り向いた。そして、その手もとに魔法陣の光が浮かんでいるのが見えて、彼がただぼんやりと立っていたわけではないことにメリーシャは気づく。

 彼に寄りそうように浮かぶ術式は、転移陣だった。

 過去に習った記憶によると、指定した場所に一瞬で体を飛ばしてくれる便利な術という概要だったが、転移陣とて伝達術と同じく、メリーシャにとっては使ったことのない魔術である。

「……もしかして、次はそれ?」

「そうですよ」

 あっさりと返事をする彼に、メリーシャは俄然、頭が痛くなった。

 どうしてこの魔術師はこんなにぽんぽんと、難しい術ばかり使うのか。

 もうここまで来たら、リエルの凄さに驚いた顔なんてしてやるものかと心のなかで決意する。いいことメリーシャ、あなたは師匠、この規格外の魔術師の師匠。冷静になるのよメリーシャ。そんなふうに自分ひたすら暗示をかけながら彼に向き直った。

「というか、リエルさん。転移術って体を粒子レベルに変換して目的地に移動させる術なんだって思うんだけど、そんなことして体は大丈夫なの?」

「はい、何度も使ったことがありますが私は見ての通りですよ。それともどこか欠けてます?」

 あなたの常識と頭のネジが欠けてるわよ。

 よっぽどそう言えたらいいと思う彼女である。

「なんですか、心配そうな顔ですね」

「悪いけどあたし、あなたみたいに優秀じゃないから!」

「天才魔術師なのに?」

 ぐっ、と言葉に詰まる彼女だった。天才魔術師。よく考えてみると、なかなか恥ずかしい称号である。

「そ、そんなのあたしが言い出したことじゃないもの。だいたい、十歳で卒業したからって天才とか、安直すぎよ」

「当時あなたが取材されたテキスト、読みましたよ」

「え、」

「あなたの父君が満面の笑顔で、切り抜きを押し付けてきましたからね。執務を放棄させて、朗読させられたという方が正しいでしょうか」

「…………」

 あの馬鹿親、本当にどこまでも馬鹿親!

 今のところ思い出す術は無いのだが、いっそ記憶をあのまま、“立派な騎士だった”と部下に絶賛されている事実だけに留めておくべきかと思うメリーシャである。後を頼む、と徽章だけを置いていく姿はまさに美しい騎士物語と言えるだろう。

 しばらく本気で悩んだ彼女は、ふと思ったことを口にした。

「……リエルさんは、父とずいぶん仲が良かったのね」

 大魔術師を朗読させるぐらいだから、きっとそれなりの仲だっただろう。どうやって仲を深めたのかは知らないが、もしかして彼がルーベル家に弟子入りに来た理由のひとつは、そこなのかもしれない。

 だが、リエルはうなずきもせずこう言った。

「ねえ、メリーシャ」

「なに?」

 突然、笑みを消した魔術師に、彼女は眉をひそめた。

「あなたの父君を殺したのが私だと言ったら、あなたはどうします?」

 風が静かに頬を撫でた。

 ただの例え話にしては物騒だった。

 だがあまりに唐突に、そして淡々と言うものだから、メリーシャは一瞬反応できなかった。少しだけ目を見ひらいて、瞬きも忘れてリエルの顔を見つめ返した。

「……どうとも、思わないわ」

 いまのところは。

 そう言うと、彼は薄く微笑んだ。

 どうとも思わない。いや、どうとも思えないといったほうが正しいだろう。

 言葉の響きにどきりとしなかった訳ではないが、嘘か本当か、メリーシャには判別がつかないのだ。だってあなた嘘つきだから、と内心呟く。

 未だにどうして彼女の弟子になろうとしたのか、彼は話してくれていない。仮に本気で“あらゆる魔術を後世に残す”ことが目的だったとして、その裏に隠れた真意は闇のままだ。

 彼は自分に心を開いていない。

「あなたそういう倫理観は、意外としっかりしてそうだもの。……それとも本当に殺しちゃったの? というか普通、あたしにそんなこと言う?」

「メリーシャ、あなたという人は呑気ですね。それとも一部の感情が欠落しているんでしょうか」

「うるさいわね、人をでくの坊みたいに言わないでよ」

 むっと顔をしかめると、リエルが笑った。

「失言でした。あなた本当に感情豊かですね」

「なによあなた」

 メリーシャは場の空気から逃げるように、リエルから顔をそらした。

「……ほらさっさと行くわよリエルさん。あたしの耳飾り、今度こそ取り戻さなくちゃ、一日が終わっちゃう」

「そうですね」

「とりあえず、どこに行けばいいの?」

 かなり嫌な顔で、リエルの横に浮かぶ転移陣を見つめるメリーシャだったが、もしリエルの言う“目星”が近場であるなら、歩いていこうと思っていた。それぐらい、初めてみる転移陣というものに不信感がある。自分をうまく再構成できずに塵となって消えるのはごめんだ。

 だが残念なことに彼のつけた目星というのは、最悪だった。

「盗品が行きつく先は、闇市場でしょう」

「えっ」

 よりによってそこなの!?

 思わず身じろぎしたメリーシャだった。闇市場というと、メリーシャぐらいの歳ごろの乙女の間では、絶対に近寄ってはいけない場所リストの最上位に位置する危険な場所だ。

 最下層だ。

 危険地帯だ。

「だめ、却下。行くわけないでしょ。リエルさん一人で行ってよ」

「あなたが行かないでどうするんです? 私はあなたの耳飾りを見たこともないのに?」

「う、嘘おっしゃい、伝達術であたしから情報を読み取るぐらいできるでしょ!」

「そうすると色々見えすぎて頭痛がしてくるので」

「なっ」

 青い顔で口もとをわななかせるメリーシャだったが、リエルが闇市場に彼女を連行する気を変えないのは明白だった。こうして嫌がる彼女を見て、彼はおそらく楽しんでいるのだろうから。

「ではさっさと移動しますよ」

「え? ちょ、ちょっと待って!」

 リエルが容赦なくこちらに歩いてきたのを見て、メリーシャは目をむいた。馬鹿みたいな話だが、彼は空中に作りだした転移陣を手につかんでいる。魔法陣をつかむって、なにこの規格外な魔術師!?

 慌てて後ずさる彼女に構わず、リエルはどこか意地の悪い笑みで“転移陣”を彼女の頭上から振り下ろした。そうした途端、霧のように分解されたメリーシャは風に流されるように飛んでいく。




 ――ちょっと、あなた、何するのよっ!?




 少女の叫び声は誰の耳にも届かない。

 彼以外の誰にも。

 飛ばされていく少女の幻影を見て、大魔術師はそっと呟く。

「全てを知ったら、あなたはなんて言うのでしょうね」


 あなたの父君を殺したのが私だと言ったら、あなたはどうします?


 泣くのかな、と少しだけ案じる。

 だがそれは、まだ知らない先の話だった。



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