第七話 師匠と弟子と闇市場(3)
◇
――天才魔術師メリサルル・ルーベル、現る!
――齢十歳にして、魔術薬学の新たな定説を打ち立てる!
六年前、学院を卒業したばかりの彼女は、そんな見出しの魔術雑誌に目を落とした。
これまで努力を重ねたことは自信を持って言えるのだが、ずいぶんと大げさな言われように、少し気恥ずかしい思いになる。
ふと顔をあげると、隣の控え室から顔をのぞかせたオリビアが片目をつぶる。がんばって、と口だけ動かして応援され、彼女は緊張を振り切るように顔を戻した。
それから間もなく扉の開く音がして、取材の約束をしていた相手が到着する。お待たせしました、と言って微笑むのは魔術雑誌の編集者と名乗る女性だった。
『ルーベルさん、まずはご卒業おめでとうございます』
『あ、ありがとうございます……』
『たった十歳で卒業というのは、学院史上初のことだそうですね。学院長もたいそう喜んでおられましたが、今のお気持ちは?』
『今は、そうですね、あたしが無事に魔術師になれたのは父と母のお蔭です。まだ信じられない気持ちで』
『あなたの学術論文は“魔術薬学の調合”に関してだそうですが、魔術師ではない一般の方々にも魔術薬が調合できるようにという、全く新たな試みを論じたものだそうですね?』
『はい、その通りです』
『どうしてその内容にしたのですか?』
『ええと、きっかけは――』
「――ねえ、本当にこんなところで耳飾りが見つかるの?」
夕刻も近い時間帯、メリーシャは前を歩く金髪の青年にこわごわと話しかけた。
ルドルフ伯爵の屋敷を後にしてから数刻ほどが経っている。傾きかけた日が当たりをうっすらと赤く染めていた。
彼女たちの目の前には舗装されていない道がまっすぐに続いており、その両脇をかためるのは平屋根にも年季の入った、屋台のような建物の数々。リエルから教えてもらったところ“市場”ということらしかったが。
メリーシャは辺りの光景を目にしながら疑念を抱かずにはいられなかった。
なにが“市場”だ、と思っていた。
道の両脇を固める店の面々は、どこもかしこも明るい雰囲気などは見られない。むしろ排他的な印象がたっぷりのそこは、市場は市場でも――闇市場であった。
そこは、メリーシャの屋敷があるふもと街の裏路地にあたる場所だったが、行き交う人々はみなどこか顔を伏せがちにして足早に過ぎていく。そして道脇で切りっぱなしの屋根板にとまったカラスが、こちらを見て鳴いている。それを見たメリーシャは、顔を引きつらせて無理やり前を向いた。
つい先ほどの話になるが、『耳飾りの在り処の目星』について訊ねたところ、リエルは彼女にこう言った。
盗品が行きつく先は、闇市場でしょう。
本気かと疑わなかったわけではないが、リエルの言葉以外にあてもなくここまで来てしまった。だが正直な話、この陰気なたたずまいに、メリーシャはすでに帰りたいと思い始めていた。
「こんな場所は珍しいですか?」
どうやら落ち着きのない少女に気づいたらしく、いつのまにか振り向いたリエルが微笑んでいる。
「そりゃ珍しいわよ……。でも、思ったより人が多いのね」
「闇市は夜が本領ですから。早朝の野菜市とは違うんですよ、メリーシャ」
「わ、わかってるわよ。それより、ここまで連れて来ておいて後で耳飾りはありませんでした、なんて無しだからね。あたしこんなところ来たの初めてなんだから……」
さすがにこんな場所では、自分の存在が場違いすぎて尻ごんでしまう。
普段のやたら強気な彼女とは全く正反対の気後れした様子に、リエルは小さく苦笑した。
「そうですね、“ある”と、断言してはさしあげられませんが、おおよその目星は付けています。この先にある店が一番怪しいですよ」
リエルはそう言って奥の通りを指差した。彼があまりに悠々としているものだから、メリーシャは訝しんだ。
「……あなた、どうしてこんな場所に詳しいの?」
こんなに異世界じみた場所なのに、慣れた足取りで進んでいくリエルが不思議で仕方がなかった。
いくらメリーシャが十六歳で、あげく世間知らずだとはいえ、さすがに自分が暮らす街のことは分かっているつもりだった。この街が明るい場所ばかりではないことも知っている。
だが、知っていることはそこまでだ。
無理もない話だろう。このところすっかり没落気味だとは言え、代々魔術師の家系であるメリーシャは、もともと立場的には中流階級の上位層にあたる娘なのだ。学者や医者の一族と同じぐらいの地位である。
かつて両親が生きていたころは、大げさに言うなら“魔術師のお嬢さまだった”彼女が、闇市場というものをよく知っているはずがない。それは他の魔術師にとっても同じであり、上位層に位置する彼らは、基本的に後ろ暗い場所は知らずに生きているのが普通だった。
だからこそ、『リエル・シャフルード』という魔術師中の魔術師が、こんな“普通じゃない”場所に詳しいことがとても気になる。
思わず目をすがめるメリーシャだったが、当のリエルはあっけらかんとした様子だった。
「知ってるもなにも、ここは闇魔術の材料が取り引きされる場ではありませんか。ここは様々な非合法のものが並びますからね、闇魔術を扱う者にとっては大変貴重な場所です」
「あなたね。だからなんでそれをあなたが知ってるのって聞いてるのよ」
「私は後世にあらゆる魔術を残したいと思っている、と以前あなたに教えたでしょう? それぐらいは知っていて当然ですよ」
「そんな堂々と……」
メリーシャは思わず呆れた。
「闇のなんちゃらだか知らないけど、そういう、人に疑われそうなこと気軽に言わないでよね」
ましてやあなた、人の上に立つような大魔術師なんだから。
人目があるので、その文句は胸のうちに押しとどめたメリーシャだったが、なんだか心がもやもやとした。
ねえ、お父さんお母さん。あたし、本当に耳飾りを取り戻せるのかしら?
思わず遠い場所にいる両親に話しかける。というか、こんな見るからに危なそうな場所に来てしまって、無事に帰れるのかという心配のほうが先だつのだけど。
メリーシャは微妙な顔で胸もとに仕舞い込んだ布きれにそっと触れると、青年を追って歩き出した。
◇
時は少しだけさかのぼる。
伯爵邸にて、ようやく佳境を越えたルドルフ伯爵の思い出話に終着点を見出したころ、すでに疲れ切っていたメリーシャはは“もう身分とかどうでもいいわ”と、思い切って屋敷を辞することを申し出た。
「おや、失礼。すっかり話し込んでしまいましたね」
「い、いえ……、楽しい話をありがとうございました。もうじき日も暮れてしまいますので、また日を改めてお伺いします」
「そうですね、もうしばらく話していたい気もしますが、また次の機会まで取っておきましょう」
「あはは」
そう笑いながら、メリーシャは内心おののいた。まさかまだ話題があったとは、恐るべき伯爵である。
そんな彼女の思いなど知らぬ彼は、のんびりとした口調で「ああそうだ」と彼の使用人へと振り返った。
「あれがあっただろう、ここに持ってきておくれ」
「畏まりました」
そう慇懃に腰を折ってから部屋を出て行った男性を見送りながら、メリーシャは目を瞬いた。
……あれ、って?
思わず疑問符が散る彼女だったが、しばらくして伯爵の使用人が持ってきたものを見て、ますます首をひねることになった。
「これをあなたに」
そう言ってルドルフ卿が手渡してきたものは、手のひらに収まるぐらいの古びた布きれだった。その全体にきっちりと刺繍が施されているのだが、色が抜けてくすんだ色彩になっている。
「これは?」
「騎士団の徽章です」
徽章。
その言葉に、なんとなく腑に落ちる彼女だった。つまりは身分証のことで、この場合これは官服なんかに縫い付けられる、『自分は王宮の騎士団に所属している者ですよ』という証みたいなものなのだろう。
でも、なぜこれを自分に渡すのだろう。
もらう理由がないメリーシャは、手のひらに乗った徽章をまじまじと見おろした。中央にデスタン王国の、王族を示す紋章が描かれている。だが普段よく見知ったものとは違い、紋章の両脇には交差する剣があしらわれる。まるで王族を守っているようにも見えるデザインは、確かに騎士団を彷彿とさせる。
「これは、あなたの父君が私に託していったものです。後を頼む、と」
それを聞いて、メリーシャは何とも言えない気分になっていた。
伯爵の言葉が本当なら、これはメリーシャの父親の最期の遺品なのだから当然だ。よっぽどのことが無い限り、騎士が身分証を人に託すなんてことは無いだろう。
「そうですか」
父のものだったと言われると、彼が騎士だったという実感が湧いてくる。そしてなんとなく、官服からべりっと徽章を剥がす父親の姿が想像できた。
なによ、格好つけちゃって。
記憶のなかの父親に思わず文句を言ってやると、おぼろげな顔がしかめ面をしたような気がした。
メリーシャにとって、父親というのは母親や彼女にベタベタとしつこく、おまけに借金を残して亡くなった情けない駄目親だ。
でも家族の前で、彼は決して弱いところは見せなかった。
「お嬢さん、あなたにいつか伝えたいと思っていたことがあります」
伯爵は静かに切りだした。
「ベルンハルト・ルーベルは、いまでも騎士団の英雄です。彼は自分のことを“裏切り者”だと言っていましたが、我々は誰も彼を責めるつもりなどありません」
「裏切り者?」
思わぬ言葉にメリーシャは目線をあげた。
あまり事情に明るくないが、父親はなにか悪いことをしたのだろうか。だがそれにしては、伯爵の言い方がみょうに引っかかる。
「違いますよ、裏切り者ではない、という話です」
伯爵は優しく否定した。
「彼は騎士団ではなくあなたを選んだことを、許せと言っていました。だが、誰が彼を責められますか。あなたも人魔戦争に多大なる貢献をした者のひとりなのです。むしろあなたを護れなかった我々を罰しても良かったぐらいだ」
「えーと……た、多大なる貢献? あたしを選ぶ?」
なんの話だ。
メリーシャはとうとう、礼儀も忘れてしかめ面で反芻した。
人魔戦争のことは六年前に終結したばかりなのだから、彼女も情報として知っているが、その戦にメリーシャが貢献した?
「あの、何を仰っているのか、さっぱり分からないのですが」
困惑ぎみに言ってみると、なぜかルドルフ卿は痛ましいものを見るような目で彼女を見た。
「覚えていらっしゃらないのですか」
「申し訳ありませんが、まったく」
これっぽっちも。
というか記憶にある限り、自分は魔術学院を卒業してから、細々と魔術薬を売って暮らしていたはずなのだけど。
人魔戦争に関わるだなんて、そんな大それたことをやった覚えは毛頭なかった。
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