第五話 紹介しましょう(2)
改稿(ストーリーは変わりません)
ぴしりと固まった場が溶けきるまで、少しばかりの時間が必要だった。
止まった時間を動かしたのは、他ならぬルドルフ卿の笑い声である。その頃にはすっかり、林檎よりも真っ赤になった顔を恨めし気に伏せることになったメリーシャだった。
「ちょっとリエルさん、あなたよくも……」
恥をかかせてくれたわね。
隣の青年をきっと睨む少女だったが、当のリエルはのんびりと構えており、加えて対岸に座るルドルフ卿も微笑ましいものを見るように笑っている。
「なるほど、閣下の師に志願するとは、あなたも面白いお嬢さんですね」
メリーシャが“リエルの師匠”ということをただの冗談だと受け止めたのか、ルドルフ卿はどこか茶化すような声音で言った。
いっそこのまま『冗談です』と言いたい気分になるメリーシャだったが、そうしたところで実際に師弟関係が解消されるわけではない。自宅の屋敷には先日もらって来た『師弟証明書』が置いてあるし、あまり否定ばかり繰り返して、リエルに『じゃあ助成金は返してください』と言い出されても今さら困る。
足もとに隠すようにして置いたひと抱えの金貨の袋が、メリーシャをじいっと責めているような気分になった。
ああ貧窮の末とはいえ、金に目がくらんだとはこのことである。メリーシャはなんだか頭が痛かった。
「も、申し訳ありません、ルドルフ伯爵。今日はお話があって来たのですが……」
やっとのことで言った隣で、リエルが再び笑いをかみ殺すのを感じたメリーシャは、思いきりその足を踏んでやった。いつまでも大人しくからかわれていると思ったら大間違いだ。
すると意外というか当然というか、リエルは『へえあなたそんなことして良いとでも?』と言いたげな視線をこちらに向けた。そしてなんとも行儀の悪い話であるが、リエルはこともあろうかその長い足で、床に置いた麻袋を自分のほうへと動かした。
「ちょっと」
ずずっと動かされた袋を見おろしながら、メリーシャは小さく言った。牽制のつもりだとしたらいい度胸じゃない。
メリーシャも負けじと、足で袋を取り返す。
また取られる。
取り返す。
取られる。
取り返――…
「ではどうして我が屋敷へ?」
「――へっ!? あ、え、ええと」
テーブル下の戦いが佳境に入ったところで不意に声を掛けられ、メリーシャはその場に飛びあがった。
それを見てとうとう我慢しきれなくなったらしいリエルが、座ったまま身体を折って笑いだした。訳が分からずきょとんとしたのはルドルフ卿である。
「どうかしたのですか?」
「いえ、彼女があまりに可愛らしかったので」
まなじりに浮かぶ涙をぬぐいつつ、リエルは言った。
怒りか恥ずかしさか、はたまた両方か。またしても真っ赤になって湯気を昇らせるメリーシャだったが、なぜか屋敷の主はそれを懐かしむような目で見つめていた。
「閣下、あなたがそんなに楽しそうなのは久々ですね」
「この人常に楽しそうですけど」
メリーシャがこれでもかというほど嫌味を込めて言ってやると、伯爵は小さく笑った。
「お嬢さん、あなたは父君にそっくりでいらっしゃる」
「え、私の父にですか?」
いきなり飛んだ言葉を聞いて、メリーシャは目を見開いた。
父親にそっくり?
彼はいったいメリーシャのどこを見てそう思ったのだろうか。母親似の顔だとはよく言われたが、父親に似ているとは今まで一度も言われたことがない。
思わず一瞬悩んでしまった彼女だが、次にルドルフ卿が言った言葉に納得した。
「さすがは親子だと言いますか、性格が瓜ふたつです」
「そ、そうですか」
だが喜んでいいのか悪いのか、よく分からないメリーシャだった。
借金の件のせいで、ただの計画性のない駄目親という印象が強烈だった。
彼女が知っている生前の父親というのは、仕事でいつも家を空けているような人で、あまり一緒に過ごしたことが無かったのだ。
たまに帰ってきたかと思うと、毎回のんびりと花の世話をするか料理をするか、あるいは母親のアリーシャの尻に敷かれているかのいずれかだった。例えるなら今のリエルの生活がまんまそれだ。
あとは馬鹿みたいな借金を作ったことや、唯一の娘を残して母親と一緒にこの世を去ってしまったこと――印象に残っているのはそれぐらいだった。
そんな彼でも、やはり自分の父親には違いない。
全部、残していってくれちゃって。父親のことを思いだして、メリーシャは少しばかり寂しい気持ちがこみ上げてきた。
急に浮かない表情になった少女を前に、ルドルフ卿が気づかうような顔になる。そして幾らか暗い雰囲気になったとき、不意にぽん、と頭に乗ってきた重みにメリーシャは感情が吹き飛んだ。
顔をあげると、そこには挑戦的に微笑む金髪の青年の顔があった。
「なによ」
「落ち込む姿はあなたらしくないですよ、もっと笑ってメリーシャ。笑った顔が一番可愛いんですから、よく見せて」
「あなた空気の読まなさはぶっちぎりね。というか、大抵あなたのせいで笑えないんですけど」
皮肉たっぷりに言ってやるが、メリーシャは彼の言葉はもっともだと思っていた。
人前で落ち込むなど、自分らしくもない。魔術師になったときから、自分は沈んだ顔は誰にも見せないと決めていた。両親のことだけではない、最年少で魔術師になった彼女はこれまでも沢山苦労はしてきたのだ。魔術師として、かつては思い描く夢もあった。
メリーシャは微妙な顔になりつつも、足もとに置いていた金貨の袋を抱えあげた。
「ルドルフ伯爵、お話のことなんですが……その私の父のことも関係があるんです」
「なんでしょう」
少し迷ってから、メリーシャは思い切って口にした。
「借金なんです。あたし……いいえ、ルーベル家があなたから大金をお借りしている件のことで……今日はその返済をと思い、こうしてお訪ねしたんです」
だが当の貸主はというと、メリーシャとその腕に抱えられた麻袋を交互に見ながら、不思議そうに首をかしげるだけだった。
「はて、借金ですか?」
「え?」
しっくりこない反応に、メリーシャは思わず問い直した。
「借金してますよね、うちの家?」
「してないと思いますが」
「えええっ、そんな嘘!?」
じゃあ、あの“父親の直筆サイン入り借用書”はいったい何だというの!?
思わず茫然としてしまったメリーシャの隣で、
「おや、予想外の展開です」
と、リエルがくすくす笑っていた。
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