第一話 魔法使いが弟子(1)
2014/04/11 改稿(ストーリーは変わりません)
はっきり言ってしまえば、お金がなかった。
「うそっ!?」
いきなり叫んだ少女――メリーシャは、白い肌をいっそう蒼白くさせて金庫のなかを覗きこんでいるところだった。
……がらん。
一言で表すなら、金庫のなかはそんな感じである。
見た目だけは立派な造りの頑丈な金具で造られたそこには、以前は小山ほどあった(悲しいことに『山』ではない)金貨も、宝飾品もなにもなかった。中にあるのは、換金したとしてもろくな金額にはならない粗悪品の魔術石と、銅貨が数枚だけである。
見るからに困窮している。
「ど、どうしよう……」
メリーシャは途方に暮れた。
もともと、彼女の家はお世辞にも裕福だとは言えなかったのだが、いつの間にかなけなしの資産も底をついてしまっていたようだ。この間、魔道具を買ったのがいけなかったのだろうか。それとも、わりと高価な薬草をタダ同然で人に譲ってしまっことがダメだった?
たぶん両方なのだと思いあたり、肩を落とさずにはいられなかった。
そして刻々と過ぎて行く時間に、焦りを覚えた。こうしている時間はない。もうすぐ、ルドルフ卿の使者が屋敷を訪ねて来ることになっているのだ。
メリーシャは難しい顔で部屋のなかをうろつきながら、先月会ったときの『ルドルフ卿の使者』を思い浮かべた。
二人組の男である。
毎回、それらしく服を着こんではいるが、それは見た目だけだ。一度口を開いてしまえば、彼らの姿は『柄が悪い』としか言いようがなかった。
だが、それもそのはずだった。彼らはメリーシャの屋敷にお金を取り立てに来ているのだから。
要するに、彼女はルドルフ卿からお金を借りているのだ。
とはいっても、父の代での借金だったため実際に彼女が借りたわけではないのだが、その父が亡き今、責任を負うのは彼の一人娘であり、いまは屋敷の当主でもあるメリーシャだった。
そしてたった今、メリーシャは保管庫まで今月分の返済金を取りに来たところだったのだが、……それがどうだ。返済金どころか、彼女には明日の生活費すらろくに無い状態だ。
これは非常にまずい事態。
自分の衝動買い云々を棚上げして、どうしてこんなに自分は不幸なのよ、とメリーシャは誰かに当たりちらしたい気分になったが、この屋敷には彼女以外には誰も住んでいないのだから、それも無理だ。
もうずいぶんと、一人で暮らすことに慣れっこになってしまった。
「今年で六年目、かあ……」
両親がメリーシャを置いて逝ってしまったのは。
長かったようで、短かったように思う。でも全然、両親のことは忘れられない。未だに色々と引きずっているのだと彼女は思っていた。たぶん、高価な薬草を人に譲ってあげようと思ったのも、それが関係しないわけじゃないのだ。
「……うう、やめやめ。あたしらしくない」
メリーシャは頭を振って、思い出しかけた記憶を頭の隅に追いやった。そんな考えたってどうしようもないことより、今を考えなくてはいけない。
というか、本当にお金……どうしよう!
ちょうどそんなふうに思ったとき、ふと家の扉が乱暴に叩かれ、メリーシャはその場に身を飛びあがらせた。
「おい、ルーベルさんよぉ」
ルーベルとは、メリーシャの家名のことだ。
「来てやったぜ。居るのはわかってんだ、さっさとドアを開けろ」
「は、はぁい……っ」
開けたくない、開けたくない、開けたくない。
このまま逃げてしまおうかと、一瞬思う。
でも、そうするとこの屋敷を手放す羽目になる。メリーシャにとっては両親との思い出の詰まった屋敷なので、そう簡単に手放すことはできなかった。どの道そうせざるを得なくても、せめてあともう少し……。
メリーシャはそうっと扉を押して、向こうに顔をのぞかせた。
重い扉の向こうには、柄の悪そうな男がやっぱり二人、立っていた。
「待たせるとはいい度胸だな」
「あの、えっと」
凶悪そうな顔を見あげながら、メリーシャはこわごわと口を開く。
「すいません、その、ちょっと、魔術薬の調合をしてたところだったので……その」
手が離せなくって、と言い訳すると、男の一人が鼻をならした。
「――で、」と一人が鋭い声で部屋のなかを見わたした。
「ルーベルさんよ、金はどこにある?」
ありません、なんて言えるはずもないメリーシャは、だらだらと冷や汗を流しながら視線を宙にさまよわせた。それに目ざとく気付いた男は、「まさかここに来て払えませんなんて言うわけねえよなあ? ああ?」と、ねめつけるように詰め寄った。
ひいいっ!
ガン飛ばしをくらったメリーシャは、思い切り身をすくませた。その隙にいつの間にか、男はメリーシャの化粧台にぽつんと乗っていた耳飾りを手にしていた。
「あっ、それは!」
「なんでい、良いモン持ってんじゃねえかよ。こりゃ魔石か? 売り飛ばせばそれなりの額になるな」
「か、返してください! それはお母さんの形見――」
手を伸ばしたメリーシャを、男がどん、と突き飛ばした。それから「十日待ってやるよ」と、彼は言う。
「それまでに金が用意できれば、これを返してやる」
え、そんな。
そしてさっさと屋敷を出て行ってしまった男たちを見つめながら、彼女は絶望に襲われた。
十日でなにが出来るというのだろう。
どうしたら、いいのだろう――?
「弟子を取ってみたら?」
翌日、お茶の席でそう言ったのは親友のオリビアだった。借金取りには追い立てられるし、食べるものもままならないと泣きついたメリーシャだったが、彼女の言葉にきょとんと目をしばたいた。
「弟子?」
「そうよ」
「冗談。……そんなの無理よ」
メリーシャはかぶりを振って否定した。
「どうして? 結構いい案だと思ったのに。だって弟子を取ったら、私たち魔術師は国から助成金がもらえるじゃない」
「そりゃそうだけど。でも、オリビアならともかく……あたしよ? あたしが師匠になんてなれると思う?」
「どうしてそう思うの?」
不思議そうにオリビアは首をかしげた。
「どうしてって」
メリーシャは口ごもった。
「こんな小娘に弟子入りしたいだなんて、そんな人が居るとは思えないもの」
メリーシャはティーカップに映り込んだ自分の顔をじっと見た。幼い顔。黒髪と黒い瞳のせいもあるのだろうが、彼女は人に何かを教えるには、どこか頼りない印象だ。
実のところ、メリーシャはまだ十六を数えたばかりだった。
魔術学院に入学したのは、彼女がまだ八つのころ。そして本来であれば四年はかかる道を飛んで、飛びこえて、十歳のときに卒業した。
そして当時は『天才魔術師メリサルル・ルーベル、現る!』と魔術業界を騒がせたものだったが、いまはしかし、すっかり平凡な生活が板についていた。
借金はあるものの、片田舎で薬草と調合薬を売って細々と暮らす毎日。こんな生活をメリーシャはそれなりに気に入っていたし、なるべく穏やかに暮らしたいというのが彼女の望みだった。
「まったく、なに言ってるのよ……。私なんかより、よっぽど腕のいい魔術師のくせに」
困り顔の彼女に、オリビアは苦笑をもらした。
オリビアはメリーシャの同期生だったが、今年で二十四歳になるはずだ。学生時代から要領がよく優秀だった彼女は、すでに弟子が二人も居た。
「ルル、よく聞きなさい。魔術師にふつうの常識を求めるのは愚の骨頂! 本当に魔術師になりたいと思っているのなら、そんな、年齢をどうこう言うはずないわ。……もしいたとしても、そんな子が来たらかたっぱしから追い返しちゃいなさい!」
「追い返しちゃ、助成金はもらえないわよ?」
「うっ……だ、だから、外見や年齢なんかを気にするのは、するだけ無駄って言いたいのよ、私は。百聞は一見にしかず、世間は広い、大船に乗った気持ちでどんと構えてなさい」
「うーん」
どうしたものかとメリーシャは悩んだ。
「じゃあ、他にどうやってお金を稼ぐって言うの?」
「それは、魔術薬を売るとか」
ありふれた切り替えしに、オリビアはため息をついた。
「売れたって、そんなのスズメの涙よ。あなたが一番よく分かってるでしょう? 高価な魔術薬を売ろうにも、そんな大層な効果があるものは売れないわ……いまは昔と違うのよ、法律にひっかかっちゃう」
確かにそれはそうね、とメリーシャは思った。
彼女の言う『高価な魔術薬』というのは、惚れ薬だったり、相手に本音を言わせる真実薬だったり、死因を謎めいたものにする毒薬だったり。そういうものはちょうどメリーシャが魔術学院に入ったころから、魔術師法が改正されたということで、取引自体が禁止になっていた。
「なんだか、不便な世の中になったものよねぇ……」
魔女はそういう裏の顔っていうのが売りなのに、とオリビアはうんざりとした顔でカップを傾けた。
◇
「やっぱり魔術薬程度じゃ、どうにもならないわ……」
今日の稼ぎを見て、メリーシャは途方に暮れた。
今日の売り上げといえば、ちょっとした熱さまし、除草剤、土汚れを簡単に落とす洗浄粉。どれも二束三文で売っているため、せいぜいその日のご飯代にしかならないというのが現実だった。
こんなことなら、名前が売れていたときにもっと稼いでおくべきだったかしら。そう思っても、もはや六年も前の話だ。今さら取り返しはつかなかった。
「弟子、ね……」
先日の友人の言葉を思いだし、メリーシャはしばらく考え込んだ。十六歳の小娘が師匠。そんなところに来る物好きは居るのだろうか。
だがルドルフ卿の使者と約束した日は、きっとすぐにやって来るだろう……。
その翌日、メリーシャは魔術管理局まで足を運んでいた。
「弟子の募集がしたいの」
「弟子……ですか」
役員の男性は慣れた様子で、ふたつほど向こうにある窓口を指さした。
「入門先をお探しでしたら、あちらの窓口まで――」
「違います、あたしが師匠になるのっ」
「ええっ!」
役員の男性は驚きのあまり、椅子から転げ落ちてしまった。
「し、失礼ですが魔術師認定書かなにか……」
男性はずりおちた眼鏡をかけなおすと、疑いの目つきでメリーシャの頭の先からつま先までを見わたした。
「これで文句ないかしら?」
メリーシャはどん、と勢いよく『デスタン魔術学院 第一七五回生 卒業証書』と書かれた羊皮紙を受け付けの台に突き出した。
「はぁ……照合しますので、少しの間お借りします」
そして男性が慌てて戻ってきたのは、それから間もなくのことだった。
「わかってくれたかしら?」
「まさか、あなたがメリサルル・ルーベルさんだったとは……」
まさかこんなちびっこい娘が、と言いたげな男性だったが、メリーシャはぐっと抑えて無視することに成功した。
「募集文はなににしますか?」
「そうね、えーと……」
とりあえず年上は勘弁だわ。
向こうがよくても、メリーシャのほうがやりづらくて仕方ない。その点は、同年代も同じこと。少し考えた末に、彼女は言った。
「十五歳以下の弟子、募集します!」
◇
募集をかけてから五日後。
例の使者に理不尽な約束をさせられてから、八日後のことだった。
今日のメリーシャは落ち着きがなかった。そわそわと、かれこれ十回も部屋のなかを往復している。これから、メリーシャの弟子にと志願した者がやって来る手はずになっていた。
「えっと、どこもおかしいところはないわよね……?」
化粧台の鏡を覗き込むのも、これで十回目。
メリーシャは自分のまっすぐな黒髪をなでつけながら、落ち着かない気分でいた。
第一印象というのは重要だ。
十六という年齢はどうあっても変えられない。なるべく弟子になめられないようにと、今日のメリーシャは大人っぽく見える格好を選んでいた。平常なら明るい色の服を好む彼女だったが、今日は落ち着いた色のワンピースに、魔術師の正装とも言える黒のローブを羽織る。
どんな子だろうか。
メリーシャは胸が高鳴るのを感じていた。
親友には『弟子なんて無理』だと言ったは言ったが、彼女もいつかは弟子を取りたいと思っていた。立派に魔術師になった暁には、一緒に色んな魔術を学んだり、開発したり。そう思うと夢がある。
でも、自分は師としてちゃんとやっていけるだろうか。
少しの不安が頭によぎる。姿見の前で、メリーシャはきゅっと顔を引き締めた。
待ちかねた訪問者がやってきたのは、それから半刻もしないうちのことだった。
「こんにちは。ルーベル家の御当主はご在宅ですか?」
――来た!
「お、お入りなさい……、ドアは開けてあるわっ」
学生時代、苦手だった教師の口調を思い出しながらメリーシャは言った。あのツンツンと冷たい印象が、当時の彼女には大人っぽく見えていたのだが、もう少しよく観察しておくべきだったかしら、と今さらながら後悔していた。
「では失礼します」と、訪問者はがちゃりとドアノブを回した。
「よく来たわね、待って――――」
待っていたわ、と言いかけてメリーシャは硬直した。
「……え?」
そこに居たのは十五歳の弟子なんかではない、精悍な顔つきの男性だったのだ。
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