5、虹の始まり
「あんた倒れたってなに……って、なんだ、元気そーじゃん。歩けるんでしょ? ほら帰るよ」
姉さんは上から下まで俺を舐めるように見た後、俺の鞄を持ち上げ颯爽と外へ向かっていった。
俺の思考回路は虹さんと喋っている時よりも明瞭になっている。だからまず、姉さんに心配をかけた謝罪と来てくれたことへの感謝を述べなければならないということは分かってる。分かってるんだ。分かってるんだけどさぁ……!!
「姉さん!! その格好で来るのやめてって言ってるじゃん!!!」
姉さんの今の服装は、4月のこの時期には到底ありえないレベルの薄着であった。太ももがほぼ露出するほどの短パンに、腹出し……? そんな派手で無防備な格好で高校に来るなと何度言えば……!
「やー、ごめんごめん。急いでたもんでね。どこかの誰かさんが倒れて大変だって椿さんからお聞きしまして」
「それはごめん! 本当にごめん! ありがとう!!でもさぁ! 言ってるじゃん! お前の姉ちゃんやばくね? って言われるのは俺なんだけど!」
姉さんの容姿は、そりゃあもう弟の俺から見ても整っていると分かる。なんかモデルにスカウトされたー! 芸能界きょーみねーけど! と、名刺の束をトランプのようにして遊んでいたのも記憶に新しい。
俺の嘆きを聞きもせず、姉さんは自由気ままに会話を操っていく。
「今日の天気結構乱高下だったもんなぁ。こんな山の中だったらもっとやばかったんじゃない?」
「……まぁ、うん」
そういえば、虹さんの能力の規模について聞かされてない。明日聞けるといいけど……。
「てか姉さん、寒くないの? お腹冷やすよ」
「暑いぐらいだけど? もっと薄着でもいいくらい」
「ねーーー、ほんとにやめて??」
この露出癖、何とかならないかな……。もはや変態の域にいると思うんだよなこの人。姉さんの連絡先教えてとか行ってくる男たちの気が知れないって言うか、とにかく今度母さんに会えたら……
「青晴?」
「っうぁ!? ……何!?」
前を歩いていた姉さんはジロリとこちらに視線をやった。心の中でボロクソ言ってるのバレた……!?
「今日のこと、さっきママに連絡した。まだ既読ついてないけど」
「えー!?」
「えー、じゃないでしょ。自覚ないのかも知んないけど、けっこー大事なんだから」
「……後で俺からも連絡するよ、母さんに」
「そーしな」
俺から連絡しなくても、母さんから鬼電が来るとは思うけど……。心配性のあの人の事だ。ちゃんと説明しないと、母さん馬鹿の父さんに何をされるか……!
一応心配はしてくれているらしい姉さんは、職員玄関のすぐ側に車を停めてくれていた。
「ほら乗って」
姉さんは真っピンクの軽自動車の鍵を開け、助手席に俺の荷物を投げ入れた。もっと丁寧に扱って、なんて言っても無駄なことは分かっている。大人しく後部座席に乗り込んで、背もたれに身を預けた。
「今日の飯当番、私が変わってやんよ。お前は寝てろ」
「……えっ、あっ、アリガト、ネエサン……」
姉さんの家に居候させてもらっている今、家事は当番制で行っている。 ……胃に優しいものを作ってくれたら、いいなぁ……。
姉さんの愛車『愛嬪紅whale号』は跳ねるように揺れ走る。たまにガタンッとちょっと心配になる音が鳴るもんだから、普通に怖くて寝られない。姉さんの事だから、どこかしら車を改造しててもおかしくないし。
「お、青晴ー? 起きてる?」
「起きてるよ。何?」
「外、見てみなよ。やばいよ」
そういえば、さっきはあまり空を見る余裕が無かったな。水溜まりが沢山できてるのは見たけど、やばいとは……
「……すげ、」
もっと、形容する言葉はあった。それでも、その景色を目の当たりにしたら、何も言えなくなった。
「ここまで濃いの見たことないわ。ラッキー」
雲一つない真っ青な空に、くっきりと七色のアーチが光っている。幼い頃に描いた虹そのものが、世界に広がっていた。
「虹っていいよねぇ……」
姉さんは零すように言った。虹、か。虹さんの気持ちは、天気と繋がっている。さっきまでとは比べ物にならないくらい静かで美しい空を見るに、今はきっと、苦しんでも悲しんでもいないのだろう。
『はい、また明日!』
そう言った虹さんの笑顔、めちゃくちゃ可愛かったなぁ……。改めて考えてみると、今日はほとんど曇り空だった。だから案内中の虹さんの笑顔は、愛想笑いというか、心からのものじゃなかったのかな。頑張ってたんだな……。
──ということは? 虹さんの、本当の笑顔を見たのは俺だけ……?
「うわ、何ニヤニヤしてんの? きっしょ。頭打った?」
「酷くない?」
姉さんに見られてたまずいまずい。頬を抑えて、揉んで、整える。虹さんも同じようなことしてたな。なんでだっけ……?
待って?
「……姉さん、姉さん? もし、もしもだよ? 泣いている女性がいるとするじゃん? そこに男性が来て、『笑ってる方が可愛いよ』って慰めたとする、もし姉さんがその女性だったら、どう思う……?」
勇気を出して質問したのに、その瞬間、姉さんはフッと鼻で笑った。
「おもろ。私だったら、キザ過ぎてちょっと引くかも。そういうのはハンカチをサッと差し出すだけでいーんだよ。いや、シチュエーションにもよるよ? よるけど、ねぇ? 笑顔が可愛いって……ふふっ……やば。ただしイケメンに限るってやつ? あはは!」
嗚呼、終わった。朦朧としてたとはいえ俺、やった。やらかした。あーあーあーあー……。
『はい、また明日!』
虹さんの声が遠のいていく。どんな表情をして会えばいいんだ……? 待ってどうしよう恥ずかしすぎて無理本当に無理。え、ほんとにどうしよう……。
「この後だけどとりま病院行こうかなって。んでスーパー寄って〜、……あれ?青晴? どうした? 死んだ? おーい、青晴ー?」
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今日ほど登校したいようなしたくないような気分になったことはない。落ち着け、まず俺のやらなきゃ行けないことは? 周囲への感謝と、それから虹さんへの……無理無理……! 段々と教室が近づいてくる。会えるのは嬉しい。嬉しいが……!
ふと、違和感。虹さん目当てのギャラリーがいない?
「きたきた。あおばー、ほんとに生きてたんだな」
「生きてるよ。心配かけたな」
扉を開ければ、昴がスマホをいじって待っていた。昨日の夜にLI〇Nで色々とやり取りしてたからか、いつも通りに接してくれている。通知が止まらなくなったのはビビったけど……。
「昴、なな、……天照さんは?」
自分の席に荷物を置きながら、隣の空席を眺めた。昴は相変わらず携帯に目をやりながらぶっきらぼうに答える。
「知らん。みーんなそう言ってそこの席を見ては去っていくんだ。俺、天照さんの行方を聞かされたの、これで14回目。今日、この30分だけでだぜ?」
「それは……気の毒に」
昨日の今日で、気まずくて来られないのだろうか。俺のせいでは……!? 普通に有り得る。謝る機会すらない感じ……!?
「今日いい天気だよなー」
ふと、昴は呟いた。今日の天気は、薄く雲が広がる晴れ。爽やかな風が窓から入ってきている。心地がいい。と、いうことは、虹さんの機嫌が悪い訳じゃないのか。なんか便利だな、こんな感じで今の気分が分かるの。
始業のチャイムが、騒がしい教室を静める。同時に、カララと音がして、扉がスライドした。教室の視線が一気に右前方へ向けられる。
「お、みんな揃ってるね」
現れたのは、霧島先生。なーんだ、という声がどこかから聞こえた。思っても言うなよ。
ふわ、そんな風が吹いた気がした。霧島先生の少し後に、昨日ぶりの彩雲のような白髪が見える。
「天照さん!」
誰かが立ち上がりながら呼んだ。それをピシャリと撃ち落とすように、霧島先生の少し低めの声が飛ぶ。
「お座り。始めるから」
ささっと虹さんは俺の隣へ移動し、机へ荷物を置いていく。何となく目が離せなくて、釘付けになっていると、こちらを向いた虹さんと目が合った。
「お、はよ」
ダメだ、昨日の行動が小っ恥ずかしくて……!
「青晴さん、」
虹さんが口にしたのは、俺の名前。小さい声だけど、ちゃんと聞き取れた。思わず顔を上げる。虹さんは太陽のように笑っていた。
「おはよう、ございます!」




