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2、暗天

 俺の切実な願いも虚しく、始業式の最中も頭痛が増していくばかりだった。ようやく窮屈な体育館が出て、空を仰いで息を吐けた。どす黒い雲が空を覆っていた。朝の予報では晴れだって言ってたのにな、と昴が呟く横で、天照さんはなんだか浮かない顔していた。


 まあ、それもそのはず。移動中も、集会中も、常に誰かが天照さんを見ていたらしい。そりゃあ、緊張するのも仕方がない。

 

 そして現在。


「天照さん!! 連絡先交換しよ! イ〇スタやってる?」


「部活どこ入んの?」


「よかったら部活見学一緒に行きませんか?」


 ギャラリーが隣席に鈴なりだ。廊下には、噂の美少女を一目見ようと集まった大勢の生徒がいた。学年でネクタイの色が分かれているので、青色のネクタイを着けた2年生だけでなく緑色のネクタイを着けた3年生、ピカピカの赤色ネクタイを着けた1年生さえいることがわかる。天照さん、動物園の赤ちゃんパンダみたい。


 四方八方から声が飛ぶ。聖徳太子ですら聞き取れなさそう。天照さん、きっと困ってる。どうにか助けてあげたいけれど……。

 

「はーいはいはい、授業始まりま〜す。みんな戻れ〜」


 人混みを掻き分け掻き分け、霧島先生は手を叩きながら声を張った。なんだよー、とかブツブツと文句を垂れながら、各々自分の教室へ戻っていく。平穏が訪れた。


 ようやく見えた天照さんはやはり目をしょもしょもさせて、ぐったりとしている。疲れただろうな。心なしか、せっかくの綺麗な髪が乱れているような。


「天照さん、大丈夫……じゃ、ないね?」


「ここまで囲まれるとは、予想してなかったです……」


 握った鈴のようにくぐもった声を発している。見るからに弱っている。


「……ごめん、助けられなくて」


 無力感に苛まれる。あそこで天照さんを連れ出せる勇気なんて、俺には無かった。


「いえいえ、大丈夫です! ……それより、校内を案内してくれるというのは?」


「え? 本当に俺がやってもいいの?」


「空本さんが案内してくれると、霧島先生から……。違うんですか?」


「違くない! 違くない!!」


 てっきりそこら辺の女子に役目を奪われたと思っていた。先生から言われたとはいえ、まだ俺を頼りにしてくれているという事実がじわりと胸を熱くした。


 その時、チャイムが賑やかな教室に授業の開始を告げた。霧島先生が口を開く。


「雨沢さんごうれーい」


「うす。きりーつ、れーい、着席ー」


 どうやら、昴は天照さんの前でかっこつけるのを止めたらしい。飽きっぽいもんな、こいつ。


「はい、始めます。この時間はね、自己紹介のために設けられた時間だったんだけど……。なんか急遽職員会議が開かれるようで、今日と明日の時間割を入れ替えることになりました。ということで、今から春休み中に汚れた校舎を掃除します」


 えー!? という野太い声が響き渡る。俺も言いたくなった。だって、あまりにも急すぎる。自己紹介、ちょっと緊張していたのに……。大掃除なんてあまりにもだるい。


「文句言わないの。私もついさっき言われたんだから。でもほら、明日の自己紹介で何を言うかじっくり考える時間ってことで。掃除場所も去年と違うし、やり方も変わるから、早めに慣れとこ。それぞれの担当箇所は黒板に掲示しておくから、各自確認よろしく。そしたら適宜分担場所に行って。分からないことがあったらその辺の先生に聞くこと。じゃ、始め!」


 息継ぎしたのか怪しいレベルで流れるようにつらつらと喋った後、霧島先生は俺らを置き去りにして廊下へと飛んでいった。そういうことなら、もうしょうがない。みんなわらわらと残されたプリントを見るため、黒板へと集まった。俺は後でいいや。人混みに揉まれたくないし。


「空本さん、あと、天照さんも。ちょっと……」


 霧島先生がひょっこりと顔を出し、手招きしている。昴はにやにやしながら肩を叩いてきた。何やらかしたんだ? とでも言いたげだ。俺自身に心当たりはない。天照さんも一緒ということは……。


 集団に紛れて、廊下へと出た。


「ごめんね、二人だけ呼び出して」


「いえ、全然大丈夫です。ぼーっとしてたので」


「それなら良かった。んでね、空本さんにはこの時間を利用して、天照さんを案内してほしいんだ」


「え?」


 天照さんと声が揃った。霧島先生はまるで聞こえなかったかのように気にせず続ける。


「掃除が終われば、勧誘が始まるじゃん? わんさか廊下に人が溢れるし、そうなったらもう案内どころじゃないと思うんだよ。生徒たちが掃除に縛られている今がチャンスってことで! それでいい?」


 そんなの、願ってもない話だ。答えは一つ。


「もちろ


「はい! ありがとうございます!」


 俺が言うより早く、天照さんが霧島先生に頭を下げた。拍子抜け。そんな言葉を思い出す。


 え、いいの? 俺で大丈夫なの? いや、嬉しい。嬉しいよ。ありがとう先生。でも、本当に俺でいいの? 困惑、驚愕、歓喜、感謝、その他諸々……。あらゆる感情がごちゃ混ぜになってしまう。


霧島先生はにこりと笑い、『いってらっしゃい』とだけ言って、さっさと踵を返していってしまった。


「で、は、よろしくお願い致します……!」


 天照さんはまたしても頭を下げる。腰が低いと言うか、ここまできたら疲れないか心配になる。なにはともあれ、やっぱり、嬉しい。


「こちらこそ。じゃあ、特別教室を重点的に回ろう。使う頻度が多いのは……体育館はさっき行ったし、まずは保健室かな。行こう!」


「はい!」





☁  ☁  ☁  ☁  ☁  ☁


 




 我が星見台(ほしみだい)学園高等学校は、非常に複雑な形の校舎をしている。


星見という名の通り、元々は星の観測地として建てられた施設なのだ。移転して廃墟となったのを校舎として再利用し、現在の姿となっている。よって


「保健室と大講義室ってかなり離れているんですね……」


「そうなんだよね……。もう少しだから、頑張って!」

 

 特別教室の位置が散らばっている。特に酷いのは、今向かっている大講義室。週に一度は使用するくせに、迷路みたいに入り組んだ道を歩かなければ辿り着けない。


「ついた。ここが大講義室。集会や講義でよく使うから、早めに覚えたほうがいいかも」


「よく……!? こんなに遠い所へ!?」


「はは……。慣れるまではサポートするから、大丈夫」


 軽く息切れしている天照さん。体力が無いのが一目瞭然だ。なんというか、イメージ通りというか。か弱そうなんて言ったら失礼かな。


「次は……比較的近いし、家庭科室に行こうか」


「はい……」


「──家庭科室の隣に、学食と購買部があるから、そこで少し休憩しよう」


「いいんですか……!」


 あからさまに表情が明るくなった。すごくわかりやすい人だ。ババ抜き弱そう。


「もちろん。さあ、行こう。時間もあんまりないし」


「はい!!」


キラキラとした視線が眩しい。つい、実家のゴールデンレトリバーにおやつをあげる時のことを思い出してしまった。ダメだ、笑うな、失礼だ。


「空本さん?」


「ごめん、なんでもないよ」


あちこちにいる生徒から、できる限り見つからないように。そろりそろりと歩いている。今のところ大丈夫っぽい。


「ここが家庭科室。ほら、あれが購買部だよ。自販機もあるし、何かジュースでも飲もうよ。奢るよ」


 ポケットから財布を取り出すと、天照さんは勢いよく首を振った。


「いえいえ! 悪いですよ! 私も、お金は持ってますので……」

 

 そう言って天照さんは水色と白色で構成された籠目模様の財布を取り出した。がま口をパカリと開けると、何枚かのお札……おかしい。福沢諭吉が沢山いるように見える。というか、小銭が一枚もない……?


「えーと、天照さん、それで全部……?」


「足りませんか!?」


「違う違う! えーと、万札は自販機に使えないんだ……」


「ええ!?」


「いやごめんそこじゃない。もしかして万札しか持ってない感じ?」


「おそ、らく……? 持たされたのはこれですね……」


「嘘でしょ」


 これは、世間知らずとかそういうのじゃないだろ。もしかして天照さんは深窓の令嬢とか? 病弱で外に出ていないとか……?


「やっぱり、ここは俺に奢らせて」


「でも……」


「転入祝としてさ。何がいい?」


「……うーん……こういうのには疎くて……おすすめとかありますか?」


「おすすめかぁ。いちごミルクとかどう?」


「いちごみるく……?」


「うん、とりあえずこれにしよう!」


 もう俺は考えるのをやめた。ちょっとずつ知っていけばいい。千円札を自販機に入れて、いちごミルクのボタンを2回押した。天照さんにピンク色の缶を持たせると、それをじっと凝視して、観察している。天照さんと並んでベンチに腰を下ろした。窓から見えた空はすっかり青色で、綺麗だった。


「どうやって開けるのですか?」


「おっと、そうだよね。貸して?」


 プルタブを引っ張ると、カシュッと音を立てて普通に開いた。それだけなのに、天照さんは虹色の瞳を輝かせている。


 この短い間で、天照さんはかなり常識離れしているということが分かった。先が思いやられるような、頭が痛むような……。

 

 そういえば、俺の頭痛はすっかり治ったみたいだ。あんなに痛かったのに。


「美味しい! いちごみるく、美味しいです!」


 天照さんは欲しいおもちゃを買ってもらった幼女のように二パッと笑う。130円でこの笑顔が見られるなら、安いものだ。


「それならよか


「天照さんじゃね!?」


 俺の声に被せてきやがったのは、掃除をサボりに来たのであろう、数名の男子共。


「おーい! 噂の美少女ここにいた!」


 男Aはなかまをよぶをつかった! そんなテロップが見えた。いけない、天照さんを逃さねば。


「天照さん行こ……っ……」


 立ち上がった途端に、頭に激しい痛みが走った。まずい、これはまずいやつだ。


「空本さん、どうしました!?」


 天照さんの声が、段々と遠のいていく。同時に、外から雷が鳴る直前の、ゴロゴロと空が唸っているような音が聞こえた。重い頭を無理やり上げて、窓の外を見る。さっきまでの青空が嘘のような暗雲が立ち込めていた。これは……雨音……? 豪雨? だめだ、なにも、わからない。


「そら、も……さ……」


 ぷつん、そんな音がして、真っ暗になった。遠くで雷鳴が轟いた気がした。













 



 

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