16、八つ当たりの恩返し
天文学室での勧誘説明会、2日目。 広いはずの天文学室が窮屈に感じるほど、人が溢れていた。
昨日釘を刺したはずではあるが、見学者は増えている。理由は明白だけど。
「天文学部は人気ないけど、学校でお泊まり会したりとか、楽しそうだよ〜」
演劇部の天音雷牙ことアマネちゃんが、なぜか俺に代わって紹介活動をしている。アマネ狙いのギャラリーが増えたのと、虹さんを見に来たミーハー共は説明を聞いているのかいないのか、楽しそうに語るアマネを眺めていた。
「人いっぱいですね」
俺の影に隠れる形で、虹さんはこっそり耳元で囁く。昨日は準備室にいてもらってたし、面と向かって部内紹介を聞くのはこれで初めてなのか。喋ってんのアマネだけど。
「質問ある人〜? 私個人への質問でもいいよ♡」
「はい! アマネ先輩は彼氏いますか!!」
「いないよ♡」
元気いっぱいな新入生の言動に、思わず吹き出しそうになった。アマネが男って知ったら、どんな顔すんのかな。1年前の昴みたいに軽い絶望を味わったりしたりして。
その時だった。
廊下の向こうから、ドタドタと荒い足音が近づいてくる。扉は分厚いはずだ。それなのに聞こえるの? ああ、嫌な予感しかしない。
次の瞬間、天文学室の扉が勢いよく開いた。肩で息をしている少女は
「アーマーネえ"え"え"え"え"え"え"え"え"!!!」
と、とんでもない声量で怒号を飛ばした。室内が凍る。どこかで見た事のある、青色の髪をポニーテールでまとめた、派手な女子。スパンコールが輝く豪華な衣装を身につけている。えーと……。
「げっ、ナナセセンパイ……」
アマネが呟く。ななせ……ああ、そうだ。演劇部の部長──晴川北斗先輩だ。ナナセって、部で使ってる名前なんだっけか。北斗七星の七星でナナセなんだよ、うちのセンパイ♡ なんて紹介された記憶がある。
「どこで油売ってるのあんたは!! 今日ミーティングあるってLI○Eで言ったじゃん!」
「え、まじ? 見てなかったかも。すみません」
「はい撤収! うちの人がお世話になりました! ごめんね、天文部!」
「あ、いえいえ〜」
「ほらいくよ!!」
ナナセ先輩はアマネの首根っこを掴み、ズルズルと引きずっていく。扱いがとても荒い。
「営業活動してたのぉ〜!」
「他部活で営業すな!!」
ナナセ先輩も苦労するなぁ……。あれが後輩なんて、扱いきれないだろうに……。
「なっちゃーん! 明日絶対来てねー! あ、新入生しょくーん、演劇部にも来て〜!」
ちゃっかり、引きずられたまま宣伝をしていく。ちょうどいいや。
「天文学部の説明はこれでおしまいにするから、みんな演劇部の説明会行ってあげてよ」
事実アマネが大体言ってくれたし。俺から言うことは特にない。一年生達はそれぞれ顔を見合せながら、ナナセ先輩とアマネを追いかける形で廊下へと出ていった。
やっと天文学室が静かになった……。
「疲れちゃいましたか?」
振り向くと、そこには首を傾げている虹さんがいた。
「ちょっとだけね。休憩しよう。お菓子とジュースあるから」
虹さんを丸椅子に座るよう促し、棚からせんべいや昨日のチョコレートなどのとりあえず沢山のお菓子を取り出す。サイダーも発見。炭酸飲めるかな。
「遠慮せず食べて食べて。これ、俺のお気に入り」
「ありがとうございます。いただきます」
パクパクとお菓子を頬張る虹さんの姿は、ハムスターを彷彿とさせて癒される。しょっぱいのより甘い系がお好みらしい。明日明後日で調達しとこう。
虹さんはサイダーの缶を開け、くぴりと一口飲んだ途端に一気に口から缶を遠ざけた。
「痛い……!? このシュワシュワって、なんですか?」
「ごめんごめん、それ、炭酸飲料なんだ。少し刺激があるやつで、慣れると美味しいんだよ」
また一口、虹さんはサイダーを流し込む。やっぱりまだ飲みにくいかな、コロコロ変わる表情を見るのは楽しいけど。なんて意地悪な部分の俺の心が刺激されてしまう。
──じゃなかった。話したいことあったんだった。
「ねぇ、虹さん」
「ふぁい? ……っ、なんでしょうか?」
「昨日、結局なぁなぁにしちゃったんだけどさ」
「きのう……」
「今の段階で、悩みとかってある? 例えば、勉強、とか」
勉強という単語を出した途端、虹さんは俯いてしまった。やはりか……。
「力になりたいんだ。分からないところとかあったらさ、俺、教えられるよ」
「……ありがとう、ございます」
まだ表情は暗い。……ああ、分かった。
「分からないところだらけで、聞くのが申し訳ないとか、恥ずかしいなとか思ってる?」
虹さんはハッと顔を上げた。どうやら的中したらしい。
「……バレちゃいましたか。やっぱり、天気が……」
「ううん、天気は参考にしてないよ」
「え? じゃあどうやって?」
ひとつ、息をついた。きっと、話して、説明した方が納得してもらえるよね。
「去年の俺と同じだから」
「えっ!? 青晴さんが!?」
「意外に見える? なら、嬉しいな」
「そんな、昨日のテストだってスラスラ解いていたのに」
「あれは春休み課題からそのまんま出題されたやつだし。俺、実はそんなに出来がいい生徒じゃないんだよ」
虹さんの手が、サイダーの缶をぎゅっと握った。
「……嘘です」
小さく、けれど即答だった。思わず笑ってしまう。
「ほんとほんと。最初の頃なんて、ほんとにほんとにひどかった。テストの点数よりも視力の方がいいくらいにね」
虹さんの目が揺れる。信じたいけど信じきれない、そんな色。
「俺さ、この学校にどうしても入りたくて。望遠鏡があるからって、天文学部に入りたいからって理由だけで、無理して受験したんだよ。偏差値はだいぶ足りなかったけど、どうにか受かって」
窓の外では、雲がゆっくり流れている。
「でも入ってみたら、全然ついていけなくてさ。周りは当たり前みたいに問題解いてるのに、俺だけ白紙」
あの頃の答案用紙を思い出す。真っ白で、何も書けなかった。教室に静かに響く、誰かが答えを記す音。全身を劣等感が包んで、叫んで逃げ出したくなったっけ。
虹さんの睫毛が、かすかに震えた。
「霧島先生いるでしょ? あの人に放課後ずっと見てもらってた」
「……そんなことが……。私と、同じ境遇だったなんて」
ぽつりと零れた声は、今にも消えそうだった。
「虹さんとはかなり環境は違かったけどね。まぁ、同じっちゃ同じかな。」
比べるのは違うかもしれないけど、とりあえずで話を進めていく。
「俺もさ、先生の時間奪って申し訳ないって思ってた。何回も謝ったよ」
虹さんが、ゆっくり顔を上げる。
「そしたらね、先生こう言ったんだ」
少しだけ、あのほんのり暖かかった放課後の空気を思い出した。
「『先生これで給料貰ってんだぞ、仕事させろ』って」
虹さんの目が、ほんの少し丸くなる。
「まぁ、それだけじゃなくてさ」
俺は笑いながら続ける。
「『私は人に散々迷惑をかけて生きてきた。そして、散々迷惑をかけられて生きてる。今私がやってるのは、ただの八つ当たりの恩返しなんだ』だって」
虹さんは、黙って聞いている。
「『もし私に対して申し訳ないと思うなら、いつか誰かに迷惑をかけられる人になれ。頼られる人になれ。それで恩返しは成立するから』……。すごい人なんだよ、先生」
部屋の空気が、静かに落ち着いていく。
さっきまで胸の奥にあった重たい感じが、少し軽くなった気がした。
「だからさ」
虹さんを見る。
「分からないことだらけでも、全然いい。何でも質問して欲しい。足し算のやり方でも、微分積分でも、何でも。俺は驚かないし、呆れない。頼られるの、好きなんだ」
しばらく沈黙が落ちた。
虹さんは視線を落とし、そしてゆっくりと顔を上げる。
瞳の奥の曇りが、ほんの少し薄れている。
「……私も」
かすれた声。
「いつか、誰かに頼られる人になれるかなぁ……」
その言葉と同時に、窓の外の雲が切れた。淡い光が差し込む。虹さんの頬が、少しだけ赤く照らされる。真っ白だった表情に、うっすらと色が乗った気がした。
「絶対なれる。俺はそう思う」
「そっか、そうかぁ……」
七色を閉じ込めている瞳が、ほんのり潤んでいる気がした。どうやら、安心してくれたみたいだ。虹さんはたどたどしく言い始める。
「二次方程式までは、分かるんですけど、関数がちょっと難しくて……」
「関数は高校でも使う分野だから、ゆっくり学ぶのはいい事だよ。なんか問題検索して、一緒に解いてみようか」
「……っよろしくお願いします!」
これは、八つ当たりの恩返し。あの放課後は、ちゃんと今日に繋げられた。
──この状況を先生が見たら、呆れた顔で笑ってくれるに違いない。




