1、天気と転機をもたらす少女
物語の中では、いい感じにシチュエーションに合わせて天気が良くなったり悪くなったりする。しかし現実はそうもいかなくて、空は大抵空気を読んでくれない。
高校2年生になった今日、1年生にとってはハレの日であろう初登校日かつ始業式の今日に限って、天気はすこぶる悪かった。雨が降りそうで降らないみたいな、暗雲が立ち込めている感じの。この曇天じゃあ、桜も映えないだろうな。テンションが下がっているであろう新入生に同情しつつ、ズキズキ痛む頭を抑える。
ガタンと音を立てて、右斜め前の席から椅子ごと去年も同じクラスだった友人の雨沢昴が移動してきた。陽気な声が飛んでくる。
「青晴〜、生きてる〜?」
「生きてる……。さっきよりはマシ……」
自分でも驚くほどの弱々しい返事をした。俺こと空本青晴は、悪天候の日は必ずと言っていいほど体調を崩す。特に頭痛が酷くなる。それをよく知っている昴はにやにや笑いながら言った。
「まぁまぁ、そんなお前に元気になれる噂を教えてやるよ。ほら、この席を見ろ」
昴は己の後ろの席かつ、俺の隣の席を指さした。朝のホームルーム直前にも関わらず、人の姿は無い。あるのは机と椅子だけだった。昴は俺の耳に口を近づけ、囁く。
「編入生がこのクラスに来るってよ。俺、週当番じゃん? さっき職員室に出席簿取りに行った時、先生たちが話してんの聞いたんだよ」
「編入? 高校で? まじ?」
「まじまじ。それも、結構な美少女らしいぞ」
「またまた、そんな漫画みたいな事が起こるなんて」
「いいから信じてみろって。そら、ホームルームが始まる」
キーンコーンカーンコーン、と騒がしい教室に無機質な予鈴が鳴り響く。それとほぼ同時に、よく見慣れたポニーテールの若い女性教師が扉を開けた。
「はーい静かにー。ホームルーム始めるよ。雨沢さん、挨拶お願い」
「はい。きりーつ、はよーございます。着席ー」
昴の気の抜けた挨拶に合わせて、会釈のように軽く頭を下げた。教壇に立つ女性教師──霧島|先生も同じように礼をして、真っ直ぐ丸い瞳でクラスを見渡した。
「2年7組の担任になった霧島です。去年もみんなの数学を担当したからあんまり新鮮味ないね。今年も去年と同様、みんなの数学教師です。よろしくね」
霧島先生の挨拶に、クラスメイトは皆小さく拍手をした。間違いなく担任として当たり枠の先生なので、クラスメイト担任発表会の時はみんなで抱き合って喜んだくらいだ。
優しいけれどかなりサバサバしている性格の先生は、まだ拍手の途中だと言うのにさっさと出席簿を取り出した。
「はーい、では出席確認しまーす。……と、その前に」
おおっ、主に男子のクラスメイトから声が上がる。先生はニヤリと右の口角を上げた。
「転入生を紹介するよ。じゃ、入っておいで〜」
全員の視線は教室前方の扉へと向けられた。すりガラスの向こうに、噂の人であろう人物がぼんやり見える。カララ。軽い音を立てて、その人は現れた。
1歩、足を踏み入れただけで空気が澄まされたような、そんな感覚を覚えた。おお……! と一斉にして教室中の男子から感嘆の声が漏れ出ている。
「失礼しま、す……」
鈴が鳴ったみたいな、可憐で小さな声が騒めく教室に響く。一歩一歩教壇に向かって歩いているだけ。それだけなのに、神聖な儀式でも行われているかのような、儚くて淡くて、目を奪われた。
腰まで届く長さの長髪は、青い空に浮かぶ雲のような深い純白で、揺れる度に虹の欠片を散りばめたかのように七色が見えた。彩雲を彷彿とさせるような、不思議な髪色。身長は150cm位だろうか。随分と小柄で、華奢な体つきをしている。
なにより、彼女の大きな瞳。一般人には到底ありえない、摩訶不思議な色だ。虹をそのまま閉じ込めたかのような、宝石が嵌め込まれているのではないかと疑うほど美しい色をしていた。只者では無いことは誰の目にも明らかだった。
かなりの美少女? 何を言ってるんだ昴。とんでもない美少女じゃないか。
「はーい静かに静かにー。じゃあ、自己紹介お願い」
手を鳴らし、教室を静めた霧島先生は美少女に声を掛ける。美少女はビクッと肩を揺らし、すぅっと教室を見渡した。かなり緊張しているようだ。
「……あ、天照ななと、申します! どうぞ、宜しくお願い致します……!」
深々と礼をすれば、自然と拍手が沸き起こった。霧島先生は天照さんにチョークを差し出し、名前を黒板に書くように促した。天照さんはそれを受け取り、お手本のような美しい文字を書いた。カッカと小気味良い音が反響する。天照さんの下の名前は、漢字で表さないらしい。かなり珍しいような、不思議な印象を覚える。
一通り書き終えた後、霧島先生が大きく手を叩いて皆の視線を集めた。天照さんに釘付けになっていたので、ビクリと肩が震えてしまった。
「はーい、注目ー。天照さんは学校生活にあんまり慣れていないそうなの。だからサポートしてあげてね。まぁ、言われずともみんなやってくれるだろうけど。ただ、あんまり構いすぎて困らせないように。本当に困らせないように」
霧島先生はこれから起こるであろう事態を予測しているのであろう、特に騒がしい男子複数名をひと睨みした。
「んで、天照さんに校内を案内して欲しいんだけど……。やってくれる人ー……。うーん、多いなぁ」
霧島先生の呆れ顔。教室を軽く見渡してみると、ほぼ全員の手が挙がっていた。だろうな。俺も挙げてるもん。
「んー。同性の方がいいかな? 天照さんどうしたい?」
「だい、じょうぶです! どなたでも、ありがたいので……!」
「あ、そう? んー……じゃあ隣の席だし、空本君に頼んでもいい?」
「えっ」
突然立つ白羽の矢。この時初めて、虹色の瞳と視線が交差した。なんて、綺麗なんだろう。気づけば頷いていた。
「天照さんの席は彼の隣だよ。じゃあ、座ってね」
「はい……!」
天照さんは、一歩一歩こちらに近づいてくる。少しだけ、晴れの日に香るような爽やかな匂いがした。
静かに、がたりと音を立てて着席した。改めて天照さんはこちらを見て、微笑んだ。
「よろしく、お願い致します。天照ななと申します」
「俺、は……青晴。空本青晴。天照さん、でいい?」
「はい! じゃあ私も……、なんてお呼びすれば?」
「好きなように呼んで……と言いたいところだけど、じゃあ、空本さんって呼んでもらいたいな。これから、よろしく。何でも聞いてね」
「ありがとうございます……!」
天野さんが、また笑ってくれた。さっきよりずっと表情が柔らかい。笑顔が本当に可愛い子だ。胸が高鳴って、うるさい。この鼓動が目の前の彼女に聴こえてないか心配になる。
「はーい。これでホームルームおしまい。ちょっと長引いちゃったな。みんな、急いで体育館に集合してね。空本君は天照さん連れてったげて。はい解散週番号令よろしく」
「起立、礼!」
昴の号令が、先程よりも力強くなった。天照さん効果だろうか。全員一斉に頭を下げたのを確認し、俺は真っ先に天照さんに声を掛けた。
「天照さっ」
言いかけていたところに、突然ドンッと背中に強い衝撃が走った。為す術もなくよろけると、我先にとクラスの女子たちが天照さんを囲んだ。
「天照さんよろしくね!」
「名前可愛いね!」
「えぁ、え、は……い?」
そういえば、なんか多方面から視線を感じる気がする。心当たりは、ある。大方嫉妬であろう。でも、仕方ないじゃないか。先生から直々に頼まれたんだし。
「私たちと一緒にいこーよ! 案内だってするよ!」
「え、でも、空本さんが……」
天照さんはオロオロと視線を泳がせる。これは、助けないと。
「ちょっと、天照さん困ってるだろ。気持ちは分かるけど、一旦俺に任せて。霧島先生に頼まれたんだし。天照さん、行こう」
「……! はい!」
少々強引に天照さんを連れ出した。舌打ちやら溜息やら後ろから聞こえるけれど、無視だ無視。
「青晴! 俺を置いていくなって!」
昴がいそいそと追ってきた。そうだったこいつのこと忘れてた。
「天照さん! 俺、雨宮昴! 席近いし、俺も頼っていいから!」
「はい、よろしくお願い致します!」
天照さんはまた深々と礼をした。丁寧な人だ。
「体育館はこっち! 着いてきて!」
昴が先導する。なんでお前が、という気持ちをグッと堪えた。
人が混み合う廊下を歩く。天照さんは当たり前だけれど、一際目立っていた。本人もそれを感じ取っているようで、俯いたり、顔を上げたりと挙動不審な動きをしながら困惑の表情を浮かべている。まるで見知らぬ土地に突然連れてこられたハムスターのようで。半端なく庇護欲が掻き立てられた。
「天照さん、緊張してる?」
「……こんなに同世代の方達と一緒にいるのは、あまり経験したことが無くて……」
そういえばさっき霧島先生、天照さんは学校生活にあんまり慣れていないと言っていたな。けれど、こんなに緊張するほど……? 多少、違和感を覚える。
途端に、頭に鈍痛が走った。さっきよりも酷くなっている。これは、あまりよろしくないかもしれない。
「……? 空本さん、どうかなさいましたか?」
「……いや、何でもないよ。大丈夫大丈夫」
頑張って無理矢理笑みを作った。天照さんをこれ以上困らせたくはない。でも、これ以上人混みに揉まれるのは少し避けたいな。
「天照さん、ちょっと急ごうか」
「は、い!」
窓の外から、ゴロ、と音がした。ひと雨降りそうで、嫌な予感が胸に渦巻いた。どうかこれ以上、天気が悪くなりませんように……!




