12、半分この空
いつもに比べて、今日の校舎はずっと静かだ。虹さんを連れて歩いても何にも騒がれない。心地いい。さっきまでの購買部の喧騒が嘘みたいだ。
「こんなに静かなの、初めて見学に来た時以来です」
「そうだね、久々……っていうか……いつもはこうなんだよねぇ……。さぁ、着いた着いた。入ろ」
扉を開ければ、いつも通りの空間。今は、虹さんと2人だけの。──そういえば、な〜んか忘れているような……。
「あっ、」
「青晴さん?」
「弁当、教室に忘れてきた。ごめん、一緒に食べようって言ってくれたのに。持ってくるから、ちょっとだけ待って」
「あの!」
「はい!?」
虹さんの声が、狭い空間に響いた。袋からカレーパンが入った紙袋を取りだし、こう言った。
「半分こ、しませんか!」
「半分、こ?」
脳内で木魚が鳴り始めた。はんぶんこ。それ即ち、食べ物を2等分して一緒に食べること。
「……えっ? いいの?」
「私、誰かと食べ物を共有とか、した事なくて、憧れてて! だめ、ですか?」
「っいいよ!」
反射的に答えていた。こうなったらやけだ。というか、俺、出会った頃から虹さんを相手にすると勢いで行動しがちな気がする。調子が狂っちゃっている。もう、いい。考えるだけ無駄!!
「さっきおてては洗ってきたので、素手で失礼致しますね」
虹さん、なんだか楽しそうだ。音符が飛んでいるのが見える。
「どうやって半分こにしましょう?」
カレーパンを取り出した虹さんは、首を傾げた。確かに、カレーパンって中に液体(?)が入ってるし、ちぎる訳にも……。
「……そうだ」
「青晴さん? それって、お財布ですよね?」
「そうだよ。……これで切ろう」
取り出したのは学生証だった。取り出したカレーパンをもう一度袋の中にいれ、思い切り固いカードを柔らかいパンに押し当て、切る。ザクッと衣が割れる音がした。
「なるほど、その手が……!」
「昔、姉さんとよくハンバーガーをこうやって分けっこして食べたんだ」
「はんバーカー……?」
「ハンバーガー。いつか一緒に食べようか。ほら、切れたよ」
紙袋をちぎって手持ち部分を作り、渡す。パッカリと割れた断面からは、艶のある濃い琥珀色がとろりと顔を覗かせた。
細かく刻まれた玉ねぎが透明に溶け込み、ところどころにしっかりと形を残した牛肉がごろり、と鎮座している。揚げたての衣はまだ熱を抱えていて、薄く立ちのぼる湯気が、ほんのりと甘くてスパイシーな香りを運んでくる。
「……すごい。これが、カレーパン……」
正面に座っている虹さんは、息を呑んだ。宝物みたいに持ち上げた。まじまじと観察している。
「いい匂いですね……」
小さく呟いて、ふう、と息を吹きかける。その仕草がやけに丁寧で、俺の心臓が勝手に忙しくなる。
そして
「頂き、ます」
恐る恐る、ひとくちかじった。
サクッという衣が軽やかに弾ける音が、静かな天文学室に響いた。
その瞬間、虹さんの瞳が、ぱぁっと大きく開く。
「……!」
次いで、もぐもぐ、とゆっくり噛みしめる。頬がほんのり緩み、目尻が下がっている。口元を押さえながら、もう一度噛んだ。
「おいしい……!」
熱で少しだけ涙目になりながら、虹さんは笑った。
「中、すごく、とろとろで……でも、お肉が、ちゃんと……。これが、カレー!」
「うん」
「甘いのに、ちょっとだけ辛くて……美味しい!」
ほっぺたが落ちそうとは、まさにこの事を言うんだろうな。虹さんの輝く表情を見て、心の奥が、じわっと温かくなった。
「青晴さんも、どうぞ!」
「あ、うん。いただきます」
俺も一口かじる。やっぱりうまい。衣は薄くて軽くて、噛んだ瞬間にカレーの旨みが広がる。牛肉の繊維がほろりとほどけ、玉ねぎの甘さがあとから追いかけてくる。ほんの少しのスパイスが、全体をきゅっと引き締めている。
実は、黄金カレーパンを食べるのはこれが初めてだ。そうか、こんな味だったんだ。毎回戦争が起きるのも頷けるような、納得の味だ。
「……どうですか?」
「めっちゃ美味い」
「ですよね!」
虹さんは嬉しそうに、もう一口。
衣が崩れた端から、また少しカレーがとろりと溢れそうになる。慌てて紙で受け止めるその様子さえ、どこか愛おしく思えた。
「半分こ、いいですね」
ぽつりと虹さんが言った。
「一人で食べるより、ずっと、ずっと美味しいです」
その言葉に、胸の奥がきゅっと締め付けられる。
「……だね」
俺は、残りの少なくなった黄金色を見つめた。
「あの、今度は、めろんぱん? を食べてみたいです。あと、半バカ? も」
「ハンバーガーね。いいよ。一緒に食べよう」
「……! はいっ!」
ああ、この時間がずっと続けばいいのに。穏やかで、心地良い。桜の木の下で、木漏れ日を浴びているみたいな、そんな。
「あ……」
ふと窓の外を見てみれば、やっぱり綺麗な快晴だった。
「めっちゃ晴れてる」
「あっ、気づかれちゃいましたか……。今日、よく影響しちゃうみたいで」
「よく影響しちゃう? 日毎に違うの?」
「そうなんです。あんまり干渉しない日もあれば、すごく影響を与えてしまう日もあって、逆に私の感情が引っ張られることも……。規模も、その日によって違ったりするんです。町をひとつ覆うくらい変えてしまう日もあれば、この山の天気を少し変える程度の日も……」
「それは大変だ……。でも、俺としては助かるっちゃ助かるかな」
「助かる?」
「虹さんの本心が、よく分かって。今、凄く機嫌がいいんだなぁ、とか?」
「わぇっ、あっ、そう、かも?」
虹さんの顔が赤くなった。同時に、カーテンの隙間から差す日が濃くなったような?
「照れてる?」
「……もう!」
ガツガツとカレーパンを貪るように食べ始める虹さん。──もしかして俺、失礼なこと言った……? でも、空は陰ってないし……。悪くは思われてない、はず。いやはや、便利だな、この人の能力。
「そうだ、言い忘れてましたが、どうかこの力のことはご内密にお願いします……。この学園に来る条件のひとつが、この能力を誰にも知られないことなので……」
「え!? そんな条件あったの!? いや、秘密にはするけど……。虹さん、気をつけてね……」
こんなに顔に出るのに、バレてはいけないだなんて……。さすがに心配過ぎる。
「もちろん、頑張ります! 誰かに教えたら、青晴さんに雷落としますからね!」
「怖いって。大丈夫。守るよ」
……なんか、外からドタドタ音が聞こえる。まるで、男子高校生が全力疾走しているような。まさか、気のせい気のせい。
その瞬間、バゴンと勢いよく扉が開いて
「青晴ああああああ!!!!」
息を切らした昴が現れた。穏やかタイム、終了……。
「お前、お前えええ! あ、天照さんこんにちは。お前ええええ!!!」
叫びながら、首根っこを掴んでガクガク揺らしてくる。
「落ち着けよ、なんだよ」
「俺らが江雪とハゲ教頭に絞られてる間に、美少女と仲良くランチタイムってかぁ!? いいご身分だなぁ!!」
「絞られたんですか?」
「ほんと、圧がやばくて。特に江雪。あいつ、めっちゃ怒ってたっぽくて……はぁ……」
「あの江雪が?」
生徒からの支持を気にして、あまり敵を作らないように立ち回るあいつが……? どうして?
「ほんで、なーんかカレーパンの良い香りがしますけど、例のブツは?」
「ああ、はい、これ。感謝しろよ。揉みくちゃにされながら手に入れてやったんだから」
「青晴ー♡ お前はできるやつだって信じてたぜ!」
調子のいいやつだ……。抱きつこうとしてくる昴を思い切り引き剥がす。虹さんはくすりと笑っていた。
「さて、カレーパンいただきマース!」
「こぼすなよー」
「あ、ふぉーいえば」
早くもカレーパンを咀嚼し始めた昴は話し出す。行儀が悪い。
「江雪がお前のこと探してたぜ」
「え?」
「要件は知らんが。気をつけろよ」
「うわ、嫌な予感」
まぁ多分、あの件のことだろうけど……。
「うめぇ! 午後のテスト返しも頑張れそうだな!」




