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9、空欄記入

 耳を疑う。もし俺がとち狂ったのでなければ、虹さんは今、ここに入りたいと言った。


「それは天文学部(うち)に入部する……ってコト?」


「はい。是非とも!」


「えーっと、えーと、待って、ちょっと待って」


 凄く嬉しい気持ちが8割。霧島先生への感謝が1割。そして、本当にいいのかという気持ちが1割……。


「めちゃくちゃ嬉しいんだけど、嬉しいだけど……!だけど……!」


「だけど?」


「……本当に、いいの? まだ他の部活回ってないでしょ? 今回俺が抜け駆けで部室連れて来ちゃったけど、他にいい所があるかもしれないでしょ?」


 何も言わずにさっさと入部届けにサインしてもらった方が都合がいい。けれど、虹さんは高校生活を楽しみに来たはず。何となくで選ばせてはいけない。


「確かにしっかりと見て回ってはいませんが、私、ここがいいです」


「……ほんとに?」


「はい! ──私ね、自分の力のことよく分かってないんです」


 虹さんは先輩達が代々書き残してきた記録ノートに視線を落とし、吐露していく。


「どうして私がこの力を授かったのか。どうすれば上手く扱えるのか。……何もかも、よく分からない」


「それは……」


「初代ソラノハレミコ様って、本当に凄い方で。天気のみならず星を降らせることもできたそうです」


「星を……!?」


 天気云々よりももっと壮大な話が飛び出してきた。宇宙に干渉できるの!?


「それに、あの図を見る限り、星だけでなく天気についても学べることができるのでしょう?」


 虹さんはホワイトボードを指差した。ここ数日の観測した天気を記録したものだった。目敏い。


「更に! もしも私が力を自由に扱うことができたら、星の観察が捗るんじゃないですか!?」


 元気いっぱいに自分へと部へのメリットを羅列していく。何となくで決めたんじゃなくて、ちゃんと選んでくれたということがひしひしと伝わってきた。


「入部届け、何枚か頂いていたんです。鉛筆と消しゴムをお借りしても?」


 ポケットから折りたたまれた緑色の紙──紛れもない入部届を取り出した。パッと見5枚はあるし、なんならもっとポケットに入っているのが見えた。シャーペンと消しゴムを差し出すと、ありがとうございますと小さくお礼を言った虹さんは早速自分の名前を記入し始めた。


 入部希望の部活を書く欄にはラグビー部と書かれている。それを容赦なく消して言った。小気味いい。虹さんの整った字が並べられていく。最後の一文字を書き終わった虹さんは満足気に頷いた。


「これを顧問の先生に、えーと、霧島先生に提出するんですよね!」


「勢いすごいね……。そうだよ。多分今職員室にいらっしゃるから、一緒に行こうか」


「ありがとうございます!」


 なんて僥倖。部員ゲットかつ、虹さんが入ってくれるとは。ドームを閉め、廊下へと出る。


「……あれ、虹さん?」


 足音が聴こえず、振り返った。虹さんは空を仰ぎ、ドームを眺めいてる。


「どうかした?」


「いえ……ここ、本当に静かですね」


「まぁ、そうだね。校舎の端だし、それに……虹さん、いっつも人に囲まれてるから、慣れてないだけじゃない?」


「それもそうですよね。……私、賑やかなのは好きなのですが、たまには静かな場所に行きたくて」


「人間だもん。そりゃそうだよ」


「人間……そっか、私人間だ」


 虹さんは噛み締めるように頷いた。まるで自分が人間であることに気づいたかのように。今まで神様扱いされてきたらしいし、当たり前の反応なのかもしれない。


「良ければさ、ここを使いなよ」


「え?」


「部員になれば、この天文学室に入る権利が得られるよ。静かだし、大きく空も見られるし、疲れたらここにおいでよ。部員なら鍵も借り放題だし。後で鍵の借り方教えるよ! あっ、そうそう、勧誘行為以外では部外者は呼んじゃダメなんだよね」


「それって……」


「ん?」


「私と、青晴さんだけの場所ってことですか?」


「えっ」


 心臓が、一拍遅れて跳ねた。


「……っ、そ、そういう意味じゃ……! いや、そういうことか? えっと、その……!」


 慌てて否定しようとして、言葉が詰まる。いや、否定したところで、じゃあどういう意味なんだと聞かれたら困る。


「えっと……その……」


 耳が熱い。2人だけの場所。またしても優越感が全身を侵食していく。


 虹さんの方を見たら、絶対に顔が熱いのがバレる。


「……と、とにかく! 行こう、職員室!」


 半ば逃げるように、ドアを開けて廊下へ出た。背後で、小さく「はい」と返事がする。


 歩幅を少しだけ速める。足音が、2つ分、静かな廊下に響く。見つからないように、他の生徒がいないか辺りを見渡していると、虹さんが呟いた。


「……青晴さん」


「な、なに?」


 声が裏返らないように必死だった。


「さっきの……その……私、変なこと言っちゃいましたか?」


「い、いや! 全然! 全然変じゃない!」


 即答しすぎた。明らかに動揺している。


 虹さんは少しだけ間を置いて、


「……良かったです」


 そう言って、ほっとしたように息を吐いた。


「私、ズレてるから」


 その声は静かで、少しだけ遠慮がちだった。


「さっきは、ごめん。俺の反応がおかしかったのは、嬉しかったっていうか……とにかく、虹さんを歓迎してるのは間違いないから!! そこは分かっていて欲しい!」


 立ち止まりかけて、でも止まれなくて、前を向いたまま言う。


「……青晴さん」


 少し弾んだ声。虹さんは俺の目の前に回り込んで、視線をしっかりと合わせて言った。


「末永くよろしくお願いします!」


 ──この人は……!!


 お、あ、う、ん、なんて挙動不審極まりない声にならない声を捻り出す。こんな俺の態度は特に気にしていないらしく、虹さんはまた職員室方面へ歩き出した。

 

 職員室の扉が見えた瞬間、なんだか救われた気がした。この緩んだ顔を引き締め、もはや白の扉を睨みつけ、勢いよく扉をスライドさせる。


「失礼します! 2年の空本青晴です!!」


 中から、霧島先生の声が返ってくる。


「あ、空本くんだ。それに天照さんも、どうした?」


 俺は振り返らず、横に立つ虹さんに小声で言った。


「……ほら、出すんだよ」


「はい!」


 元気よく返事をして、虹さんは一歩前に出る。


「私を、天文学部に入部させてください!」


「えっ」


 一瞬の沈黙。


 それから、


「……えっ!? ほんと!? やったじゃん空本くん!」


 霧島先生はバッシバシ俺の肩を叩きながら、やや上擦った声を出した。


 そんな俺は、俯いている。お願いです霧島先生。今、俺の顔、絶対見ないでください。胸の奥は、どうしようもなく浮ついていて、引き締めた口角が上がろうと迫り来る。


「嬉しそうな顔〜!」


 霧島先生は俺の顔をわざわざ覗き込み、ケラケラ笑いながら言った。ササッとポケットからボールペンと印鑑を取り出し、入部届にサインしていく。


「はいこれで完成! 天照さんはこれで正式な部員です! やったね〜!! 先生、女子が入ってきてくれて嬉しいよ〜! じゃあこれ大切に保管しとくから、空本さんはいい加減その緩みきった顔をなんとかして、天照さんに色々教えといて。それじゃあね〜」


 霧島先生は俺が必死に隠していた表情を無慈悲に指摘した後、ゆっくりと扉を閉めた。


「あの、青晴さん!」


 振り返ると、虹さんの後頭部が見えた。


「改めまして、これからよろしくお願いします!」


 職員室の前に残された静けさの中で、俺は一度だけ深呼吸した。


 1人の少女が新たに入部した。

 

 たったそれだけのことなのに、胸の奥が落ち着かない。


 虹さんは、もう部員だ。それは事実で、書類も出て、先生の印鑑も押された。


 これから、どうなる? 星を見る。空を見る。あの静かな部屋で、同じ方向を見上げる。

 

 それだけのはずなのに、「一緒」という言葉が、やけに重くて、眩しかった。


「……天文学部、頑張ろうね」

 

「はい!」

 

 迷いのない返事を聴いた。


 何も分からない。でも、この子なら。そんな確かな確信が芽生えた。


 きっと大丈夫。大丈夫にするんだ。

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